第8話 文化祭、緑かぶりの一枚

体育館の床はワックスでつるつる、バスケの緑のラインがやけに元気。天井には真新しいLEDの直管がずらり。写真部の展示パネルを立てて、私と朔はプリントをマグネットで留めていく。テーマは「放課後エトワール—三十分だけの撮影協力」。もちろん匿名、クレジットはEtoile 協力。


「この一列、手の“所作”でまとめよう。ベル磨き、氷、結露、花火のスイッチ」

「“朝パン”は端っこ、人気出そうだから」


朔が笑う。私は頷き、最後の一枚——“氷の音”——を中央に掲げた。指先の角度、グラスのくびれ、光の輪。昨日まで何度見ても肌色がやさしい写真だったのに——


「……緑?」


思わず声が出た。中央のその一枚だけ、肌が薄く緑色に転んで見える。左右の写真は普通。紙は同じロット。インクも同じ。なのにその一枚だけ。


「わ、ほんとだ。緑かぶり」


朔が一歩引いて、天井を見上げる。私もつられて見上げる。LEDの列、中央の一本だけメーカー違い……ではなさそう。どれも白くて清潔。床からの緑ラインの反射も気になるけど、左右の写真には影響してない。


「位置、ずらしてみよ」


私は緑っぽい一枚と隣の一枚を入れ替えた。——緑になるのは“場所”のほうだった。写真が移動しても、中央のスポットだけ緑に見える。


「つまり、光源側が原因」


朔はカバンから色見本チャートを取り出し、緑スポットの下にかざす。肌色パッチがやはり青緑寄り。私は壁に手を当てた。白壁も、そこだけ微妙に青緑。気のせいじゃない。


「LEDの演色が悪いのか、スペクトルが偏ってるのか……」


ちょうどそこへ、顧問の先生が脚立から降りてきた。「その列だけ器具を新調したんだ。節電タイプらしいよ」


節電タイプ。蛍光増白剤入りの光沢紙は、青の波長を吸って青白く発光するクセがある。もしそのLEDが青成分に山が強いタイプで、しかも**赤(R9)**が弱ければ——肌の赤が痩せて、相対的に緑が目立つ。


「紙のOB(蛍光増白剤)がLEDの青で余計に光る→青が増して赤が減る見えになってる?」


朔がうなずく。「床の緑ラインの反射も、ちょうどこの高さで跳ね返ってる」


私は可視化のために、手早く“ミニ実験”をした。

1.緑スポットの下で白紙と写真用紙を並べる(OBのあるなし)

2.スマホのカメラを固定し、露出固定で交互に撮る

3.その場でヒストグラムを見る——G(緑)が一段高い


「決まり。光源×紙×位置の三点セット」


「対処は?」


「掲示位置を10cm上げる(床反射から外す)、間に“拡散板(トレーシングペーパー)”をかませて光を柔らかくする。紙はOB少なめのマットに差し替え。キャプションに“光のいたずら”の注釈を付ける」


朔がにやっと笑う。「手順カード、いこう」


———

《展示・色転び対策カード》

① 緑転び箇所=光源+床反射の合流点

② 掲示位置を10cm上げる/床の緑ラインから50cm離す

③ 拡散紙(薄いトレペ)を照明側に1枚

④ OB少なめマット紙へ差し替え

⑤ キャプションに「この一枚はLEDの波長と紙質で緑寄りに見えることがあります」

———


作業を始めると、早瀬伶が顔を出した。「いいね、可視化。で、二人の匿名のやつも可視化しとく?(にや)」


「匿名は匿名!」

「匿名の撮影協力メモは飾るけど」


私がキャプションボードを取り出すと、朔が小声で囁いた。


「“更新”の言い換え、覚えてる?」

「うん。『またお願いしていい?』」


伶がすかさず割り込む。「甘度+0.5、本日限りで公開予定」


「なんの指標」


笑っていると、通りがかった後輩が展示中の**“撮影協力メモ(匿名)”**に目を止め、声を上げた。


「え、店内だけ・顔は撮らない・三十分って、これ誰ですか!? 尊い!」


ざわ。半バレの足音。私は一瞬固まったが、朔が自然体で笑った。


「公共の場所での撮影協力のルール見本。同意の見える化ね」


顧問も頷く。「校内展示としても満点だ」


伶が私の肘をつつく。「逃げずに言葉で守った、勝ち」



昼の公開が始まると、思った以上に人が集まった。“手だけ”の連作は性別問わず足を止めさせるらしい。氷の縁、ベルの真鍮、花火のスイッチ。所作の写真は、声を出させない代わりに息をそろえる。


「これ、手の人、誰ですか?」

「匿名です」


私は何度か同じやりとりをした。ドキドキは、ルールで横抱きにしてある。


中央の“緑スポット”は、予定通り解決。掲示位置を上げ、拡散をかませ、マット紙に差し替え——肌色が戻った。対策カードはキャプションの下に貼り出した。善意を隠さない手続き、ここでも。


「ねえ、あれ見て」


朔が顎で示す先に、星野店長と涼介さん。二人とも展示の前で腕を組み、うなずいている。半バレどころか、ほぼバレ。でも、守ってくれる人たちのバレだから、不思議と怖くない。


そこへ、二階から三田村香織さん。展示を一巡して、私たちの前に立つ。


「きれい。説明が付いてるきれいは、もっときれいね」


「ありがとうございます」


香織さんは撮影協力メモのコピーを指でとんとん、と叩いた。


「約束は、守るためにある? それとも、変えるためにある?」


出た。香織問い。私は少し考えて、答えた。


「**守るために“書く”**けど、**変えるときの“合図”**にもなる、です」


朔が笑う。「言い換えは、合図だよね」


香織さんが満足そうに頷いた、その時だ。

展示の脇で、**黒縁メガネの男子(写真部の同級)**がスマホを掲げる。


「はい注目ー! 『この“手だけ連作”のモデルは誰でしょうクイズ』やりまーす!」


「やめろ」


朔と私の声が重なった。伶は肩を震わせて笑っている。黒縁は悪気がないタイプの厄介だ。私は言葉を選ぶ。


「クイズより、こっちを見て」


私は対策カードを指差し、さらに**“同意の見える化”**のボードを押し出した。


《撮影協力について

・店内のみ/顔は撮らない/三十分

・同意がない場合は撮影しない

・週一で見直し(合図=『またお願いしていい?』)

——展示は匿名です。質問は作品そのものへどうぞ。》


黒縁はポカンとして、それから「真面目」と笑って引っ込んだ。周囲の子たちもパネルへ目を戻す。**“作品へどうぞ”**は、案外やさしい矢印だ。



公開が落ち着いた夕方。片付け前の三十分。体育館の隅——出口灯(緑)から離れた位置で、私と朔はいつもの位置合わせ握手(30秒以内)。今日は**“展示の紙”**がテーマだ。


「マット紙、光の回りがやさしい」

「肌がちゃんと肌に見える」


朔が小さく息を吸う。「本番でも、またお願いしていい?」


——その言い方が、合図。私はうなずいた。


「本番でも、またお願いして」


カシャ。

緑を避けて撮った肌色は、ちゃんとやさしい色で写った。


「モデル料、使う?」

「使う。今日は——“緑かぶりレモネード”」

「どんなの」

「ミントをちょい足しして、**“緑は味だけ”**にする」


「最高」


今日も最高は二回。伶が遠くから+0.2と空中にメモを書いている(何の単位)。



夜。展示のあと、私は〈エトワール〉に戻ってカウンターを拭いた。潮の匂いは薄い。ベルの真鍮に、自分の手が小さく映る。スマホが震えた。“匿名相談”アカウントから。


《プリントが緑っぽく見えるのはセンスの問題ですか? 私のだけ変なんです》


私は、ためらわずに送った。


「センスじゃないよ。光源の波長と紙の蛍光増白剤**、掲示位置の三つで“緑寄り”に見えることがある。10cm上げる/拡散紙を一枚/OB少なめ紙で直るよ。」**


既読。ハートがいくつも並ぶ。

外に出ると、出口灯の緑が歩道に薄く落ちていた。潮の線は見えない夜。でも、言葉の合図は見える。またお願いしていい?——私は心の中で先に言い、看板の青に照らされた朔の横顔を思い浮かべた。


潮は、嘘をつかない。

光も、たぶん。

だから私たちは、言葉で照明を整える。緑は、味だけで十分だ。

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