第9話 未送信メッセージと、色のない告白

文化祭の翌日。〈エトワール〉はいつもより静かだった。体育館の緑かぶりも対策済み、展示は拍手で終わった。私は開店前のカウンターでベルの真鍮を磨き、指先を息であたためる。外は、塩の匂いが少し薄い。


ポロン、とスマホが震えた。

画面に**“未送信(下書き)”**の通知。差出人は——匿名相談アカウント?


「……え、私あてに未送信って来るの?」


タップすると、DMの最上段に薄いグレーの文が一行だけ浮かぶ。


(未送信)またお願いしていい?


胸が、変な跳ね方をした。合図の言い換え。あの言葉。けど送信者名なし、時刻だけ09:41。誰が打って、なぜ私の画面に。


「澪、どうしたの。顔、塩抜き?」


背後から早瀬伶。私は画面を見せた。伶は眉を上げ、次の瞬間、ニヤリ。


「怪談:未送信が届く喫茶。で、朔の顔は?」

「まだ来てない」



中休み、藤田朔がベルを鳴らした。黒いストラップ、少し寝不足顔。首元のカメラは、今日はモノクロ用のフィルム。


「今日の海、匂いは?」

「薄い。かわりに紙の匂い。展示の余韻かな」

「こっちも余韻で現像焼け」


私がスマホを差し出すと、朔は目を瞬いた。


「未送信が届く?」

「届いちゃった。合図の言い換えそのまんま。しかも時刻が開店前」


三人で首をひねる。私は紙ナプキンに仮説を書いた。

•A)誰かの誤送:でも「未送信」は送られてこない

•B)匿名相談の“下書き共有”機能が動いた:同じスレッドを開いてる端末に草稿を同期

•C)QRの“生リンク”問題:文化祭で掲示したQR**(質問はこちら)から開いた同じスレに、誰かが下書き→同じリンクを開いていた私の端末にも草稿同期の通知


「B+Cだと思う」


朔がLEDライトを弄びながら言う。


「昨日、展示の横にQR置いたよね。“質問はこちら”。スレッド直リンクだった。匿名相談の仕様で、“下書きを同スレ閲覧者にも同期”がオンになってると、未送信でも共有されることがある。Wi-Fiに乗ってるとかは関係ない。同じスレURLを開いてるかどうか」


伶が指を鳴らした。「可視化だ。やってみよ」


小実験:未送信が“届く”条件

1.伶のスマホで、昨日のQRから匿名相談のスレを開く

2.私のスマホも同じスレを開く(ログイン不要)

3.伶が入力ボックスに「テスト」と打って、送信せずに閉じる

4.——私の画面に**(未送信)テストが薄グレー**で現れた


「来た……!」


「つまり昨日のスレは、“下書き共有ON”。誰かが**“またお願いしていい?”と打って送らず閉じたから、同じスレを開いていた澪の端末にも下書きが出た**」


伶が私と朔を交互に見る。「で、誰が打ったの?」


「知らないほうがロマン」で押し切るほど、今の私たちは器用じゃない。私は文のクセを見る。句読点なし、三拍子のリズム。合図の言い換えを正確に覚えてる。心当たりは——


朔が耳まで赤くなった。「俺です」


……静寂。伶の口元がニヤで固まる。私は、笑うのも泣くのも間に合わず、ただうなずいた。


「送らなかったの?」

「送れなかった。展示の人だかりの中で打って、送信を押す指が止まった。匿名に言い換えを借りるの、ずるい気がして」


胸の奥が、少し痛くて、少し嬉しい。



午後。客足が落ち着いたころ、朔が静かに言った。


「色の話、していい?」


私はうなずいた。朔は自分のカメラから、モノクロのコンタクトシートを出す。昨日の展示の裏撮り。全部白黒。


「俺、色弱。ずっと“光の濃さ”で見てきた。だから肌の赤が弱く見える日がある。見えるはずの色が、届かない日もある。

でも、君の手の“濃さ”は消えない。色がなくても、濃さで決まる。怖いのは、君が色で決めたいのに俺が濃さでしか見られない日がある、ってこと」


「怖いって言葉に、逃げずに触れたの、えらい」


気づいたら、私の声は震えていた。私は布巾を畳み、撮影協力メモを引き寄せる。

店内のみ/顔は撮らない/三十分/週一で見直し。それから——“更新”の言い換え:またお願いしていい?


「本日の三十分、モノクロで撮ろう。色がなくても決まる、を可視化しよ」


朔はほっと笑って、うなずいた。



照明を一段落とし、位置合わせ握手(30秒以内)。今日は白い布の上に手を置く。朔はモノクロフィルムに替え、光の入口を探る。私はベルの舌とスプーンの影を並べる。


「色のない告白って、輪郭と濃さでできてるんだね」


「うん。君の手が入ると、濃度が決まる」


カシャ。

巻き上げの音がいつもよりはっきり聞こえる。色の情報がないぶん、呼吸の音まで写る気がする。


三十分は短くて、やっぱり濃い。最後の一枚のあと、朔が深呼吸をして——一枚の紙を取り出した。


《解約書》。

——“撮影協力メモを本日をもって解約したい”——


「やだ」


口が先に言った。朔がびくっとする。私は慌てて続ける。


「やだって言ったのは、“関係をなくす”解約がやだ、ってこと。

……別の契約に変えたいなら、話は別」


朔は紙を伏せ、笑うでも泣くでもない顔で私を見る。


「契約じゃなくて、って言おうとしてた。関係を言い切りたい。でも、手続きで守られてる君も、好きだ」


「手続きは逃げ道だよ。逃げ道がある恋は、優しい」


私はレシートを引き寄せ、小さく書いた。


———

《関係の合図メモ(試案)》

・“撮影協力”の解約→“お付き合い”に移行したいか、週一で相談

・合図は**『またお願いしていい?』→『また会ってくれる?』**

・手続きは残す(公共性/同意の見える化)

———


朔の目の濃さが、すこし増えた。


「……週一で相談。それ、優しいね」


伶が柱の影から飛び出した。「甘度+1.0入った!」いつからいたの。



閉店後。モデル料の時間。


「使う?」

「使う。今日は——“色なしパフェ”」


「どんなの」


「白黒だけ。バニラと黒ゴマ、ココアビスケット。チェリーは別皿。色は最後に自分で足す」


「最高」


最高は二回。それが合図みたいに、今日の終わりをやさしく閉じる。



片付けのあと、私は“匿名相談”を開いた。新しい通知。


《“更新”って不安です。言い換えたほうが優しいですか?》

《色が見えづらい日があります。好きな人にどう伝えたらいい?》


私は、二つにまとめて答えた。未送信のままにしないで。


「『またお願いしていい?』は、角を丸くする合図。

色の話は、見える・見えないじゃなくて濃い・薄いで話すと届く日がある。

手続きは逃げ道。逃げ道のある好きは、優しい。」


送信。既読。小さなハートがいくつか並ぶ。


外に出ると、潮の線はほとんど見えなかった。夜のアスファルトの濃さだけが、足元を確かにする。看板のEtoileの青は、色というより光だった。


潮は、嘘をつかない。

色も、たぶん。

言葉は、ときどき嘘をつくけど——手続きで、正直にできる。

私はポケットの中の解約書を折りたたみ、また会ってくれる?と、心の中で先に言った。朔の横顔が、色なしでもちゃんと濃く見えた。

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