第十四話 ごめんね、いいコじゃいられない
「時に、アスナさんは出身どこなん?学校はどこ卒?」
「はい?」
早速ピンチが訪れた。歩くすがら、更衣が世間話を振ってきたのである。
普通の人なら軽く流すような話題だが、どっと背筋に奇妙な脂汗が浮かんだ。アスナはなんと答える気だろう。そもそも崩壊した終末世界に学校なんてあるのか。
ちらっとアスナに目配せすると、存外彼女は涼しい顔だ。作り笑いを崩すことなく、少し恥じらうように顔を伏せる。
「実は……私、巫女として修業するために色んな土地を巡っていまして。
師がひととおり生活と教養のために勉強は教えてくださりましたが、学校というものにはとんと縁がなかったんです」
「なんと。そりゃあ、不躾な質問をしてもうたなあ。巫女修行のためにあちこち歩き回らなあかんなんて、大変じゃのお。どんな所で修業しとったん?」
「霊力を高め、己を鍛えるため、本当に様々なところを巡りました。ダダナラン、トラン、ハインバーグ、クライン……何年もかけて旅をしました」
「おお、外国の土地の名前かのう、近頃の巫女さんは海外でも修業するんけ。晨明、聞いたことあるかの?」
「い、いえ……おれ、外国の名前どころか、都道府県ですら危ういですし」
「だっはっは!ワシの勝ち!」
「今のって勝負してたんです?」
うまく煙に巻いてくれて助かった。というより、更衣の性格を分かったうえで、こんなあしらい方を考えたのだろうか。だとしたら、なかなかの策士である。
それにしても、未来の地名はずいぶん頓珍漢な名前ばかりだ。
そう長くはない通路を進んだところで、更衣が「ここがアスナさんの部屋や」と扉を開けた。
「わっ!ここが私の住む場所……?」
「先も言った通り、倉庫を片しただけの場じゃがの。もう一部屋作るなら業者を呼ぶんがええが、しばらくはここで我慢してくんなせえ」
アスナにあてがわれた部屋は、六畳ほどの空間だった。
急ごしらえで掃除したばかりなだけあって、窓は開け放たれ、少し蒸した風が部屋になだれこむ。埃やカビでくすんでいた壁紙は張り替えられ、清潔感のある新しい壁紙が日光を反射する。磨かれたフローリングの床に、一人用のふかふかのベッド、姿見や机、クローゼット、小さなランプに、こぢんまりとした冷蔵庫も設置されていた。
……なんと、小さいながらもテレビまである!年頃の少女が一人暮らしするにあたっては、破格の空間といえよう。アスナはすっかり大はしゃぎだった。
「うわあ……!いいんですか、こんな素敵な場所もらっちゃって!」
「喜んでもらえたなら何よりや。食事は基本的に朝、昼、晩と決まっとりますけえ、要らん時は事前に声かけてつかぁさいね」
「はいっ。ありがとう、更衣さん!」
「それと晨明。しばらく安静ってことやから、八日吹先生からお許し出るまで、暫く今回の任務も、厨番もお休みね」
「えーっ!?」
「なにがえーっや、心臓ぶち抜かれて一回死んどるんやぞ。今回くらいはお医者さんのいうこと聞いときや」
「おれは何をすれば……お仕事がしたいんですけど……」
「アルバイトももちろん禁止。おシンは働きすぎなほうやで。たまにはちゃんと休みやあ」
更衣はにへら、と笑うと、「そいじゃ、ワシはこれから仕事ですけえ、後は晨明にここのこと、色々聞いてつかぁさい」と告げて部屋を出ていく。
途端、ニコニコと無邪気に微笑んでいたアスナはさっと表情を打ち消し、くるぅりと晨明に振り返った。シームレスな切り替えの早さに一瞬どきりとする。
アスナはくるりと周囲を見回すと、「念には念をだ」とつぶやいて、天井や床に向けて指をさし、すすす、と宙に何かを描くしぐさをする。
「何してるの?」
「気になるなら、右目で視たらどうだ」
晨明の右目には、アスナの指に奇妙な藍色の光が集まって、理解しがたい奇妙な模様を描くように見えた。
宙に描かれたいくつかの模様は、それぞれ天井と壁、床にしみこんで消える。直後、部屋の内側をすっぽりと藍色の無数の線で包まれた。光の鉄格子のなかに閉じ込められたような感覚だ。
なんてことない顔で、「どこで聞かれているか分からないからな。聴覚を「ずらした」。これで私たちの会話が聞かれることはない」とアスナは説明し、ぼすんっとベッドに腰掛けると、「ま、座れ」と早速我が物顔。
どこに座るか悩んで、結局床にちょこん、と正座する。「本当に何でもできるんだね」と感心したが、「防聴はむしろ基礎魔術の範疇だろうに」と馬鹿にされた。自分だって電子レンジの使い方も知らないくせに、という返しは引っ込めることにする。
「ふう。ひとまず拠点も得たし、後で挨拶回りもしないとだ。一応全員と軽く顔合わせはしたが、人となりは完璧に把握できたわけでもないからな」
「……アスナってさ」
「なんだ」
「猪突猛進で人の話聞かなさそうって言動のわりに、けっこうハッタリ上手いし色々考えてるよね。演技も上手いし」
「喧嘩売ってるのかお前」
「褒めてるんだよ!」 アスナから拳が飛んできそうだったので、慌てて制する。
「未来は……ここよりも苛烈な世界だからな。弱い奴、頭の悪い奴から死んでいく。
私は師匠から多くを学んだ。不本意ながら、お前からもな。お陰で咄嗟の機転は回るようになった」
ただ、とアスナは渋い顔つきに変わった。
「お前も察しての通り、私はこの時代の知識に関しては極度に乏しい。貰っておいてなんだが、この四角い箱たちの使い道も分からん」
「あー、なら教えるよ。操作方法は簡単だし。未来ってテレビも冷蔵庫もないの?」
「ないし、見たこともない。師匠が酒の肴に話してくれたことはあるが、この時代にあったもの全ては遺物と化したと聞いている。師匠らは使い方を知っていたろうが、現物に触れる機会などはついぞなかったな」
「そうなんだ……」
文明すら崩壊させてしまったというのか。未来の自分、おそるべし。
テレビや冷蔵庫、エアコンの使い方を教えると、アスナはやっぱり興味津々に話を聞いて、おそるおそる自分でも扱ってみせた。
幸い、物覚えがいいお陰で、すぐ使い方をマスターしたらしい。テレビを見て「こんなちっちゃい箱の中で人間が活動しているなんて……!」と、まるで原始人のような反応をするものだから、笑いをこらえるのに必死だった。
「でもよかった、おれもアスナの役に立てそうで」
「どういう意味だ」
「アスナがおれに右目の使い方を教えてくれるって話だったけど、おれは何を返せるかなって悩んでたんだ。せっかく豊かな時代にきたんだから、アスナにも楽しいこととか、色々知ってほしいよ、おれは」
「……ふん。傲慢だな。その豊かさをぶち壊す張本人が、よくもぬけぬけと」
そっぽを向かれてしまった。やっぱりまだ心は閉ざしたままらしい。
だがその直後、アスナが「まあ、お前がどうしても教えたいっていうなら、耳を貸してやらんでもない」と小声で呟いていたので、晨明にはつとめて笑顔を押し殺し、「そっか」と相槌を打つだけにとどめる。反抗期の娘を持つとしたら、こんな心持ちなのだろうか。そもそも恋人すらいないのだが。
「お前こそ、こんなに頼り甲斐のある未来人がより良い未来のために協力するんだ、少しは喜び崇め奉ったらだらどうだ」
「ワートッテモウレシーアスナサマサイキョーサイコ~」
「舐めてるだろ、今のは」
「ごめんごめん」
頬っぺたをぐにぐにと乱暴につままれる。
しかし、すぐに更衣から言われたことを思い出して、がっくりうなだれた。仕事が休み!何もすることがないだなんて、晨明にとっては初めてのことだった。
しょんぼり肩を落としていると、アスナが怪訝そうに「どうした、露骨に落ち込んだりして」と腕を組んだ。
「休むことの何が悪いんだ。人間とは働くことが嫌いなものだろう」
「おれたちにとっては必要なの!ただでさえ、今月分のアガリは結構厳しいから……」
「アガリ?」
「稼ぎのことだよ。麟胆組の構成員は、基本的に月一で稼ぎの1%は組に上納する仕組みなんだ。幹部補佐なら3%、幹部なら5%って具合に、役職が高いほど上納金も高くなるけど、その分稼ぎもいいってことだし、組での待遇や立場も有利になるんだ。たくさん仕事を任されて信頼されるようになるし」
「上が下から搾取するのか。じゃああの組長はさぞ儲けてるんだろうな」
「もちろん、アガリの一部は本邸を含む組の所有する建物の修繕費だとか、組の運営費だとか、非構成員だけど働いている人たちの給料にもなるよ。組長だって、組長が所属してる上の組織に上納金払ってるし」
「……? あの二条院瑆という男が一番偉いのではないのか?」
「あー、麟胆組の中では、ね。麟胆組より偉い組織があって、組長はその組織でも役職を持ってるんだ。ここではトップでも、上の組織では幹部、とか」
「……なるほど、完全な階級社会なんだな。さしずめお前たち構成員は割り振られた農作地の農民、幹部たちは粉ひき屋、二条院瑆は領主の一人、そして一番上の組織の長は諸国を束ねる皇帝といったところか」
「農民と領主はわかるとして、なんで幹部が粉ひき屋なの?」
「粉ひき屋は納税額が多いし農奴から恨まれるが、挽いた麦の分配を自分で決められるし、領主から厚遇されるから」
「ははあ……」
独特な納得の仕方をされた。
仕組みを説明したところで、アスナはやっと合点がいったらしい。
「で、お前としては仕事がなくなると、その上納金が納められないと。だが聞いたところ、お前は何の役職も持ってないんだろ?」
「それは、そのう……」 ぼりぼりと晨明は頭を掻いた。
「おれの場合、組員としての仕事に参加してもいい代わりに、アガリを高めに設定されてるんだ。稼ぎの5%ほど……」
「は?なんでそんなに高く設定されているんだ」
「ちょっと難しいんだけど、おれの扱いは準構成員で、組の誰とも盃を交わしてないから、そもそも正式な組員としては認められてないんだ。
でも、それでもおれ、どうしても稼ぎたいし、組員として認められたくてさ。だから、目標額までの上納金を稼げたら、正式に盃を交わしてもらえるってことで、このアガリの額になってんの。だから普段は厨番の仕事以外にも、組の仕事だったり、町中でアルバイトなりで色々稼いでて……」
「……そこまでして、働く理由はなんだ?」
「父さんだよ」 へら、と晨明は弱弱しく笑う。
「昨日会ったでしょ。父さん、厨番で働いてるんだけど、両足ともになくてさ。年も年だし、義足のメンテナンス代だって安くないし……おれとしては、昇進して安心させてあげたいし、たくさん稼いで楽させてあげたいんだ。
まあ、実際はいつもドジばかりだから、稼ぎも悪いし、結構ぎりぎりの生活してるんだけどね」
はは……と項垂れながら語る。
アスナは黒いつむじをじっと見下しながら、黙して話を聞いていた。
だがやおら、情けないつむじを指でぐりぐりぐりーっ!と押し潰す。あまりの圧力に「いでででっ!?」と悶絶する晨明。
生理的な涙をにじませてアスナを見上げると、気に食わないといわんばかりに唇をへの字に曲げる。
「へらへら笑うな。前から思っていたが、お前のその、覇気のない諦めたような笑い方は嫌いだ。なよなよして好かん、苛々する」
「だからって人のつむじをぐりぐりすんなッ!痛いだろッ!」
「わざと痛いツボを押したんだから当然だ」
「理不尽すぎるっ!笑顔が気に食わないくらいで!」
がぁあ!と怒りを露わにすると、やっとアスナは笑った。
「そうだ、お前に足りないのは怒りだ。理不尽に真っ向から怒る気力が、お前に足りないものだ」
「はあ……?」
「親のために孝行して、昇進したい。存外、まっとうな願いじゃないか。そこだけは認めてやる。だから……手柄を立てよう。私と、お前でだ」
「ええっ!?で、でも……おれ、まさにさっき、安静を言い渡されたばかりで」
「だからこそだ。二人でこの麟胆組を、あっと言わせてやろう」
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