第3話

「うわああぁあっ!」


 燎は叫び声を上げながらベッドの上で身体を跳ね上げた。広々とした室内では、何十人分ものベッドが並び、それぞれが自身でベッドメイキングを行っている。


 そんな彼らは、突然叫びながら起きた燎に、奇異な視線を向けた。しかし、それも一瞬のことで、朝食を食べ損ねないために一人、また一人と部屋から去っていく。


 視線にも気付かず、燎は自身の身体を確認する。何かに貫かれたと思った首に穴はない。どこにも異常は感じられなかった。


「――大丈夫? 燎?」


「おわっ!」


「わっ!」


 急に呼び掛けられ、思わず大きな声を出すと、相手は転んでしまった。


「いてて……」


「あ、悪い。すず


 燎はベッドから降りて、彼女を立たせる。髪が長く、目元はちらちらとしかうかがえない。小柄なため、簡単に引っ張ることが出来た。


「もう、びっくりしたよー。悪い夢でも見たの?」


「夢……、いや、現実だった」


「え?」


 鈴がきょとんとした顔をする。


 死んでいた、と燎は思った。頭の中で流れるのは、自身が死んだ瞬間ではない。


 綾華と名乗った女の子。出会ったばかりの人物。それにも関わらず、一度見た彼女の死が、燎の心を穿ち、ぽっかりとした虚無を生み出す。


 燎の心は去来する彼女の死の映像を拒否していた。時間を経るごとに嫌で嫌でたまらなくなる。


「助けなきゃ……」


「燎?」


「何やってんだ、二人とも。朝食、食えなくなるぞ」


 聞きなじみのある声にハッとする。顔を上げると風馬ふうまがいた。燎と同じ年のはずなのに、身長が頭一つ分違う。体格もがっしりしており、威圧感がある。


「いや、ちょっと変な夢を見てな」


 咄嗟に燎がそう言うと彼は怪訝そうに眉をひそめた。


「それでさっきあんなに叫んでたのか?」


「いや、まあ……」


「……そうか、悩み事あるならいつでも相談乗るぞ?」


「そんなのない」


「わあ、即答だ」


 鈴が感心した声を上げる。


「鈴、こんな脳筋の考えを感心してもしょうがないぞ? 日々勉学を怠らない俺を見習え、俺を」


 失礼な言い方に、なにか言い返そうとするが時計が目に入って驚く。


「まずいっ、時間に遅れる」


「俺は鈴と先に行くからなー。鈴、行こう」


「うんっ」


「あっ、おい待てよっ」


 風馬と鈴はさっさと部屋を出て行ってしまう。


 この施設では、食事の時間に遅れると、その食事は抜きになってしまう。施設長も職員もなにかと時間にうるさい。


 その上、朝はきちんとベッドメイキングをしていないと、それはそれで罰を受ける羽目になってしまう。


 燎は急いでベッドメイキングを済ませ、走って一階の食堂に向かった。だが、反射的に行ったいつも通りの日常の一環に対し違和感で一杯だった。


 時計にあった日付が、朝に戻っていたのだ。だが、なぜそうなったのかは分からない。


 時間が戻っているなんてことあり得るのか。すべて自分の妄想ではないのかと思うが、頭に焼き付いている光景はそれを否定する。


 あれが妄想なわけない、と。


 よく分からない状況だが、あの光景が本当ならば燎の心で一つだけ確実なものがあった。綾華――彼女が殺されるのだけは防ぎたい。


 どうにかできないものかと考えながら走った。


 施設は元々マンションだったものを使用しており、縦長になっている。十四階建てであり、全員で使う寝室は二階と三階にある。


 食堂は一階を丸ごと使用しており、大規模な調理室と繋がっていた。


 棟の中心にはエレベーターとそれを囲うように階段がついており、そこを飛ばし飛ばしに降りて行った。


 階段を降りた直後のエントランスを左に行き、食堂に入る。すると、中にはすでにほぼ全員が揃って席についていた。


 ずらっと並ぶ縦長のテーブル。鈴と風馬の間の指定の席に急ぐ。


「早かったね」


「よく間に合ったな」


「階段で来たからな。あと、施設長だけ?」


「うん。早く食べたいなー」


 あくび混じりに鈴が願望を口にする。


 やがて、施設長が食堂に入ってきた。それまでざわざわとしていた部屋も自然と静かになっていく。


 女性にしては大きな身体を真っ白で柔らかな服に身を包んでいる。長い黒髪を結わえ、胸に垂らしていた。


 十神とがみ施設長。この施設の長であり、職員を束ねている。


 燎たちのいるテーブルの最前列に立ち、彼女はグラスを手にした。垂れ目の中にある金色の瞳、その前に掲げ、告げる。


「――精霊に祝福と感謝を」


 燎含め、食堂の全員が同じ動作と言葉を口にし、専用のグラスに入った少しだけピリッとする真っ白な液体を飲み干す。


 朝食の時間が始まった。


 食事中は一切会話をしてはならないことになっているため、カチャカチャと箸と茶碗の当たる音だけが響いている。


 ――いつもどおりの朝だ。


 燎は食事をしながら注意深く周囲を観察するが、取り立てて異常は見えない。


 もしまったく同じ流れならば、この後「禁足地」と呼ばれているあの土地に入る。そして、廃墟となった学校の屋根で綾華に会うことになる。


 その後、あの子供が現れ――殺される。


 思わず首筋を擦るが、そこにはなにもない。傷はなく、異様に大きい心臓の音も今はなかった。


 なにもない。


 すべてが朝に戻っている。だが、燎はこのまま日常に戻るつもりはなかった。綾華が殺されるのを防ぎたい。それが燎の偽らざる本音だった。


 しかし、それにはあの子供が厄介だった。綾華は弱いように見えなかったが、掠り傷一つでやられてしまっていた。


 そこで、はたと思う。


 ――俺があの場所に行かなければいいのか?


 燎があそこにいたことで、綾華は廃校の屋根に降りてきていた。ならば、そもそも燎があそこにいなければいいのだ。


 綾華がどこの誰なのかは分からない。だが、調べればすぐに分かるに違いない。禁足地に入れる子供などそう多いとは思えなかった。なにしろ、本来は入れる場所ではないのだから。


 考えを巡らせている内に食事は進み、あっという間に終わる。


 食事が終われば、着替えの時間だった。全員が寝室の下の階にあるロッカールームに向かう。この施設にいる子供全員分のロッカーがそこにはあった。


 一人一人にあてがわれたロッカー。中には色々と溜め込む子もいるが、燎のものに入っているのは簡素なものだった。


 施設からの支給品の軽装鎧と刀、ブーツ。あとは禁足地からこっそり持ち帰った壊れている懐中時計。


 入っているものといえば、あとは衣服の類で他にはなにもない。


「――彩羽いろはちゃん、また大きくなった?」


「そう? これ以上大きくなっても邪魔なんだけどなあ」


 今後のことを考えているとそんな声が耳に入った。後ろを振り返ると、年齢がいくつか上の彩羽が鈴と一緒に着替えている最中だった。


 彩羽は長い茶髪を背中に流している。手足は長く、同じ年齢の子供の中でも発育が良く、誰よりも大人に見えた。明るい性格もあって、よくみんなのお姉さんになっているのを見かける。


 鈴の身長が低いこともあって、二人が並ぶと姉妹のように見えなくもない。


「ん? なに見てるのかな? マセガキくん」


 視線に気付いた彩羽が微笑む。


「うるさい」


「生意気ねー」


 着替える途中だったこともあって上半身裸の燎に、彩羽は正面から抱き着いた。


「おいっ、離せっ」


 彩羽は見掛けに寄らない馬鹿力で燎を抑えつける。無駄にある脂肪のせいで息がかなりしづらい。


「いつの間にこんなんになっちゃったのかなー。昔は『彩羽ねえ』って後ろをついてきてたのに」


「いつの話をしてんだよっ、いいから離せっ、バカ力っ」


「彩羽ちゃん、燎が苦しそうだよー」


「んー、鈴が言うならしょうがないなー」


 やっと解放され、燎は息も絶え絶えだった。


「鈴ちゃーん」


「わっ、彩羽ちゃん、苦しいー」


 なにがしたいのか鈴にまで抱き着き、苦しませている。


「マセガキくんは身体はよくなったけど、まだ風馬には敵わないね?」


 チラッと燎を見た彩羽はそんなことをのたまう。


 燎は筋肉質な方ではあった。しかし、風馬はさらに上を行っている。隣を見ると、彼は自慢げに筋肉を見せてくる。


「俺の筋肉は日々の鍛錬で美しいからな」


 笑顔でそんなことを言うので、燎は彼のお腹を思いっきり蹴りつけた。苦しそうな声を上げる彼を見て、燎はいい気味だと思う。


「彩羽ちゃん、着替えさせてー」


「あっ、ごめんごめん」


 賑やかな着替えの時間。いつも通りのその空間に、燎だけはまだ違和感の最中にいた。

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