第16話 されこうべと血②


「おーい! 鈴木くーん!」

 土曜日の朝十時。小南商店の前、手をふりながら大声で呼ばわる椎菜に、龍円は苦笑いを浮かべながら手を振り返した。

 店の軒先のベンチには、茜と村岡の姿もある。椎菜一人がやたらと元気いっぱいなのに対し、こちらの二人には、どこかしら今日も覇気がない。覇気というか、元気がない。生気もあまり感じられない。血の繋がりがあるのは椎菜と茜の方なのに、なんとなく雰囲気は茜と村岡の方が似ている気がした。

「おはようございます、お待たせしました」

 龍円は皆の下に駆け寄り、ぺこりと頭を下げる。

 夜明けの間際、どうにも妙な夢を見た気がする。ただただ暗中を移動していたような、息が苦しかったような、そんな手触りばかりが残る夢だった。寝起きに引きずり、二度寝をして待ち合わせ時刻ギリギリになったのは、まあ龍円の自業自得か。

 と、伸びと欠伸を同時にしながら村岡が立ち上がった。

「なに、私等も今さっき来たところだ。天気がよくて何よりだな、鈴木少年」

「はい。――ところで村岡先輩、それ、上の羽織、中表になってませんか?」

 龍円がタグから見分けて指摘すると、村岡は「おや?」と腕を持ちあげて自分の恰好を見回した。

「あ、ほんとだ」と横から覗きこんだのは椎菜である。

「全然気付かなかったな、横にいたのに」と、自身の顎を撫でながら呟いたのは茜だ。

(あなたは気付かないタイプでしょうね)と龍円が内心思っていると、村岡は両腕を持ち上げ頭の後ろで手を組み、頤を逸らしてにやりと笑った。セクシーポーズのつもりだろうか。

「ふっ、リバーシブルということでどうだ?」

「先輩、さすがに無理があります」

「ちっ、致し方ない」

 顔を顰めてから、村岡は身に着けていた小さいポシェットを外して茜の膝の上に放り出すと、薄手のカーディガンを脱いで着直した。

「さて、じゃあ行くか。茜、さんきゅ」

 と、村岡は茜に手を差し出す。勝手に人の膝にポシェットを放り投げておいて、「持っててくれてありがとう。さあ返してくれ」という、お願いとお礼の一連の全てをぎゅっと濃縮した動作に、村岡の為人ひととなりが現れているなと龍円は呆れながら感心した。

 だが、

「ちょっと待ってくれ」

 そこで、当の茜から制止が入った。

「どした? アカネ」

 茜は感情の死んだような真顔で、全員の顔を見回した。

「左脚と尻が痺れた。立てん」

 それを聞いた村岡がゲラゲラと笑いだす。椎菜は腰に両手をあてて呆れた溜息を吐いた。

「あんた、どんな座り方してたのよ」

「もうちょっと待て。その間に飲み物でも買ってきて待っててくれ」

 龍円達は苦笑しながら、だったらと小南商店に踏み入った。

「こんにちはー」

 からからとガラス引き戸を開けて椎菜が挨拶をしながら先陣を切る。

 レジの中にいたおばちゃんが顔を上げて「はいはい、いらっしゃい」とにっこり微笑んだ。

「あらあら、皆おそろいで。今日はお休みよね?」

「はい。ちょっと同好会の集まりで」

「そうなの?」

 おばちゃんは目を細めながら三人と、それからさり気なく外の茜にも目をやって確認している。

「でも、皆部活はバラバラじゃなかったかしら? 椎菜ちゃんが調べ物の同好会をしてるのは聞いてたけど、村岡さんは家庭科部で、茜君は水泳でしょう? あなた、一年の鈴木君は、まだ部活には入ってなかったわよね?」

 龍円の頭皮にざわっと鳥肌が立った。

 この店にくるのは昼のほんのわずかな時間に限られているのに、高校における素性がすっかりバレている。

 これが菰野岩高校のコンビニエンスストアの実力かと、龍円が恐れおののいていると、椎菜は満面の笑みを浮かべながら肩をすくめてみせた。

「アカネと村岡は兼部なので」

「ああ、そうだったのね。じゃあ今日は調べ物のほうなのね」

「はい。――あ、そうだ」

 丁度いいとでも言わんばかりに、椎菜はおばちゃんの傍に近寄った。

「小南のおばちゃん、うちの七不思議って知ってます?」

「え、菰野岩高校の?」

「はい」

「全部じゃないけど知ってるわよ? じゃあ、今日はその七不思議についての調べ物なのかしら?」

「そうです。あの、野球部の話ってわかります?」

「ああ、川辺のグラウンドで野球部の霊が目撃されるっていう話ね?」

 椎菜が龍円達の方へ目を見開きつつ振り返る。村岡がにやりと口元を笑ませて「ラッキーだな」と呟いた。

 椎菜が真面目な顔をして、小南のおばちゃんの方へと向き直る。

「あのねおばちゃん、私達今日ね、野球部のOBの方々にその話を聞きに行くの」

「あら」

 おばちゃんは細く骨ばった手で自分の頬を触った。

「確か、あれって90年代の半ばくらいだったわよね。菰野岩から甲子園行きが決まったって、大きな垂れ幕も校舎に掛かってお祭り騒ぎだったのよ。だけど、椿つばの水元君ていう、四番のすごい子がいたんだけど、甲子園から戻ってきてから、その子がちょっと様子をおかしくしてしまってね。その後、残念だけど自分で命を絶ってしまって」

「えっ」

 椎菜がばちりと瞬く。

「じゃ、じゃあ、その水元さんていう方が、もしかして、目撃されている野球部の霊、ってことですか?」

「そういうことになってるみたいねぇ、七不思議では」

 え、と全員が声をそろえた。

「七不思議ではって……本当は違うんですか?」

「それがねぇ……」

 言い淀みながら、おばちゃんは頬に当てた手で顔を撫でさする。

「そもそも、最初にグラウンドで幽霊を目撃したのは水元君なのよ」

「へっ⁉」

「それで、嫌だ、もうグラウンドには行きたくないって、おかしくなっちゃってね」

 龍円は村岡と顔を見合わせあった。

 椎菜が「はい」と手を上げる。

「最初に目撃したってことは、水元さんの後にも、誰か霊を見た人がいるってことなの? おばちゃん」

「そうよ。他の野球部員さん達が見たって。そうねぇ、確か三人くらいだったかしら」

「三人」

 うーん、とおばちゃんは小首を傾げる。

「まあ、やっぱり最初の水元君が気の毒だったわね。よっぽどお化けを見てしまったことがショックだったんでしょう。グラウンドに行きたくない、では収まらなくて、学校自体に出てこられなくなってしまって。だから、対外的には事故で亡くなったって話に収まっているんだけど、亡くなった場所が溜池だったから、当時の事を知っている者は、あれは本当は自殺だったんだろうって、暗黙の了解になっているのよ」

「貴重なお話、ありがとうございました」

 背後からばかりと冷蔵庫の開く音がした。いつの間にか場所を移っていた村岡が、ペットボトルの緑茶を手に取りレジに向かってくる。

「じゃ、これで」

「はいはい、お釣りはなしで。ありがとうございます」

 トレーから小銭を手に取りつつ、「これは老婆心だけどねぇ」と小南のおばちゃんは薄っすらと微笑んだ。

「色んなことに興味を持って調べることは、学生さんの本分だから、いいとは思うけれども、危うそうなことに首を突っこんだらいけないよ。探り当ててはいけないことに行き当たってしまうことだってある。そうなったら、取り返しがつかなくなるからね。自分の身を大事になさい、皆ね」

「はい」

 神妙な顔で頷いた椎菜の面には、どこかしら複雑な色が浮かんでいた。

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