第十五話 装身の儀!


晨明とアスナは部屋を出て、本邸の裏手に足を運んでいた。

時刻は昼前。大半の構成員が職務に向かっており、濃い日差しによって屋敷の裏手には高く影が差す。

アスナが有無を言わさず連れてきたので、晨明はこれから彼女が何をする気なのか、まるで察しがつかない。元より彼女は自由人なので、察しようがないともいうのだが……。


「あのさ、気持ちはありがたいんだけど。おれ、命令されたからには、今回の仕事に首つっこめないんだよ。勝手に何かすると叱られるし……」

「なら、要はばれなければ良いのだろう。この組織は実力社会と聞いている。懲罰を帳消しに出来るほどの功績を上げれば、向こうも文句はあるまい」

「いやいや、そんな単純な問題じゃ……」

「うなん、みゃおうん」


二人の言い争いに、可愛らしい鳴き声が割って入る。

降って湧いた声を疑問に思ったのか、アスナは周囲を見回す。だが、声の主の姿はない。


「なんだ、今の声」

「ああ、ゲンさんだよ。げんのすけって猫」

「ネコ?」


その時、屋根から飛び降りてくる大きな灰色の毛玉。

くるんっと一回転すると、毛玉は優雅に着地する。それはサバトラ柄の、もっちりと贅沢な肉を蓄えた一匹の猫であった。

猫はしゃなりしゃなりと、丸こいでっぷりした体で晨明の足元に近寄ると、体をすり寄せてゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

晨明はでれっとした顔で、猫の巨体を軽々持ち上げると、「おおよしよし」と顎の下を撫でる。


「この子がげんのすけ。名前は男の子っぽいけど、歴とした女の子だ……よ……」


視線をアスナに戻すと、先ほどまで目の前にいたのに、姿がない。

どこへ?と視線を彷徨わせると、なんと屋根の上に跳び上がり、獣よろしく四つん這いになって、亜麻色の髪の毛を逆立たせていた。


「何してんの?」

「おっお前!それ、魔獣ベルーガの幼体じゃないか!近くに親がいるぞ、殺されたいのか!?」

「ベル……なんて?」


ぽかん、と呆気に取られる晨明。

げんのすけはチロリと舌を出して、「やかましい小娘だわ」と言わんばかりの呆れた視線をアスナへ向け、くしくしと顔を前脚で掻く。


「知らないのか!お前の体の三十倍はある、巨大な肉食魔獣だ!牙はこーんなに鋭くて、目はビカビカ輝いて、吹雪を呼ぶんだぞ!

お前なんか一口で丸呑みだ!しかも我が子である幼獣を囮にして獲物を狩る獰猛で狡猾なやつなんだぞ!」

「未来の生態系ちょっと異次元がすぎないか!?とにかくそこから降りて、危ないから!」


十分ほど宥めすかして、やっとアスナを屋根から下ろすことが出来た。人に見られていたら事である。

アスナには十分に、現代日本で大型の恐ろしい魔獣なんてものは存在していないし、いたら大騒ぎになっていると説明して、やっと納得してもらえた。

とはいえ、猫科の獣は怖いのか、未だに警戒心を露に猫のげんのすけを凝視している。

げんのすけも煩いのは好かん、と距離を置き、側にある古井戸の影にちょん……と隠れた。


「おほん、仕切り直しだ。まずお前に、第一の術「装身」を教えよう」

「ソウシン?なにを送るの?」

「……お前が私の事を痴女とのたまった、あの姿のように、特異な姿に変身することをいうのだ。右目の最初の使い道と知れ、基本中の基本だ」

「えーっ!?おれ、あんな痴女みたいなカッコしないといけないわけ!?」


すかさず晨明の顔面に、アスナの正拳突きが炸裂する。

顔面が隕石衝突よろしく凹んだ晨明をよそに、アスナは説明を続ける。


「装身は己の身を守り、戦うための魂の装備だ。この鎧は致死の傷すらも防ぎ、人の秘められた潜在能力を引き出して戦うことができる。

私の極闘魂装ごくとうこんそうも装身のひとつだ。欠点も多いがな」

「便利だなー。そういや、変な妖術使ってたのも、例の、えーと……極闘魂装だっけ。あれの力ってこと?」

「まあ、大体その認識で構わん。平時の私はあの力の百分の一程度しか発揮できん」


平時で成人男性の顔面を易々とめり込ませている時点で、十分な気もする。

それとも彼女が単に怪力なのか、その若さに見合わぬくらいに鍛えているだけか。どちらもな気がする。

ひとつひとつ突っ込んでいてはキリがないので、彼女の解説に集中することにした。

アスナは小さな黒板とチョーク(やけにバリエーション豊富だ)を懐から出すと、早速絵図にして更に解説する。


「装身により得られる基本的な能力は3つ。肉体の潜在能力、魂の能力、そして認識の阻害。

肉体の潜在能力は、膂力の強化と回復力の増強だな」

「それはまだ分かるんだけど、魂の能力って何?」

「うむ、師匠いわく、我々人間には大きく分けて、六つの力が備わっている。炎の力、風の力、土の力、水の力の4大元素と……」


黒板にまず、六角形を描く。

その頂点にあたる部分に、可愛らしい炎、水のしずく、風、若葉、星、月の絵が描かれていく。

……画力は小学生並みらしい。己の画力とはどんぐりの背比べだな、と微笑ましく眺めた。


「……星見の力、そして時空の力の6つだ。いずれも、魂が普段なら目視しえない力のことを指している。

因みに、私もお前も時空の力をより強く引き出せるぞ」

「なんかファンタジーみたいな話になってきたな」

「ふぁんたじ……?」

「あ、いや、続けて。その六つの力って、具体的にどんな感じなの?」

「使い手次第だな。単純に無から火を起こしてみせたり、動物や植物の成長を促したり、水を絶え間なく出してみせたり、嵐を呼んだり……。

この時代にも少なからず、こうした力を出せる者はいるのだろう?ええと、タイマシだとか、オンミョージとかいう連中が」

「あー……いるにはいるけど。おれ、そんな力を使ってる人たち、見た事ないかも」

「であろうな。本来は秘術だし」


更にアスナが語る曰く。

こうした秘術は、世界各国で、様々な分野で発展し、継承されてきたものだという。

少しずつ体系や術式(魂の力を使うための必要な知識だそうだ)なるものは異なるものの、この現代日本でも幾つもの秘術が存在するのだそうだ。

そういえば、二条院家もまた、戦国時代の不思議な秘術や忍術が継承されていると更衣が言っていた。

もしかすると、これのことなのかもしれない。

アスナは「まあこの魂の力はおいおい学べばいい」として、さっさと話題を切り上げた。


「でもさ、そんな便利な能力あったら、みんなほいほい使って大騒ぎにならない?」

「そうはならないからこそ、今まで秘匿されてきたのだ。そこで活きるのが認識の阻害だな。

ずばり、この力は、装身した者たちの行動や存在そのものもを上手く認知できなくなるのだ」

「あー……筑紫さんや若様たちがアスナに気づかなかったみたいに?」

「ご明察だ」 わざとらしくアスナが幼稚な拍手をした。

「秘術は本来、目に見えてはならないし、そもそも視えるものではない。そもそも文字通り、異なる次元の中で起きる事象だからだ。

だから人間の脳や目は、見えている景色を正しく受け取って処理できない。まあ、魔術の力が物質化して現実に対してかなり強力に干渉した場合、残ることもままあるが……」

「結果、殆どは姿そのものが見えなかったり、普通の人たちはスルーしちゃうってこと?」


うむ、とアスナは頷いた。

一通り説明が終わると、懐から小さな六面の賽子を取り出した。角こそ少し欠けているが、かなり手入れされている。


「「装身」には、魔力を貯めるための術具が必要だ。師匠曰く「魂の証」というらしい」

「それが、アスナにとっての魂の証ってこと?ただのサイコロに見えるけど」

「これは師匠から譲り受けた大事なものだ。師匠の父の遺品だと。そして、私にとっても思い入れのある術具なのだ」


きゅ、きゅ……とアスナは賽子をハンカチーフで綺麗に拭うと、やおら親指でピンッと賽子を弾いた。

宙にゆっくりと舞う賽子。

日差しを受けて煌めいた一瞬、からん、と軽やかな音が、まるで耳元で落ちて弾けたように響く。


「『いざ酔い攫え大勝負、望月の賽に銀の盃。酒波の兎は夢か現か』!」


アスナを中心に、まるで太陽のような閃光がまたたく。目が潰れそうだ。

思わず目を瞑り、光が収まる気配がしておずおずと目を開くと、そこには和装バニーガールの痴女と化したアスナの姿。初めて会った時の格好だ。


「うおわっ!……相変わらず凄い格好だ……」

「無論、今の状態なら大抵の人間には見えるまい。魂の証を持つ者か、尋常ならざる視力を持つ者なら別だろうが」


ほれ、お前もやってみろ。と当然のように目配せされた。

だがあいにく、晨明にはモノがない。そもそもどうやって変身すべきか分からない。

どうすれば、と視線だけ向けると、やっと気づいたアスナが「忘れてた」と言葉を続ける。


「お前にとっての「魂の証」が見つかるまでは、その耳の装身具を使え。本物の魂の証を使った時より弱体化はするが、私と同じ状態になれるはずだ」

「わ、分かったけど……具体的にどうするの?かっこいい呪文とか知らないよ」

「祝詞の口上は人によって違うのだ。意識を耳の装身具に集中させ、頭の中を無にするのだ。

おのずと、己の魂の枷を解くための言葉が浮かんでくるはず。心のままに唱えるといい」


そんなこと言ったって……と愚痴りながらも、右耳に意識を集中させる。

頭を空っぽにする、これなら難しくない。晨明はこの二条院邸で武術を学ぶにあたり、さまざまな事を学んでいた。勿論、頭を空っぽにする方法もだ。

頭の中からだんだんと考え事や余計な意識を排除して、心を落ち着ける。すると、徐々に腹の奥や手先、血管の中を巡る力の動きのようなものが、右目を通して、匂いや音となって可視化されるかのよう。

今の晨明はまさに、トランス状態に近かかった。やおら、頭の中に浮かぶ言葉がある。

まるで予め誰かが考えて記憶に刻んだ言葉を、誦じて読み上げるような感覚だった。


「『━━我は夜、暦を喰らうもの。我は黄昏、常世を終わりへと導くもの。されど人よ、それでも黎明を求めるならば!獅子の牙と鎌を以て戦うべし!』」


直後、右目と右耳から、全身を内側へ折り畳まれるような感覚に陥った。

またあの不快感だ。吐き気がする。目眩のせいで方向感覚が掴めない。全身に毒が回ったように痺れて動けない。

だが苦悶の声を漏らすより早く、体の中心で太陽が爆発するかのような、凄まじいエネルギーを感じて、一瞬意識が飛んだ。


「……よし!成功だ!初めてにしてはよくやったぞ!」


アスナの声で我に返る。

自分はどうなったのだろう。体から不快感は消えて、寧ろ力が漲る感覚に支配されている。

アスナに「こっちだ」と腕を引かれ、行き着く先は、敷地内にある池だ。

覗いてみろ、と促されるまま、水面に映った己の姿を見て━━晨明は、絶句した。

そこには、腰まで髪が伸びて、丸っこい獣の耳と太い尻尾を生やし、さながら戦国武将の鎧の一部と和服の上着を剥ぎ取ってつけたような、半裸の自分が映っていたのだから!


「な、な、な…………なんじゃこりゃーーーーーーーーーー!!!」


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夜明けの晨明 上衣ルイ @legyak0810

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