第9話 未送信メッセージと、色のない告白
文化祭の翌日。〈エトワール〉はいつもより静かだった。体育館の緑かぶりも対策済み、展示は拍手で終わった。私は開店前のカウンターでベルの真鍮を磨き、指先を息であたためる。外は、塩の匂いが少し薄い。
ポロン、とスマホが震えた。
画面に**“未送信(下書き)”**の通知。差出人は——匿名相談アカウント?
「……え、私あてに未送信って来るの?」
タップすると、DMの最上段に薄いグレーの文が一行だけ浮かぶ。
(未送信)またお願いしていい?
胸が、変な跳ね方をした。合図の言い換え。あの言葉。けど送信者名なし、時刻だけ09:41。誰が打って、なぜ私の画面に。
「澪、どうしたの。顔、塩抜き?」
背後から早瀬伶。私は画面を見せた。伶は眉を上げ、次の瞬間、ニヤリ。
「怪談:未送信が届く喫茶。で、朔の顔は?」
「まだ来てない」
◆
中休み、藤田朔がベルを鳴らした。黒いストラップ、少し寝不足顔。首元のカメラは、今日はモノクロ用のフィルム。
「今日の海、匂いは?」
「薄い。かわりに紙の匂い。展示の余韻かな」
「こっちも余韻で現像焼け」
私がスマホを差し出すと、朔は目を瞬いた。
「未送信が届く?」
「届いちゃった。合図の言い換えそのまんま。しかも時刻が開店前」
三人で首をひねる。私は紙ナプキンに仮説を書いた。
•A)誰かの誤送:でも「未送信」は送られてこない
•B)匿名相談の“下書き共有”機能が動いた:同じスレッドを開いてる端末に草稿を同期
•C)QRの“生リンク”問題:文化祭で掲示したQR**(質問はこちら)から開いた同じスレに、誰かが下書き→同じリンクを開いていた私の端末にも草稿同期の通知
「B+Cだと思う」
朔がLEDライトを弄びながら言う。
「昨日、展示の横にQR置いたよね。“質問はこちら”。スレッド直リンクだった。匿名相談の仕様で、“下書きを同スレ閲覧者にも同期”がオンになってると、未送信でも共有されることがある。Wi-Fiに乗ってるとかは関係ない。同じスレURLを開いてるかどうか」
伶が指を鳴らした。「可視化だ。やってみよ」
小実験:未送信が“届く”条件
1.伶のスマホで、昨日のQRから匿名相談のスレを開く
2.私のスマホも同じスレを開く(ログイン不要)
3.伶が入力ボックスに「テスト」と打って、送信せずに閉じる
4.——私の画面に**(未送信)テストが薄グレー**で現れた
「来た……!」
「つまり昨日のスレは、“下書き共有ON”。誰かが**“またお願いしていい?”と打って送らず閉じたから、同じスレを開いていた澪の端末にも下書きが出た**」
伶が私と朔を交互に見る。「で、誰が打ったの?」
「知らないほうがロマン」で押し切るほど、今の私たちは器用じゃない。私は文のクセを見る。句読点なし、三拍子のリズム。合図の言い換えを正確に覚えてる。心当たりは——
朔が耳まで赤くなった。「俺です」
……静寂。伶の口元がニヤで固まる。私は、笑うのも泣くのも間に合わず、ただうなずいた。
「送らなかったの?」
「送れなかった。展示の人だかりの中で打って、送信を押す指が止まった。匿名に言い換えを借りるの、ずるい気がして」
胸の奥が、少し痛くて、少し嬉しい。
◆
午後。客足が落ち着いたころ、朔が静かに言った。
「色の話、していい?」
私はうなずいた。朔は自分のカメラから、モノクロのコンタクトシートを出す。昨日の展示の裏撮り。全部白黒。
「俺、色弱。ずっと“光の濃さ”で見てきた。だから肌の赤が弱く見える日がある。見えるはずの色が、届かない日もある。
でも、君の手の“濃さ”は消えない。色がなくても、濃さで決まる。怖いのは、君が色で決めたいのに俺が濃さでしか見られない日がある、ってこと」
「怖いって言葉に、逃げずに触れたの、えらい」
気づいたら、私の声は震えていた。私は布巾を畳み、撮影協力メモを引き寄せる。
店内のみ/顔は撮らない/三十分/週一で見直し。それから——“更新”の言い換え:またお願いしていい?
「本日の三十分、モノクロで撮ろう。色がなくても決まる、を可視化しよ」
朔はほっと笑って、うなずいた。
◆
照明を一段落とし、位置合わせ握手(30秒以内)。今日は白い布の上に手を置く。朔はモノクロフィルムに替え、光の入口を探る。私はベルの舌とスプーンの影を並べる。
「色のない告白って、輪郭と濃さでできてるんだね」
「うん。君の手が入ると、濃度が決まる」
カシャ。
巻き上げの音がいつもよりはっきり聞こえる。色の情報がないぶん、呼吸の音まで写る気がする。
三十分は短くて、やっぱり濃い。最後の一枚のあと、朔が深呼吸をして——一枚の紙を取り出した。
《解約書》。
——“撮影協力メモを本日をもって解約したい”——
「やだ」
口が先に言った。朔がびくっとする。私は慌てて続ける。
「やだって言ったのは、“関係をなくす”解約がやだ、ってこと。
……別の契約に変えたいなら、話は別」
朔は紙を伏せ、笑うでも泣くでもない顔で私を見る。
「契約じゃなくて、って言おうとしてた。関係を言い切りたい。でも、手続きで守られてる君も、好きだ」
「手続きは逃げ道だよ。逃げ道がある恋は、優しい」
私はレシートを引き寄せ、小さく書いた。
———
《関係の合図メモ(試案)》
・“撮影協力”の解約→“お付き合い”に移行したいか、週一で相談
・合図は**『またお願いしていい?』→『また会ってくれる?』**
・手続きは残す(公共性/同意の見える化)
———
朔の目の濃さが、すこし増えた。
「……週一で相談。それ、優しいね」
伶が柱の影から飛び出した。「甘度+1.0入った!」いつからいたの。
◆
閉店後。モデル料の時間。
「使う?」
「使う。今日は——“色なしパフェ”」
「どんなの」
「白黒だけ。バニラと黒ゴマ、ココアビスケット。チェリーは別皿。色は最後に自分で足す」
「最高」
最高は二回。それが合図みたいに、今日の終わりをやさしく閉じる。
◆
片付けのあと、私は“匿名相談”を開いた。新しい通知。
《“更新”って不安です。言い換えたほうが優しいですか?》
《色が見えづらい日があります。好きな人にどう伝えたらいい?》
私は、二つにまとめて答えた。未送信のままにしないで。
「『またお願いしていい?』は、角を丸くする合図。
色の話は、見える・見えないじゃなくて濃い・薄いで話すと届く日がある。
手続きは逃げ道。逃げ道のある好きは、優しい。」
送信。既読。小さなハートがいくつか並ぶ。
外に出ると、潮の線はほとんど見えなかった。夜のアスファルトの濃さだけが、足元を確かにする。看板のEtoileの青は、色というより光だった。
潮は、嘘をつかない。
色も、たぶん。
言葉は、ときどき嘘をつくけど——手続きで、正直にできる。
私はポケットの中の解約書を折りたたみ、また会ってくれる?と、心の中で先に言った。朔の横顔が、色なしでもちゃんと濃く見えた。
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