第10話

 いつものように電車を出て、洞穴を抜ける。その先には既に誰もいなかった。全員街のほうに行っているのだろう。


 燎は、彩羽に襲われる前に会う事の出来た廃校舎に向かう。森を抜け、この時間に徘徊しているヘルハウンドたちに見つからないために、一直線に移動する。


 何分経ったのか、走って向かった廃校舎はシンとしていた。誰かが戦闘している様子もない。


 綾華は空からやってきていた。どこからか飛んできていたのだ。燎は飛ぶことが出来ない。彼女はヘルハウンドに襲われているのを燎を見てやってきたのだろう。


 ならば、屋上で目印でも作ればいい。


 廃校舎に入り、木片を見つけて手ごろな大きさにし、燎はそれを屋上へ運ぶ。


 今日という日に訪れるのは初めてだが、すでに何回も訪れた場所。そこへ木片を置き、火の羽を背に生やすと、木片を燃やした。


 目印になるのかは分からない。さらに言えば、これを目にしたところでわざわざ近寄ってくれるのかも分からない。


 しかし、他に方法もなかった。


 そもそも綾華がどういうルートでここに辿り着いていたのか分からないのだ。


 木片は炎となり、もくもくと白い煙が天へと昇っていく。普段、この辺に火の気など無い。異常が起こっていることの目印には間違いなくなる。


 騎士団が『禁足地』で燎達とどうように『狩り』をしているのであれば、『狩場』の異常にはすぐ気付くはずだった。


 どの位経ったのか、どよんとし始めた天気の中で、潮風が薫る。


 そんな中、何かが視界を横切った気がした。


 火の手の側で座っていた燎は立ち上がり、目を凝らす。


 すると、一人の人間が近付いてきていた。黄金色の翼、黒髪に白い制服。間違いなくあの美しい彼女だった。


 心臓が煩い程に鳴り響く。こんな状況だというのに、彼女に会えたことが嬉しくて仕方がなかった。また、まともに見れたことがたまらない。


「……やっとまた会えた」


 まだ彼女は生きている。


 綾華はゆっくりと燎のもとへと降りてきていた。そして、柔らかく着地すると、ツカツカと早足で燎の目の間にやって来る。


 彼女は何も話さなかった。


「あの……」


 たまりかねて口を開く――気付くと、首元には刃が向けられていた。


「あなた、どこから来たの? ここ、子供は立入禁止なんだけど」


 その瞳には敵意しか感じられない。


「あなたに話があってここまで来ました。どうしても聞いて欲しいことがあるんです」


「私に?」


「そうです、綾華さん」


 ギッ、と首元に押し付けられる力が強まる。


「あの、話がしたいので、せめてこの刀を遠ざけてくれませんか」


「……私はお前などに話はない。それよりも、なぜここにいる」


「怒らないで聞いていただけますか?」


「お前がふざけたことを抜かさなければな」


 目が本気だ。しかし、正直に言う他にない。嘘をついてしまったら、ここまで来た意味がないのだ。


「――今日、この後、あなは私の知っている人物に殺されます。私はそれを防ぎにやってきたんです。その……」


 それより先は口に出すことが出来なかった。足元が竦み上がる程の殺気。彼女は何もしていないのに、次の瞬間には頭が吹き飛んでいるイメージが湧いてくる。


「お前、いい度胸しているな。そんなに死にたいのか」


「俺の名前は燎だ、綾香さん。それにこれは噓じゃない。正真正銘本当だ」


 身体が一歩も動かせない。その中で無言で彼女の刀が動く。風が吹き、思わず目を閉じる。


 ピリッとした痛みを首元に感じる。それでも手は動かせない。


「――そこまでしてなんで嘘をつく。罠か?」


 目を開けると、綾華は当惑した表情を浮かべていた。


「だから本当なんだって。なにも変わらなければ、あなたはここで死ぬ。俺はそれを変えたくてここまで来た」


「……仮にその話が本当だとしよう」


 燎の強情さに呆れたかのように溜息をつき、彼女は刀を仕舞った。


「私は一体誰に殺されるんだ。自慢じゃないが、そんじょそこらの人間には負けないぞ」


「相手は空か降ってきていた。白いローブを羽織って、まるで分身したかのように、小さい同じのも沢山いた。それになにより毒だ」


「毒?」


「そう、彼女の毒は猛毒みたいなんだ。一体、誰のをコピーしたのか知らないけど……」


「色々引っ掛かるが、お前、燎だったか。燎は相手のことを知っているのか」


「知ってる。同じ施設にいる奴だ。とても優しくていい人のはずだった。でも、なにかおかしい」


 おかしいんだ、と燎は内心で繰り返す。普段見ていたはずの彩羽と殺そうとしている時の彼女が結びつかない。目の当たりにして、実際に殺されていたとしても。


「ほーん……。私はどこで殺されるんだ」


「ここ、この屋上。この校舎の敷地内の時もあった」


「『時もあった』? 燎、君はここに来るのは何度目なんだ」


「三回目。綾華さんが死ぬ時、そばにいた俺も巻き込まれて死んでる」


「死んでる? 生きてるじゃないか」


「死ぬ度に時間が戻ってるんだ。ループしてるんだよ」


「……それを信じろと?」


「他に方法はない。俺はただ綾香さんが死んで欲しくないから来てるだけなんだ」


 綾華の手を握ってそう言うと、彼女はややたじろいだ。心なしか顔が赤い。


「燎の言うことが本当なら、どうやって私が殺されるのを防ぐつもりだったんだ」


「正直言うと、方法は分からない。こうやって情報を伝えることくらいしか思いつかなかったんだ。僕には、この力しかない」


 羽を一瞬にして広げる。綾華からは身体に隠れ、ちらちらとしか見えない炎の翼。


「……なんでそこまでして私を助けたいんだ、燎は。聞いている限り、時間が戻るのは君自身が死ぬからだろう?」


 死ぬ痛みを何回も味わってまで、なんで助けるのか。彼女が言いたいことはよく分かった。


 話自体が信じ難いのに、本当だとしても、見ず知らずだった人間に、そこまでするのか。


 燎自身、ハッキリとはしていない。むしろ、もやもやしている部分の方が多い。そもそも、綾華自身のことは何も分かっていないに等しいのだから。


「――綺麗だったんだ」


 燎が勢い込んで言い、綾華に近付く。同時に彼女はその視線から逃れるように顔を背けた。


「最初に会った時、僕はヘルハウンドに襲われていて、そこを綾華が助けた」


「私がか?」


「そう、空から天使のように君が降りてきた。それが綺麗だった。理由はそれだけ」


 燎の言った言葉に、綾華は一瞬ぽかん、とする。少しして笑った。


「燎、君の言う事が、本当だとすると、私が綺麗だから助けると言ってることになるぞ。それも、死んででもだ」


「そうだ」


 大きく頷く。言葉にしてみて、それは燎の心に良く馴染んだ。納得し、頭がクリアになる。


 一方で、綾華は燎の真っ直ぐな目を見て、彼の手を振りほどいた。手で顔を覆い、なにやらぶつぶつ言い出す。


 しかし、燎にはまるで聞き取れない。


「――分かった、燎、君の言う事を信じよう」


「本当に?」


「本当だ」


 嬉しさのあまりもう一度彼女の手を握ると、今度は振りほどかれなかった。


「絶対に助けるっ」


「わ、分かったから、その目を向けるのはやめて」


 顔を彼女の手で覆われ、燎の目の前は真っ暗になった。

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