第14話 調査部④


「黙っていてくれて、ありがとうな。鈴木少年」

「いえ」

 隣に並び、同じように自転車を押す村岡に、龍円はまだ少しばかり戸惑っていた。

 何故こうなったのか。『調査部』で今後の流れを少し相談したあと、連絡先の交換だけを済ませて、早々に準備室を辞そうとした龍円だったが、立ち上がった彼に引き続き、村岡もまた椅子から腰を上げたのである。

「野暮用があるから自分も帰る」とのことだったが、どう考えても野暮用なんてものがあったはずがない。

 それでも同行を断れるような空気はなく、二人はこうして校舎の裏道を上っていた。

「あの……」

 恐る恐る目を向けた龍円に、村岡は「うん?」と声だけで返事をした。

 夕空が背後の山々から迫り広がる時刻。薄いオレンジ色に染められた村岡の肌は、まるで透き通っているように龍円には見えた。

「村岡先輩、黙っててありがとう、ってことは、鍵丸シ、じゃなくて」

「別に私の前では言っていいぞ? 鍵丸シスターズって」

 思わず龍円も「ぶっ」と噎せる。

「それ、そう呼ばれてるってこと、知ってるんですか? ご本人方は」

 口元をぬぐいながら聞くと、村岡はさも機嫌が良さそうに「ははっ」と笑った。

「さぁて、どうだろうか。まあ、あいつらなら気にも留めんよ。逆に笑うと思う」

「そんなもんですか」

「ああ、気のいい奴等だからな。――だから、まあ黙っておきたいということだな」

「……知らないんですか、鍵丸さん達は」

「勘が強いんだとは言ってあるが、そこまでだな。実際勘働きが強いことは折々に触れてバレるし」

「バレる、ものですか」

「近付いてはならない危険なものが、そこにあるとわかっているとき、周りがそれを絶対に察知できないとして、鈴木少年は周りに合わせることを優先して、黙ってそこに足を踏み入れるか?」

「いや……いやですね、遠慮します」

 村岡は「だろう」と笑った。

「そういう本能的なことはガマンできんものだよ。だから自然とバレるんだ。ただ、はっきりと見えることまでは誰にも話していないな」

 村岡が、そこでようやく龍円に目を向けた。

「鈴木少年。君、あの日、見たんだろう? あの子のことを」

 あの子、というのがあの幽霊を指していることはさすがにわかる。龍円は素直に「はい」と頷いた。

「顔のほとんどが焼け爛れている、女の子の霊ですよね?」

 さすがにあの時感じたそのまま、化け物ということは控えた。村岡の態度からして、恐らく、そんなふうに呼びならわしてはいけない存在なのだろう。龍円の問いに、村岡は「ああ」と首を縦にふった。

「そうだ。鈴木少年も、元々見える方だったか?」

「いえ、全く」

「じゃあ、例の空也少年に迫られたのを契機に、見えるようになったということか」

 迫られて、という表現に引っかかりはしたものの、空也は俯きがちに「多分」とまた頷いた。

 村岡はわずかに唇を曲げた。鋭い目で前方を睨む。

「こういう形で見えるようになってしまうというのは、本当はやっぱり望ましくはないんだよな。それはわかるか?」

まずい、てことですか」

「そりゃな。よくはないものに能力を無理矢理引きずり出されているわけなんだから、良いはずがない。これは『球児の霊』が見えるようになってしまった甲子園帰りの球児達の現象と同じモノだ。アレも見る力を無理矢理引きずり出されたものだろう」

「そう、ですか」

「鈴木少年が空也少年を助けたいように、実のところ君もすでに要救助対象となっている。その辺りについては、もう少し自覚的であったほうがいい」

 二人の目の前で、信号が赤になった。横断歩道を前に、自転車を並べて立つ。

「――あの子のことだが」

「はい」

「服に隠れてわかりづらいが、あれはほとんど白骨化してしまっているんだ。言葉も通じない。ただ、どうしてもあの場所から離れられずにいる。どうしてあの場所なのかは本人もわかっていないみたいだけどな。私が彼女をはじめて見たのは、一年の夏だった。害は感じないので、時折ああして顔を見に行ってるんだ」

「不思議や」

 思わずぽろりと本音が口から飛び出た。

「不思議か?」

「不思議です。村岡先輩は、霊を悪い物とは考えてないみたいや」

「そう思うか?」

 信号が青に変わる。二人一歩を進みだす。

「そうやなかったら、そんな何回も会いに行ったりしないでしょう」

「確かに、そうだ」

 村岡は愉快そうに笑うと、悪戯げに笑った。

「霊だって元は人間なんだ。良いやつがいれば悪いやつもいるだろう。生きてる我々だって十把一絡げにはされたくないんだ。人柄ならぬ霊柄くらいは見極める気概をもっていたい」

「そう、そうですね」

 そこで十字路に出た。

「さ、私はこっちだ」

「ああ、オレはこっちです」

「何かあったらすぐに連絡をくれればいい。しばらくは一人で深夜に行動しないように、それだけ気を付けろ。あと――」

 村岡の目が、またどこか遠くを見るような目で龍円の輪郭を眺めた。

「どうも、君には道がついてしまったらしい。あまり大きな違いはないかも知れんが、空也少年のところへは、決して一人で行くな。いいな」

「……わかりました」

 背中を向けて道路の向こうへ渡っていった村岡を見送ると、龍円もまた背中を向けた。

 ポケットの中に入っている、スマホの存在を、なぜか少しだけ強く意識した。

 さっき交換したばかりの連絡先に書かれていた。村岡のフルネームを思い出す。彼女の容姿と言動と、そういったものとは少しばかりズレているように感じて、龍円は少しだけ笑った。

 村岡むらおか咲笑えみ

 そんなかわいらしい名前が、彼女のフルネームらしい。


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