3.調査部

第11話 調査部①


 明けて月曜。

 午前の授業を終えた龍円と柊太は、共に校舎の敷地外へと向かっていた。

 移動の最中、体育館と校舎をつなぐ渡り廊下の屋根の下で、購買のパン屋が商品を広げているのが見える。

 二人とも昼は弁当持参だから、購買に立ち寄るつもりはない。トレーの周りに群がる生徒を後目に、てくてくと校門へ向かって進んでいった。周囲には、二人と同じ方向へ向かう生徒の姿も散見される。目的地は皆同じだ。

 校門の脇戸から外へ出ると、すぐに左折する。すると、高校のすぐ隣、敷地にめり込むようにして建っている、古い一軒の店がある。

 小南こみなみ商店。軒下には、店名が記された古い看板が掲げられていた。

 菰野岩高校の愛すべきコンビニエンスストアである。飲み物、お菓子に果ては学用品まで、日々の不足は、ここへくれば大抵のことは解消される。ただし、店を営んでいるのは老齢の夫婦だから、なるべく負担をかけないよう、万札を使わないだの、買い物は手早く済ませるだのという暗黙の了解が、生徒間に定着していた。

「こんにちはーおばちゃーん」

 ガラスの引き戸をくぐりつつ、柊太が声を掛けながら先んじて店に入る。

「あら、いらっしゃい」

 小柄な老女が振り返って微笑んだ。小南のおばちゃんである。

 ザ・昭和といった印象のおばあちゃんだ。灰色がかったパーマヘアに、小花柄のワンピースをまとっている。全体的に動きはとてものんびりとしているが、時折動かす視線の中に、この年代のおばあさんとは思えないような、鋭い光を浮かべることがあるなと、龍円はぼんやり思っていた。

 店の奥には、おばあさんとよく似た印象の小南のおじちゃんがいる。椅子に腰かけ、前に立てた杖に両手を預けている。龍円の見立てでは、二人とも恐らく八十歳近い。

 店には次から次へと生徒達がやってくる。皆勝手知ったるなんとやらで、釣りが要らないよう、最初から買うものも決めて小銭を用意している者がほとんどだ。

 柊太と龍円も、おのおのミックスジュースと野菜ジュースを手にレジへと向かう。おばちゃんに商品を見せ、「じゃあ、二人で何円置いていくね」と言って、そのまま退散する。

 流れが滞らないことが何より重要なのだ。

 店を出て、再び校舎へと戻る。教室のロッカーに入れておいた弁当を手に取ると、二人屋上へと向かった。

 高いフェンスに囲まれた屋上には、数台のベンチが設営されている。そのうちの一台からカップルが立ち上がりかけたところを柊太が目聡く見抜き、瞬く間にその席を確保した。全く手際がいいものである。

 恩恵にあずかり、そのベンチに腰を下ろす。膝の上に弁当を広げると、二人同時に手を合わせて「いただきます」と合掌した。

「で? 話って何だった? 龍円」

 卵焼きを箸で切りながら問う柊太に、龍円は口に放り込んだばかりの米を慌てて飲みこんだ。

 普段、龍円と柊太は教室で昼食をとっている。そんな二人が今日、わざわざ屋上に場所を移したのは、龍円から切り出した「内々の話を聞いてほしいんだが」という持ちかけに起因する。

 この期に及んで、少しばかり躊躇した龍円だったが、「ん?」と小首を傾げて微笑んだ柊太に、ようよう覚悟を決めた。

「実はさ、オレ、この間クラスの女子達が七不思議の話をしてるとこに遭遇してさ」

「七不思議って、菰野岩高校の?」

「そう」

 龍円は頷いてから、ウズラの卵を口の中に放り込んだ。

「その中でさ、野球部が川辺グラウンドで、球児の霊を目撃するって話があって」

「何それ怖。ええと、野球部が、野球部の霊を目撃するってこと?」

「そう。それで、ちょっと調べて見たらさ、ネットに似た話がいっぱい上がっててさ」

「え、それマジの話?」

 顔を固まらせた柊太に、龍円もまた顔を強張らせて頷く。

「オレ、叔父さんが怪談とか好きな人で、ちょっと昨日話したんや。そしたら、えらい昔からそういう話があったみたいで、何年かおきに同じような話が出てくるんやって。それも全国各地で」

「全国各地に出没する野球部の霊ってこと?」

「いや、その霊が同一霊物なんかどうかまではわからんよ。でも、その霊を目撃するのは、どうも決まって甲子園に出場した球児みたいでさ」

「えー……それもまた気色悪いな。えー、甲子園? あの汗と涙と青空で固めたみたいな、青春の夏の権化みたいな甲子園?」

「そう……いや、柊太の目には甲子園てそんなふうに見えとんの? いや、まあええんやけど、その目撃した球児が、なんかおかしくなってまうらしくて、人によっては自殺してまったりしとるらしいんや」

「それは……なかなかキツイ話になってきたな」

「でな、叔父さんいわく、その話がここ数年ぱったり聞かれんくなっとったらしくてさ」

「うん」

 そこで龍円は、こくりと生唾を飲みこんだ。

 ここから先を話すのには覚悟が必要だった。ここまでならば、噂話や巷に蔓延る怪談についてのおしゃべりで済ませることができる。だが、ここから先には我が事が絡む。

 相手が柊太であるとはいえ、これはなかなかセンシティブなところに踏み込む話だ。どこまでなら口に出してもいいか、慎重に考えてから話さなくてはならない。龍円個人だけでなく、場合によってはそこに登場してくる人物――つまり空也のこと――を、公に晒すのと同義なのだから、慎重に慎重を重ねても足りないくらいだろう。それでも、龍円は柊太に相談をしたかった。

 まだ二週間ほどの付き合いだが、柊太の人柄や言動、情報網には信頼がおける。龍円はそう判断した。

「あのな、柊太。オレの幼なじみが、去年海青から甲子園に行ったんやけどさ、帰ってきてからおかしなってまって、ずっと引き籠っとんねん」

「――そう、なんだ」

 柊太の眉が、ぎゅっと顰められる。

「それ、ええと、龍円」

「うん」

「それは、その全部が同じ話なのかも知れないって、そう考えてるってことだな?」

「そう」

 龍円は頷くと、難しい顔で弁当箱の中身を睨んだ。

「叔父さんが言うにはさ、その怪異の目撃談が止まってたここ数年の間にな、何か止まる理由があったかも知らんて」

「ああ、まあ相関するものがあるかも知れないとは考えるよね」

「でな、叔父さんさ、その時期にあった他の時期との違いにさ、コロナの影響での、甲子園の砂の持ち帰りの禁止があったって言うんや」

「ほう?」

 柊太の目が、その鋭さを増す。

「つまり、甲子園の砂を持って帰った甲子園帰りの球児が、地元に戻ってから球児の霊を目撃してるってこと?」

「という可能性が高いかもしれんっていうな、まだ推測なんやけど」

「え、あ、でも待って? 龍円の幼なじみも、その霊のせいかなんかで引き籠ってるのかも知れないんだろ?」

「そう、だから、ちょうど去年からなんや、甲子園の砂の持ち帰りが解禁されたん」

「あー……そうなんだ、うわ、甲子園てあんまり見てないから、持ち帰りが禁止になってたのも、解禁になったのも知らなかったわ、僕」

「まあ、野球やってなかったら、そりゃね。だから、まあその、オレの幼なじみ、ほんとに全然しゃべってくれんから、ほんまに同じ『甲子園の魔物』に襲われとるうちに入っとるんか、霊を目撃してるんかはわからんのやけど、もし入っとるんやとしたら――」

 先を濁した龍円に対し、柊太は眉を顰めながら目を閉じ腕組みした。

「んー、23年に砂の持ち帰りが解禁されて、それを持ち帰ったことが怪異に遭遇する引金だとするならば、それで、その龍円の幼なじみが引き籠っちゃってる原因が本当に甲子園の砂の持ち帰りだったならば、その『甲子園の魔物』に関する点と点を結ぶミッシングリンクの一つが判明することになる――って話か」

「そう」

「なるほど、理解した」

 柊太は目を開けると、頭をばりばり掻きむしってから、ハンバーグを口の中に放り込んだ。

 色素の薄い柊太の癖毛が、ぱらりと度の強そうな眼鏡の上にかかる。その奥にあるくりくりとした目の下には、わずかばかりのそばかすが散り、咀嚼をしながらその表情は、何かを深く考え込んでいるようだった。

 こくりと嚥下すると、柊太はじゅっとフルーツ牛乳を吸い込んだ。

「龍円は、どうしたいんだ? その友達を助けたいんだよな?」

「――うん。そのために、何か少しでも情報を集めたくて」

「それなあ……野球部の連中に聞けば、うちの七不思議の話も同じことなのか一発でわかるんだろうけど、まあ、デリカシーには欠けるというか、龍円からは切り出しにくいよな」

「そうなんだよ……」

 柊太は珍しく、何の感情も読み取れないような顔をした。その目でしばらくフェンスの外を見つめてから、ふっと再び龍円の顔に視線を移した。

「そういうことなら『調査部』はどうだ」

「調査部?」

「うん」

 柊太は頷くと、手にしていたフルーツ牛乳をすすった。

「うちの高校にある同好会の一つだよ。図書準備室をねぐらにしてて、正式名称は菰野岩高校の謎調査同好会」

「それ、『部』がついとらんくない?」

「だから通称なんだとよ」

 柊太はどこか、鼻白んだような眼差しで、サラダのトマトを箸で突き刺す。

「メンバーは全部で三人。全員二年生だ。そのうち、二年のかぎまるシスターズって呼ばれてる二人が中心になって活動してる。シスターズって言われてるけど、一人はめっちゃでっかいマッチョの男だ」

「めっちゃでっかいマッチョ……いや、じゃあなんでシスターズなん」

「もう一人のかぎ丸椎まるしいってのが、マドンナとして有名だかららしいぜ。キャラ圧が強いっていうか、それでマッチョの方の印象が霞んで、ブラザーズじゃなくてシスターズになってると」

「詳しいな、柊太」

 マッチョの印象が霞むくらいに圧があるマドンナキャラって何だよと思いながら呟いた龍円の言葉に、柊太は「まあ、ちょっと事情があってさ」と肩をすくめた。

「一応学校側には、菰野岩高校にまつわる色々な背景を調査してまとめるっていう、地域調査研究会的なものだってことで通してあるらしいんだけど、実情はもっとオカルト同好会的っつーか、興味の向きは結構下世話な方っぽいぜ」

「なんか、楽しそうではあるな……」

「暇を持て余した勝ち組達の遊びじゃね? 知らんけど」

 常になく、柊太の言葉の端々には棘がひそんでいる気がする。少しだけ不思議に思いながら、龍円は気になったことを問うた。

「なあ柊太。さっきメンバーは三人って言うてなかったか? もう一人おるんやないんか?」

「ああ」

 柊太はこくりと頷いてから、小さく肩をすくめて見せる。

「いるいる。なんか、やたらめっぽう頭が切れる二年の女子らしい。同好会は設立するのに規定で三人いるから、名義だけ貸してるってことらしいぜ。普段は家庭科部に居座って、ずうっと本読んでるとかなんとか」

「家庭科部で読書って、それ家庭科部なんか?」

「まあだから『調査部』ってのはそういうとこだってこと。だから、うまいこと興味を持たせることができたら、野球部に対して探りをいれるの、代わりにやってくれそうな気がするぜ」

 そこでようやく、なぜ柊太がその『調査部』というのを勧めてくれたのかがわかった。

「なあ、その『調査部』さ、柊太も一緒に行ってくれないか?」

 龍円が何気なく頼むと、柊太は思い切り顔を顰めて「嫌だ」と強い口調で即断した。

 柊太にしては珍しい反応に、龍円がぱちくりと瞬いていると、自分でもきつく言い過ぎた自覚はあったのか、柊太はそっぽを向いて小さく唸った

「悪い。――僕さ、ああいうテンプレっぽいマドンナ女は好きじゃないんだよ」

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