第19話 されこうべと血⑤


髑髏どくろを持って回った僧侶と言えば、一休宗純だな」

 帰りの電車の中、吊り革に捕まり車窓を見つめる茜が、ぼそりとそう呟いた。

「そうですね。めでたくもありめでたくもなし、『狂雲集』ですね」

 龍円がそう返すと、茜は高いところから、こちらを見下ろしつつ微笑んだ。

「さすが寺の子だな」

「まあ、宗派はちゃうんですけどね」

 龍円は苦笑うと、やはり窓の外へ目を向けた。

 もう日はほとんど山の向こうに落ちている。薄桃色と薄闇色を、気の赴くままに刷毛で掃いたような空の色が迫り来ていた。

 車内は比較的空いていたが、それでも四人が並んで座れるほどの余地はない。椎菜と村岡が並んで座る前に、茜と龍円が立つ形で四人は向き合っていた。

「鈴木少年、あれ、確か正月の話だったよな? 昔は、年をとるのは正月一斉にだったか」

 見上げながら問う村岡に、龍円は「はい」と頷いた。上目遣いの村岡という、珍しいものが見えている。

「年とるいうんは、冥土の旅地の第一歩。つまりメメント・モリいうことですね」

「さすが、一休さんは洒落てるな」

 感心しているのか馬鹿にしているのか、片笑みながら肩をすくめた村岡の隣で、少し眠たげな椎菜が「秘密の王子様だもんねー」とぼそりと呟いた。

 全員、木原から聞かされた『されこうべを持つ僧侶』というイメージを、胸の中に抱えていた。情報としては重要だし有意義だが、あまり嬉しくはない帰路の土産である。

 今日まで龍円達がイメージしていた『甲子園の魔物』は、あくまでも『球児の霊』、それも自殺した――というものだった。それが突然与えられたこの証言によって、意味合いも中身も、がらりと変わってしまったのである。

 像というものは強力だ。それが誤りであると撤回されてしまった時に、それを起点として深めていた理解は、一瞬のうちに瓦解することになってしまう。

 宗教において偶像崇拝が禁止されている理由は、もしかしたらその辺りにも潜んでいるのかも知れないと、龍円は今更ながらに気付かされた。

「そういう括りなら、西遊記の沙悟浄もだな。あれも首から髑髏を下げている」

 村岡の言葉に、椎菜があくびをしながら「えー」と反応する。

「あれ? 沙悟浄って、河童だっけ? アカネ?」

「俺は河童じゃない」

「え、あんた河童でしょ?」

「河童だった覚えはない」

 従兄妹同士のやり取りに笑いながら、村岡は「いや」と首を横にふった。

「それは日本でだけだな。水神に関わるから混同されただけだ。正しく呼ぶなら沙悟浄ではなくしゃ和尚おしょう。下げている九つの髑髏は玄奘三蔵の前世の首だ。――しまったな、それこそ行きしなにしてた馬鹿話と同じになってしまう」

 村岡が口にした馬鹿話とは何か、全員が直ちに察知した。

 野球部の霊で作るナインの整列。

 そこへ新たな霊が追加されたら、一体目の霊が弾きだされるという、七人ミサキもどき構造の話だ。

 そうして追い出された霊は、また新たに甲子園の砂を持ち帰った球児の元へ姿を現す。そうして新たな場所で仲間を増やしていって、ナインを上回ればまた甲子園へ戻す。

 まるでねずみ講のようだ。甲子園が滅ばない限り、増えてゆく一方の。

 カバンのポケットの中でスマホが震えた。龍円は無言のまま指先でそれを抜き取る。表を見れば、庚午からのメッセージが届いていた。片手で操作して本文に目を通す。

 電車に乗る前に、龍円は今日見聞きしたことを庚午に連絡していた。『甲子園の魔物』は『球児の霊』ではなく『僧侶の霊』かもしれないと。

 庚午からの返答に、龍円は静かな溜息を吐いた。

 ビンゴだった。

 庚午は龍円からのラインを見たあと、自身よりもこの件について詳しく知っている知人に連絡を取ってくれたらしい。

 その人物によると、初めのころは確かに、出現するのは『坊主頭の霊』、もしくは『坊主の霊』だと証言されていという。

 だが、いつの頃からか定かではないが、この『甲子園の魔物』の正体に対する認識には、ねじれが発生してしまったらしい。

『坊主頭』もしくは『坊主』の霊。それが甲子園から憑いてきて、グラウンドに姿を現すようになる。それが、グラウンドにいる坊主頭の霊。甲子園から憑いてきた『魔物』へと文意がズレ、やがて『甲子園から憑いてきた坊主頭の魔物ならば、それは球児の霊だろう』というところに落ち着いてしまったらしい。

 庚午は『恐らく、菰野岩高校の七不思議の流布が起点となって変容してしまったんだろう』と、メッセージを加えてきた。

 確かに、水元が自殺したあと、グラウンドに坊主頭の霊が出れば、それは無念の内に亡くなった水元か、ということになるのは自然な推測だ。オカルトや怪異に対して自然な推測もへったくれもないだろうが、しかし文脈的にはそれで腑に落ちるし、理解がしやすいから七不思議としても継承しやすくなる。

 そうして生まれた曲解は、妙な納得を持って受け入れられ、それ以降に発生した『甲子園の魔物』の目撃談には、その誤った解釈の衣が着せられるようになってしまったのだろう。

 凡そ五年おきに全国を股にかけて繰り返される怪異の目撃談。それ以降、誤解の衣は訂正されることなく、思いこまれたまま継承されて今日に至る――ということらしい。

『次はー桜ー桜ー』

 アナウンスが告げる自宅の最寄り駅名に、龍円は「じゃあ、ここなんで。お先に失礼します」と三人に頭を下げた。電車が速度を緩めてゆく中で、村岡が「鈴木少年」と呼んだ。

「はい」

「ちょっと左手を」

 龍円へ向けて、村岡の手が伸ばされる。言われるがまま彼女の目の前に差し出すと、村岡は自分のポシェットに括りつけられていた一本の紐を解き、龍円の手首に括りつけた。

「あの、なんですかこれ」

「組紐だ。私が作ったものだから遠慮はしなくていいぞ」

「いや、やから、なんでこんな急に」

「何、ただのGPSだ」

「はあ⁉」

「冗談だ。そんなものつける余地があるわけないだろう、こんなほっそい紐に」

 ぎゅっと引き絞られた結び目の上をぽんと叩くと、村岡はにやりと片笑んだ。

「あ、それ私も持ってるよ」

 椎菜が横から左手を持ちあげて見せた。見れば、今しがた龍円に付けられたものとは色違いの、オレンジと黄色、黄緑の三色で組まれた細い一本が巻きついている。

「おそろいだね」

「はあ」

 困惑しながら、龍円は自分の左手首を目の前に持ちあげた、黄色と赤、それから白の三色。ちらりと目を向ければ、村岡自身の左手首には、黒と濃緑と白の三色があった。

 かくん、と全身に圧が掛かり、電車が桜駅のホームで止まる。しゅう、と吐息を吐き出してから、ドアが左右に割れて開いた。

「じゃあ気を付けてな」

「はい、失礼します」

 頭を下げてホームに降り、ドアが閉まって発車したのを見送ってから、結局なぜこれを巻かれたのかの回答は得られなかったなと、龍円は小首を傾げてから、他の乗客に押されるようにしてきびすを返し改札を出た。



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