第13話 調査部③


「ええと、これはどういった状況なのかしら?」

 職員室から戻ってきた椎菜が図書準備室の中で目撃したのは、愕然として床にうずくまる龍円と、そのすぐ傍にしゃがみ込み、心配そうに様子をうかがっている茜。それから窓際のパイプ椅子に足組みで腰かけて、悠々と文庫本を読んでいる村岡の姿だった。

「椎菜、遅い」

 ぱたん、と本を閉じて、村岡は溜息交じりの視線を椎菜に向けた。

「え、どうしたの? 村岡なんか用事?」

「用事というほどじゃあない。今日の家庭科部の活動がお菓子作りでな」

「え、メニューは?」

 村岡は、とても嫌そうな顔をした。真っ直ぐでさらさらとした黒髪を、指先で肩から背中側に流してから、ぼそりとこう告げる。

「ターキッシュ・ディライト」

「うげ」

 床から茜が呻く。椎菜もまた顔を歪めて見せた。

「あー、そりゃ村岡にはきっついか。で?」

「鍵丸茜なら、胡瓜の塩漬け持ってきてないかと思って」

「ああ、口直しってワケ?」

「そういうことだ」

 村岡がにやりと頷いて見せる。床から聞いている龍円からすれば、どうして鍵丸茜ならば胡瓜の塩漬けを持っているはずだということになるのか、さっぱりわからない。

 当の茜は、龍円のすぐ傍にいた。神妙そうな、しかし実際はほとんど何も動いていないような無表情で、ゆっくりと茜は頷いてみせる。

「残念だが、今日は胡瓜は持っていない」

「というわけで、こっちを勝手にいただいてるぞ」

 そう言いながら、村岡が片手で持ちあげたのはコーヒー缶だった。

「はいはい、それは構わないけども――」

 呆れ声を漏らしつつ、椎菜は次に茜へと視線を向け直した。

「――で? 茜、あんた鈴木君から話聞けたわけ?」

「いや」

 即座に否定した茜を見て、椎菜の顔が「はああ⁉」と歪む。重ね重ね、テンプレマドンナからは程遠い人柄である。

 しかし、茜にとってそんなことは蛙の面に小便なのか、平気な顔をして視線を村岡の方へ向けた。

「というか、村岡も一応『調査部』のメンバーなんだから、椎菜の言いようは少しおかしい」

 茜の淡々とした指摘に「うっさいわこの河童。事実上ただの名義だけメンバーじゃん」と椎菜は返す。

「そうだぞ。名を貸してやっているんだから、ありがたく思ってくれよ椎菜」

 横から言葉を差しはさむ村岡に、「ハイハイ。感謝してますってば心から!」と椎菜は頭を抱えた。

「ほんと、どいつもこいつも……」

 ぶつぶつと口の中で不満を呟き続ける椎菜だったが、それには無反応を貫くと、村岡は「ところで椎菜」とあっさり話をすり替えた。

「なに? まだなんかあるの?」

「なんかというか、この鈴木少年だが、よろしくないものが

 とたん、椎菜と茜の顔色が変わった。

「――ついているって、それは、、のほうよね?」

「そうだ」

 頷いた村岡に、鍵丸の二人は顔を見合わせ頷きあった。椎菜が龍円に手を差し出し「鈴木君」と呼び掛ける。

「あ、はい」

 半ば無意識に、龍円は椎菜の手に自分の手を重ねていた。ぐいと引き上げられ立ち上がらされる。想像を超えた力強さだ。このテンプレマドンナは、すこぶる体幹が強いらしい。

「今の私達のやり取り、あなたがここを訪ねてきたことに関連付くと思う?」

 椎菜の言葉に、龍円は顔を顰めながら「はい」と力なく頷いた。

「オレ、皆さんにご相談があってきました。あの、オレ、何かにとり憑かれて……るんでしょうか?」

 椎菜がちらりと村岡を見やる。村岡は髪を掻き揚げながら、真顔でこくりと頷いた。

「村岡はね、勘がとっても鋭いタイプなの」

「勘が……」

 椎菜の言葉に、龍円は違和感を覚える。

 村岡のアレは、勘が鋭い、などという言い方で括れるものだろうか。そう思って村岡に視線を向けると、村岡はひっそりと笑みを浮かべた。人さし指を立てて見せ、声には出さず唇だけで(黙ってろ)と囁く。

 ああ、やっぱり、あの時見ているところを見られていたか。

 龍円が微かな首肯で了解の意を伝えると、村岡は再び悠々とパイプ椅子に腰かけて窓の外を眺めた。

「だから、こういう話なら村岡抜きではどのみち無理だったわけ。あなたは、運がいいと思う。話を聞きましょう」

 椎菜が「まかせて」と言わんばかりの表情で頷いて見せる横から、茜が「役に立てるかはまだわからんがな」とぼそり付け足した。



 龍円は、ここしばらくの内に起きたことや知ったことを、(村岡と幽霊を目撃した事だけは省いて)包み隠さず『調査部』のメンバー達に話して聞かせた。

 パイプ椅子に腰かけて四人は車座になっていた。全員が、しばし沈黙する。

「ええと、つまり……その幼なじみの斉藤空也君を助けたい、っていうのが、鈴木君の目的というわけね?」

「はい」

 頷いた龍円に「なるほど……」と椎菜は腕組みして難しい顔をした。

 その形で考え込みながら、椎菜は龍円の語ったところを咀嚼しているらしい。

 茜はどことなくぼうっとして見えるし、村岡は膝の上で本を開いたままそちらに視線を落としている。なので、自然と龍円の説明は椎菜へ向けて語られる形になった。

 椎菜が「村岡」と呼び掛ける。

「うん?」

 村岡は本から視線を外さない。ぺらりと一頁をまためくる。

「私個人の意見としては、鈴木君の手助けはしたいと思う。だけど……」

「――それが『調査部』の要項に則っていると言える内容か、大きく逸脱しているか、ってとこか? 椎菜が迷ってるのは」

「そう」

 難しい顔で椎菜は頷いてから、龍円へ目を向けた。

「あのね、鈴木君」

「はい」

「私達『調査部』は、基本的に菰野岩高校、最低でも菰野岩に関連していることかどうかを、調査対象の選別根拠にしているのね」

「はい」

 椎菜が言わんとするところは、龍円にも、もう理解できていた。

「だから、この案件に着手することについてどう思うか、というか、学校側に報告してどう思われるか、というところが論点になっているの」

 ぎしり、と椅子が鳴った。茜が長い脚を持ちあげて組む。

「斉藤空也という人物は海青の生徒だったわけだろう。海青は三日市の学校だ。起点として要項にはそぐわないことになる」

 茜の言うことも、椎菜の懸念も最もだ。彼等はあくまでも菰野岩高校所属の同好会としての範囲でしか活動ができない。もしそこから逸脱してまで協力を頼むというならば、それはもう学校は関係なしに、個人的に彼等へ協力をお願いするという話になってしまう。

 龍円が半ば協力を諦めかけていた時に、ぱたん、と本の閉じられる音がした。

「椎菜」

 呼びかけた村岡に、椎菜が目を向ける。

「こう考えたらどうだ? さっき話を聞いたところによると、七不思議において、菰野岩の野球部のOBも、その『甲子園の魔物』に遭遇している可能性があるわけだろう?」

「そう、よね」

「だったら起点はそこにおいたらいい。鈴木少年のクラスの女子に対して、七不思議の『野球部の霊』についてヒヤリングをするのもいいだろう。それから、鈴木少年が野球部に聞きに込みにいくのが気まずいならば、椎菜と茜、お前達二人が少年に変わって問い合わせればいい。その過程で、さっき言っていたネットの書き込みをした人物に心当たりがあるかどうかも、ついでに確認すればいいんだ。何、調査の最中で対象の像がイメージから逸脱してゆくこと自体は大いにあり得る話だ。何より、起点が菰野岩であるならば、大きく広がれば広がるほど調査研究としての加点も上がる。むしろ好都合じゃないか」

「ああ……なるほど、確かに」

「うまくいくかはわからないが、私も君の幼なじみを救うために協力をしようじゃないか。なあ? 鈴木少年」

 急に話を振られて、龍円ははっと顔を上げた。村岡は、黙ってじっと龍円の目を見つめている。

 ああと龍円は理解した。どうやらそれが村岡なりの、あの日の目撃に対する口止めの条件らしい。

 手段を選んでいる場合ではない。龍円は一つ大きく息を吸い込むと、椅子の上で姿勢を正し、がばっと三人へ向けて頭を下げた。

「皆さん、お手数おかけしますが、何卒よろしくお願いいたします!」


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