第8話

 電気が点けられると見えたのはどこまでも真っ白な廊下だった。汚れ一つないのが却って不気味に感じる。


 もはや何も話さなくなった彩羽は黙々と廊下の先を進んでいく。その力の強さに痛みを覚えながらどうにかついていくと、途中にあった部屋に入った。


「座って」


 部屋は真四角で鏡張りだった。どこを見ても燎自身と彩羽が見える。中央に椅子が一脚とその目の前にテーブルが一つあるのみだった。


「彩羽ねえ、何する気なの?」


「いいから座って」


 手は離されるがすでにドアは閉まっている。今更逃げ出すことも出来ない。座る以外の選択肢はなかった。


 渋々、椅子に座る。


 テーブルには水瓶とコップが一つあるのみだった。そこに目を取られていると突然目の前が紫色にる。視界を遮ったのは彩羽の翼だ。


 だが、その色は燎の記憶にあるものとまったく違っていた。彼女の翼は真っ白だったはずなのだ。


「彩羽ねえ、これどうしたの? なんで紫に……」


「黙って」


 取り付く島もない。ぴしゃりと告げられた声に、燎は何も言えなかった。


 彩羽は自身の翼に手を伸ばすと――一枚だけ無理やり千切った。少しだけ呻く声とともに、彼女に手には艶やかな紫の羽が残る。


 コップを水甕に入れ、水を汲むと、彼女はその中に羽をさらに小さくちぎり、入れる。


 そして、そのコップを燎に差し出した。


「飲んで」


 コップはなぜか白く濁っている。食事の時に飲んでいるあの謎の白い飲みのに似ている。どこか甘酸っぱい匂いもそっくりだった。


「早く。でないと、無理やり飲ませることになる」


 逡巡している燎に彼女は詰め寄る。


「わ、分かった」


 恐る恐るコップを受け取り、そっと一口飲む。


「全部、飲み干して」


 燎は言われた通りにコップに入っている液体を飲み干した。


 すると、次の瞬間全身に力が入らなくなる。からん、コップが落ちる音だけがやけにはっきりと聞こえた。


 ぐでんと前かがみに落ちそうになるのを分かっていたかのように、彩羽は燎の身体を支え、椅子に座らせる。


 気付くとあたりは以前見た白い靄のようなもので覆われていた。彩羽は影のようになっており、はっきりと見えない。


「彩羽ねえ……」


 呂律が怪しくなっている。思考がまとまらず、いまいち集中できない。


 そんな中で、彩羽の声だけが聞こえてくる。


「――燎、さっきまでしていた話は本当に夢なの?」


「違う、夢じゃない……」


 するり、と言葉が滑り出る。このことを言ってはいけないような気がしたが、すでに出てしまっていた。


「そう、じゃあ、どこで見たの?」


「学校……」


「いつ?」


「いつって何だろう。そうだ、あれは未来だから。そう、これから起こること。そういえば、今日はまだ見てないかも……」


 考えているのか話しているのか、境目が分からない。ぼんやりと浮かぶのは、綾華を襲っている白い仮面。


「そうだ、助けなきゃ。綾華が死んじゃう。白い仮面に……、あれは誰なんだろう?」


「燎、仮面ってこれのこと?」


 ぬっと突然目の前に白い仮面が現れる。紛れもなく燎が見たものと同一だった。


 驚き逃れようとするが、身体は言う事を聞いてくれない。実際には、ただ緩慢に椅子から落ちてしまっただけだった。


 仮面が消え、彩華の顔が現れる。


「燎、綾華のことをどこで知ったの?」


「学校でヘルハウンドで襲われそうになって……、でも助けてくれた。あれ? それは二つ前か。前は、そうだ白い仮面に襲われて……」


 フラッシュバックするのは、今と同じような状況。


「……燎、さっき未来って言ったわね。それはどういうこと? 綾華と会ったのはいつ?」


「だから、これから会うんだよお。でも会う度に白い仮面に殺されちゃうから助けなきゃいけないんだ。ねえ、さっきの仮面はなにい?」


 仮面は彩羽が手にしていた。まるで空中に浮かんでいるように見える。


「はあ……、おかしいわね。本当のことしか話さないはずなのに……。抜け道がある? いや、仮に本当だとしたら……」


 ――良くないわね。


 それだけが聞こえ、燎の意識は深い闇の中に落ちて行った。

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