第十三話 二条院邸


翌日の朝。

八日吹から「帰宅はしていいけど、絶対安静ですからね」と何度も念を押され、晨明は退院を許可された。

病院を出ると、朝早くだというのに、更衣と、付き添いの朧月、暁天が待っていた。

晨明を見るなり更衣が「晨明!もう退院しても大丈夫なん?」と近寄ってくる。あまり眠れていないのか、目の下には濃いクマが浮かんでいる。

「ええ、ご安心を!ほら、すっかり元気です。ご心配をおかけしました」と笑って、力こぶを作ってみせる。実際、体は十分に問題なく動くし、寧ろ安静を強いられたおかげで、体がやや鈍っているくらいだ。

その言葉を受けて、更衣はやっと安堵したようだった。だがすぐに、眉をきりりっと吊り上げると、「仕方ない状況だったとはいえ……次、あんなことしたら許さんけえな!」とビシッと言い切って歩き出す。


「本当に体のほうは何ともないんだな?若の前だからって無理はよくないぞ」

「大丈夫ですよ、暁天さん。なんなら綺麗さっぱりなくなりましたから」

「ならよかった」 


隣で朧月は相槌を打ちつつ、マスクの下は明らかに懐疑的な目だ。

無理もない、事前に二条院から説明は受けているのだろうが、朧月は目の前で即死した姿は目にした一人だ。死んだと思っていた人間がぴんぴんとして歩いているのは、やはり不気味に見えるのだろう。

今更だが、戻ったところで化け物扱いされるのがオチではなかろうか。


「あの、若様」

「なんじゃ晨明」

「おれの体のことなんですけど……組長から説明は受けてます?」

「うん?ああ、麒麟憑きのことか。なんでも体がとっても頑丈になって、とんでもなく逞しい体になったと聞いとる。すごか力じゃのお」


流石に、麒麟憑きであることも説明済みであるらしい。

とあらば、先ほどから朧月と暁天から僅かに漏れ出ている、刺々しい気配にも説明がつく。表向きにこそ何事もなく接してはいるものの、彼らにとって麒麟憑きは未知の存在だ。若頭の桐壺に危害をなさない保証はないのである。


「助けてくれたことは感謝しとる。じゃがな、いかに頑丈になったといえど、この前のような無茶は禁止じゃ。ええな」

「はい……(うーん、こりゃ、ほとぼり冷めるまで視線がまた痛くなるな、こりゃ……)」

「それにしても、あの場で予期せぬ悪弾が飛んできたことは想定外だった。あの場に限っていえば、晨明の判断は最良だったと言っていい。

次からはより一層、我らも立ち回りを考えて鍛えねばならぬな。精進精進!」と暁天はつとめて明るい調子だ。

「ええか。お前たちも、極力ワシを庇うんはナシぞ!若頭命令じゃ!」

「無茶を言いなさるな、若様。俺たちの仕事がなくなってしまう」


桐壺はそっぽを向いて、ずんずんと先頭を進む。

苦笑しながら追従する三人。暁天が日傘をさして、「更衣、今日は一段と陽が強いからな」と傾ける。その様子を見ながら、小さな声で朧月が晨明に言葉を投げる。


「若様はお怒りだが、お前には感謝している」

「へ」

「あの場でどこか、一瞬たりとも慢心があったことは事実だ。あんな素人の銃で、だなんてな。あの状況で若様を救えたのは晨明だけだった」


それだけを告げ、何食わぬ顔で朧月は更衣の隣に並んだ。

ぽかん、と目を見開いた。仕事以外ではほとんど寡黙な朧月が、自分に対して真摯に感謝などという言葉を投げかけるなんて、初めてのことだった。

なんともむず痒い気持ちを抱えつつ、朝から相変わらず残酷なまでの日射を浴びて、三人の影を踏みながら歩いていた。


──二条院邸は、登輝畑町の東に位置する「黄彬山」の中腹に位置している。

小さな山であるし、道路も通っているため、通常なら車での往来になるだろうが、構成員たちの殆どは徒歩で行き来している。彼らは健脚を鍛えるため、通常なら30分は歩く道を10分で駆け上がる。中にはジョギング感覚で駆け上がり、5分で到達する者もいる。

急な坂道を延々と上り、500段ある長い石段を登りきると、広々とした駐車場と駐輪場、そして立派な正門が出迎える。


「お待ちしていました、更衣様、晨明さん」


正門の前では、アスナが待っていた。この熱射の中だというのに汗一つかいていない。

暁天と朧月が恭しく頭を下げ「初めまして、お話は組長より伺っております」と挨拶する。晨明からすれば珍妙な光景に見えた。

アスナを伴い、門構えの松を抜けて道なりに進むと、二手に分かれている。

右に向かえば客用の離れ「春の宿」、まっすぐ向かえば大きな日本屋敷……二条院家の本邸が見えてくる。

本邸の左手には、朱色の太鼓橋がかかった大きな池と小さな滝、滝殿をのぞむことが出来る。

奥の方には子供用の砂場と藤棚という、ややアンバランスな景観だ。

暁天が朗々とした声で、敷地内を説明して回る。


「あすこに紅葉が植えてありますでしょう。あの奥には茶室もあります。更に本邸の裏手には土蔵『冬の間』が、裏門側のほうには構成員たちが寝泊まりする『夏の屋舎』がございます」

「なんでもあるのね」

「なんでも、というほどやないけど、生活には困らんよ」と更衣が続ける。

「アスナさんには今後、本邸の二階で生活していただく予定です。空き部屋が一つございまして、今清掃中ですので」と暁天。

アスナは目をぱちくりさせ、「部屋?」とつぶやいた。「そんな、私は屋根さえあれば大丈夫ですよ」と微笑んだ。更衣たちは謙遜と受け取ったのだろうが、晨明はなんとなく想像がつく。あの野生児ぶりだ、多分本当に彼女は、荒廃した世界のなかで、真っ当な建物の中で生活したことがないのではなかろうか……と。


「本当に広いんですのね、二条院家って」とアスナがぼやくと、「いえいえ。四ノ宮家のほうに比べれば、我が家など中庭でしょうや」と更衣が謙遜の言葉を入れる。

寧ろここが中庭レベルなら、四ノ宮家の敷地はどれだけ大きいのだろう……と思いを馳せているうちに、本邸に到着した。


「暁天、朧月、ありがとうね。あとはワシと晨明だけでアスナさんを案内するから」


は、と二人は音もなくすぐ姿を消す。

ここでは日常風景だが、アスナは「わ」と驚いたように二人がいた場所を、ぱちぱちと目を瞬かせて見つめる。


「速い……!?音ひとつ立てずに消えるなんて……」

「ああ、アスナさんはまだご存知なかでしょうが……二条院が統べる麟胆組の面々の大半は、元を辿れば忍びの一族なのです。

今もなお五百年余り、連綿と続く忍びの体術と秘術を継承し続けてきた末裔が彼ら構成員なのですよ」

「忍びって本当にいたんですか!?御伽話ではなく!?」

アスナはまだ少し信じられないというような、それでいて目をきらきら輝かせる。


「ええ、正しくは「秘術を隠すため」御伽話の存在として秘匿されたのです。

ワシら二条院家を含め、彼らの先祖は皆、かつて実在した忍びの一派「紫月衆しんげつしゅう」の優秀な忍びでした。

彼らは、後世に伝えるにはあまりに身に余る力すら持っていたといいます。なので力の使い道は一子相伝とし、彼らの揺るぎない執念のもと、現代まで継がれてきました」

「じゃあ、更衣さんも使えるの?忍術を?」 アスナは目を一層輝かせた。

「はは……残念ながら、ワシはまだ父からすればひよっこ。父の知る三十六の秘術のうち、まだ四つしか受け継いでおりませぬ」

「まあ……とても厳しいのですね」


玄関に入ると、まず美しい中庭が目の前に入る。

右手すぐに応接室、左手には廊下があり、和室が三つと倉庫に繋がっていると晨明は説明した。

「倉庫に一番近い部屋は、顧問の<賢木>さま……もとい六条様のお部屋です。部屋に入る前は必ず声をかけてください、勝手に入ろうとすると叱られます」

「分かったわ。必ず声をかけるわね。必ず!」

「(……これ、かけずに入ったらどうなるかって好奇心満載の顔してるな……)」


二条院邸は全体図で表すと、右倒しにしたAの形に近い構造をしている。

真四角の中庭の空間に沿うようにして通路が広がっており、応接室の更に奥のほうに広間や台所、使用人部屋などが連なる。

最奥には浴場と二階へ続く階段、そして浴場の左手には組長夫妻と更衣の部屋、彼らを護衛したり夜勤で屋敷を警護する面々が控える部屋などもある。

一階だけでも迷子になりそうだ。二階へといざ案内しようという時、一人の青年が両手にダンボールを抱えて降りてくる。

おや、とアスナは青年を注視した。晨明と同じ黒に青の差し色が入った髪色と、鮮やかな青い目が気になったのだろう。


「若様、晨明」

「やあ朱雀。掃除はもう終わったん?」

「ああ、大変でしたよ。ヘンテコなもんばっかぎっちぎちに詰まってたもので。……お、その子が例の?」


朱雀と呼ばれた青年は、アスナの顔を覗き込んでニッカリ笑った。

お、普段生真面目な朱雀にしては珍しい笑顔をみたな……と晨明は二人のやりとりを見守る。

アスナは小さく息を飲むと、咄嗟に晨明を盾にするように引っ込む。まあ無理もないか、と晨明はアスナに苦笑した。

普段こそ生真面目で物静か朱雀だが、端正な顔立ちときたら、ちょっとニコリと微笑むだけで、並の女どころか、美形に弱い男もころりと惚れ込む男前である。


「朱雀、彼女がアスナさんだ」

「初めまして、幹部補佐の朱雀です。組の中じゃ<初音>って名前をもらってます。まあ好きな方で呼んでください」

「……あ、アスナです。よろしくお願いします」


朱雀が快活に手を差し出すが、アスナはその意味をよく分かっていないのか、差し出された手をまじまじみると、指先でちょん!と朱雀のこぶだらけの指に触れた。

朱雀は特に気にもとめず、「奥手なお嬢さんだ」とふ……と笑い、「隣同士になるんですから、いつでも頼ってください」と告げ、段ボールを抱えて外へ出ていく。

アスナはその背中をぽうっと熱っぽい目で見送るが、晨明と更衣の生暖かい目に気づいて、ごほん!と咳払い。

「あの、私の部屋に案内していただけます?」と誤魔化して、案内される側だというのに、二階へ我先に上がっていく。


「いやあ、可愛えお嬢さんやね、晨明。こら今日から賑やかになりそうや」

「はは……(……あんな猪女でも乙女な部分はあるんやな……)」


なんとも失礼極まる感想を抱きつつ、晨明はアスナの後を追って二階へと上がるのだった。





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