第2話
「は?」
意味が分からなかった。警戒心は解かず、状況を把握しようと起き上がる。
数メートル先には、ぎりぎりで落ちなかったヘルハウンドが横たわっていた。遠目にも、すでに息があるようには見えない。沈黙している。
一体なにでこうなったのか、燎が真っ先に思い浮かんだのは新たなバケモノの可能性だった。しかし、見渡す限り周囲にはなにもいない。
そうすると遠距離からの攻撃なのか、と身を低くしかけた所で――頭上から声が掛かる。
「君、大丈夫だった?」
慌てて上を向くと、そこにいたのは――天使だった。
短い黒髪を広げ、身体は白く薄い鎧に覆われている。そして、背中から生えている翼。黄色いそれはとこどころで電気が走っていた。一枚一枚が薄く、花びらのようだ。
黒曜石のような瞳が真っ直ぐに燎に向いている。
一瞬、見惚れてしまったものの、手にしている刀を見て、すぐさま警戒心を取り戻す。
「……誰だ、あんた」
「私は
ふわり、と屋上に着地すると彼女は淡々と死んでいるヘルハウンドの様子を確認する。その躊躇しない様子から慣れているのが窺えた。
「……あんたも子供だろ」
綾華は同じ中学生くらいに思える。大人には見えない。
「んー、君よりは年上だと思うけど……」
燎はそっと逃げようとした。しかし、そんな燎のもとに、彼女はつかつかと近寄って来る。
身長が高い彼女に見下ろされる。
「君、名前は?」
「……燎」
「なんでこんな所にいるの?」
「そんなの決まってる。バケモノを狩りに来たんだ」
「……あんな弱いのに?」
「弱くてもそれなりに方法はある」
「それもそうか。ところで、君はどこの人間なの?」
だらりと垂らされた腕に隙はなく、刀を意識せずにはいられない。まるで逃げ切れる気がしなかった。
どう答えようかと逡巡していると、彼女が頭上をバッと見上げる。
連れられて上を見ると、人間が落ちてきていた。
「――ハロウ」
幼い子供。茶髪のソイツは、ざらついた声で告げる。目だけが空いている白い仮面を被り、身体は真っ白なボロボロのローブを羽織っている。
綾華が一切の躊躇なく、子供を斬りつける。すると、まるで靄のように消えてしまった。
しかし、今度は彼女の背後からまったく同じ容姿の人間が姿を現した。
「流石だ」
綾華の刀がそれすらも斬りつけ、同時になにかを弾いた。そして、また靄となる。
「これはすごい」
今度は横から。斬りつけ、消える。
「噂は本当か」
燎の横から。斬りつけ、弾き、消える。
綾華が消す度に、どこからともなく現れる。
「これはどうだ?」
今度は三体同時。
「くっ」
三方向からの敵に対し、綾華は一振りで斬りつける。それらは靄となって消えたが――無傷とはいかなかった。
太股部分に切れ込みが入り、血が滲んでいる。
「おい!」
「大丈夫、これくらい……」
一瞬、余裕そうに見えたものの、咳が止まらなくなり始めた。そのことに狼狽しているのが、燎でも分かった。
「――猛毒だよ」
「ハハハ」
「邪魔者が消える」
「愉快だ愉快だ」
四方八方から現れる、同じ姿の子供。一様に仮面をしてボロボロの白いローブを着ている。
奇怪な状況の中で綾華は咳き込み、血まで吐き出し始めていた。みるみる顔色が悪くなっていく。明らかに普通ではない。
「逃、げて」
振り絞るように彼女が告げる。
見ず知らずの人間。逃げるべきなのはわかっている。ヘルハウンドを一発で仕留めた綾華。それなのに、どうやったのか彼女を死に至らしめようとしている子供。
とてもではないが敵わない。戦わずしても分かる。
だが、目の前の彼女を助けたかった。今まで見殺してきた人間なんて大勢いる。この場所でも、施設でも。そうしなければ生きられなかったから。
なのに。なぜか、逃げたくないと思ってしまっている。足が動かない。
「――早くっ!」
叱咤する声でようやく足が動いた。彼女とは逆方向に。
背を向け走り出す。後ろを見ると彼女は動いていなかった。倒れ、伏している。
逃げる、全速力で。屋上のドアに手をつけ――
「逃がすわけないでしょ」
息がかかるくらいの近さで、背後から声がかかる。
鳥肌が全身に立つ。
しかし、声を無視し、扉を開けた。
「ざんねーん」
中には、子供がいた。仮面被った幼い子供が。屋上にいるやつらとまったく同じ。
無視して横を通り過ぎようとするも、それは出来なかった。
「ハハハ、むりむりー」
「無視しないでよー」
「怒っちゃうよ?」
階段奥からわらわらと現れてくる。
進むことは出来ず、暴れても抑えられる。
「やめろっ、くそっ、離せっ」
「威勢がいいねー」
「解体の時間だー」
「お味は?」
「どうだろー」
無造作に投げられ身体を抑えられる。
投げ出された先には、綾華がいた。しかし、すでに目に生気はない。
「はい、こっち向いてー」
振り向いた先、そこには何もなかった。何人もの彼らが見える。しかし、なにかが首筋を貫いた。
ドクン、と強く心臓が跳ねる。苦しいなんてものではない。見えない何かが身体の中で暴れ回る。
「ぁぁぁぁああああああっ!」
チカチカと残像のように視界が濁る。
思考は鈍く、ただただ感覚を享受する機械となる。
「――んー、さすがにこれはなかなか美味」
最後に聞こえたのは、無邪気にも思える声だった。
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