第12話 調査部②


 放課後を待って、龍円は一人図書準備室へと向かった。

 準備室というだけあって、当然それは図書室の隣にある。

 龍円は読書家というわけではないし、図書室もほとんど利用したことがない、図書委員などとも全く縁がなかったから、ずっとそこは実体のよくわからない、謎の小部屋だった。

 柊太いわく、鍵丸シスターズは月曜と金曜を『調査部』の活動に充てているらしい。

 そもそもその準備室だって、部室として正式に認められているわけではないそうだ。当初は図書室を使って会合をしていたそうだが、あまりにうるさいので司書さんから怒られ、代わりにこっちを使ってくれと、仮に提供されたというのが事の顛末らしい。

 荷物はロッカーに残したまま、龍円は階段を上る。

 鍵丸シスターズは調査のために二人で校内をうろついていて、準備室を留守にしていることもあると、事前に柊太からは聞かされていた。

 もし訪ねていって、準備室にいなかったらどうしようか。

 活動日時が月曜と金曜だけならば、しばらく待ってみよう。

 そう考えながら、階段を上がり切ってすぐに左へ折れたとたん、図書室の手前に立つ二人の人影が目に入って、龍円はびくりとした。

 思わず、「ぐっ」と喉の奥を鳴らしてしまう。

 そこに並び立つ女子生徒と男子生徒の二人組は、思わず固まってしまうくらいに容姿がよかった。

 まず、龍円から見て手前側に立つ女子生徒。

 一言で言えば、深層の令嬢もかくやと言わんばかりの美少女だった。

 さらりと艶やかなセミロングの髪に、ぱっちりと上を向いた長い睫毛。うっすらピンク色をした唇。むきたての卵のように艶やかで健康そうな肌。そして健康的でゆたかな胸元と、それに反して華奢な手足。

 確かにこれはテンプレマドンナだ。呆れるばかりの完璧さに、もう絶句するしかない。

 それから、もう一人がすごかった。

 ブレザーを纏っていてもわかる、バッキリと筋肉質でいて均整の取れた逆三角形のすごい長身。イケメンとかアイドルとかいう枠とは異なる、古式ゆかしき男前な面相をしている。その中でも特に印象強いのは、白目の部分が青く見えるほどに透き通った三白眼気味の目。

 これはまずい。

 男性枠の最高峰と、女性枠の最高峰の二人が並んでいるといったこの状況、ビジュアルの圧の強さだけで、もう負けた気がするくらいの迫力だった。

 思わず「はっ」と息を吐きだすと、マドンナの方が「あの」と声をかけてきた。

 見た目の印象とは少し違う、落ち着いたアルトの声質だった。

「何か、ご用でしょうか?」

「あっ、あの」

 しまった。完全に至近距離でガン見していた。初対面にしてこんな失礼な話はないだろう。龍円が慌てていると、後ろに立つ巨人が小首を傾げた。やけに仕草がかわいらしいように思われるのは、龍円の気のせいだろうか。

 とにもかくにも状況を挽回だ。龍円は、びしりと姿勢を正して頭を下げた。

「あの、はじめまして。一年の鈴木龍円と言います。あの、『調査部』の鍵丸シ、じゃない、鍵丸先輩方、でしょうか」

 龍円がそう問うと、マドンナはぱちくりと目を瞬かせてから、大きくその目を見開いて頷いた。

「はい、はじめまして。ええと、何か私達に用事かしら?」

「椎菜」

 後ろから逆三角形の巨人がマドンナに話しかけた。

「中、通したらいいと思う。話があるから来てるんだろうし」

 親指を立てて、逆三角形の巨人は図書準備室の中を指し示す。

「ああ、そうね。あの、アカネ、あんた……対応って、大丈夫そう?」

 アカネ、と呼ばれた逆三角形の巨人は、どことなくどこを見ているかわからない目をして再び小首を傾げると、「多分」と凄まじく不安になる調子で答えた。

 龍円が内心で(えええ)とうろたえていると、椎菜と名を呼ばれたマドンナが、くるりと龍円の方へ身体を向けた。

「あの、鈴木君だったかしら」

「は、はい」

「私これから、ちょっと職員室に行かなきゃいけないのだけど、中で待っててもらえるかしら?」

「あ、はい。それは大丈夫です」

 椎菜の人差し指が、ぴっとアカネを指し示す。

「こいつ、ああ、こんないかつい感じだけど、一応害はない人間だから」

 椎菜の言葉にアカネが唇を尖らせる。

「椎菜、それは俺に対してとても失礼だ」

「はい、あんたは口を河童にしない! あの鈴木君、受け答え頓珍漢な時もあるけど、コイツ落ち着いて話は聞けるヤツだから、もしよかったら先に話しててくれる?」

「わ、わかりました……」

「じゃ! ちょっとごめんねー!」

 さっと手を掲げて小走りに去っていった椎菜の背を、男二人は黙って見送る。

 龍円はぱちくりと瞬きしてから、椎菜の外見と中身の乖離について、柊太に説明してやるべきかどうかを考えた。考えてから、まあいいかと一息吐き、ちらりと傍らのアカネを見上げた。

 感情に乏しい表情。うらやましいこと限りがない高身長に、がっちりとしたくましい体格。清潔感と精悍さを併せ持った端麗で日に焼けた顔。

 その顔が、ちらりと龍円を見下ろした。唇は何故か、まだ河童の形に尖っている。その表情のまま、アカネは開けかけていた準備室の扉をぎいと開いた。

「二年A組、かぎ丸茜まるあかね。よろしく。まあどうぞ」

「よ、よろしくお願いします」



「名が龍円というなら、家は寺だろうか」

 準備室の中に通されてすぐに、茜からそう問われて、「はい」と龍円は頷いた。

「先輩、鹿鈴寺ってご存知でしょうか?」

 茜の顔が「ああ」という表情になる。

「知っている。三日市との市境にある寺だな。確か真宗だったか」

「そう、そうです」

「親父の葬式で世話になったはずだ」

 瞬間、龍円はどきりとした。しかし、茜はちょうどその瞬間、龍円に対して背中を向けていた。がたがたとパイプ椅子を二脚動かしてきて、一つを龍円の前に差し出した。

「どうぞ、使ってくれ」

「ありがとうございます」

 二人各々椅子を広げて相対する。

「もう十年以上前の話だ」

「えっ」

「親父の葬式」

 ふっと茜の目許が細められる。共に椅子に座り向かい合ってみれば、存外威圧感のない人だ。そもそも、彼は他人に対して威圧するなんて気はさらさらないのかも知れない。

「それで早速だが、話というのは何だろうか。もし椎菜と話すことが目的ならば、このままアイツの戻りを待っていてもらっても構わないんだが」

 真顔で続けられたその言葉に、あっと意味を察知した。なるほど、マドンナ目当てでやってきたと思われる可能性を完全に失念していた。

「そこは全然大丈夫です。いや、むしろ鍵丸……茜先輩に聞いていただけた方が助かるかも知れません」

「……そう」

 茜は意外そうに目を少し見開いてから、「わかった」と頷いた。

「実は――」

 龍円が顔を上げて切り出そうとしたその瞬間だった。

 背後でがちゃりと扉の開く音がする。

「鍵丸茜いるか? すまんちょっと頼みが――」

 椎菜のアルトボイスより、もう少し低いアルトの声が室内にこだまする。

「どうした、村岡」

 茜が顔を上げて見た先に、釣られるようにして龍円もまた目を向けた。

 びくりと龍円の全身が跳ねる。

 長く伸ばされた黒髪に、長身に恵まれた華奢な肢体。わずかに上げた尖るおとがいと、すっと切れ長の鋭い眼差し。

 菰野岩高校の制服をまとったその女子生徒は、その鋭い眼差しを龍円に向けた。まるで、わざと遠くを見つめるような、そう、まさに観想するような目線で龍円の輪郭を見つめてくる。

 次の瞬間、女子生徒は、すたすたすたと、淀みない速度で室内に踏み入ってきた。

 彼女が向かったのは、知己らしい茜の方ではなく、龍円の方だった。瞬く間に間合いをつめ、ぐっと顔を龍円の耳元に近付ける。すん、と一つ、龍円の首元の匂いを嗅ぐと、女子生徒は、ばっと離れた。

 何が起こったのか付いていけない速度で始まり、そして終わったその行為。龍円が呆気に取られているうちに、彼女は顔を険しくして、右手の甲で自身の鼻と口元を厭そうに拭った。

 そして、じっと龍円の目の奥底を覗き込みつつ、続けてぼそりとこう呟いた。

「――少年、君それは、一体何に行きあった? 随分と古い怨嗟だぞ」

 あの夜、裏山で顔面の焼けただれた化け物を見つめていた女子生徒は、静かに龍円へと、そんな言葉を突きつけた。

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