第十話 Family song


「娘?お、おれの……娘……おれの……?」


晨明はあんまりにも素っ頓狂な声で聞き返した。

娘!改めてアスナの顔をまじまじ見つめる。年は10代後半か、成人したてだろう。

筋肉こそしっかりついているが、体つきは華奢で、肌も白くて顔立ちが整っている。髪色、目の色、目鼻立ち、どこを取ってもまるで晨明に似ていない。


「新手のオレオレ詐欺じゃなくて?」

「心底認めたくないが、私とお前は血の繋がった親子だオロカタワケ虫。お前みたいな非正規オタンコナスを騙して何の得がある?」

「だって似てないじゃん!顔も髪とか目の色も口の汚さも!そこまで酷いこと言わなくてもいいだろ!」

「事実の乗算だバカめ。とにかく、私がお前の娘であることに相違はない。この目が……」

ずびし、と晨明の右目を指差し、じろりと銀色の双眸が舐めつける。

「……その証明だ。<真実の眼>は親子間でのみ継承される特異能力だからな。私が来た世界でも、この能力を有するのは、お前の血族のみだ」

「で、でもおれ自身は、きみが仕掛けるまではこんな能力なかったよ?」

「それは私があえて、あの場で能力を引き出したからだ。本来ならお前が二条院更衣を守れなかったことがきっかけで、どのみち後々に発現するはずだったんだからな。

能力が発現したばかりのお前なら恐るるに足らず、あの場で始末すれば事足りると判断したまで」


そっかあ、と半分よく分からないまま情報を咀嚼する。

しれっと怖いことを言われた気もする一方、はたと晨明は気になる疑問をぶつけずにはいられなかった。


「ちょっと待って!じゃあおれ、結婚できたの!?」

「ケッコン?なんだそれは」

「えっ……す、好きな人同士で家族になろうって誓う儀式のことだよ。結婚したら、その二人で子供を作るんだよ」

「何だその非効率極まる駄策は。固定のつがいだけで子供を作っても種を繁栄できないだろ」

「なっ……」


なんてこと言うんだ女の子が!と言いかけ、はたと思いとどまった。

そうだ、未来はそもそも総人口がありえないほど減少したと彼女自身が言っていたではないか。80億いた人間が800万人、つまりたった二十数年で1%に減ってしまったということ。人間の総人口を増やそうと考えた場合、一夫一婦制では割に合わないのだ。

年号やバイクを知らないことといい、今と未来ではありとあらゆる価値観が異なっているに違いない。ここで頭ごなしに否定したところで、彼女を悲しませるだけだ。

それはそれとして、大変気になる。彼女の母親は誰なのか。未来で自分と結ばれた女性が少なからず存在しているのだ。


「ええとまあ……つまり、きみのお母さんが誰なのか知りたいってこと。気になるだろ、その、父親としてはさ」

「知らん」

「えっ」

「私の母は物心つかぬうちに、体を壊しこの世を去った。残された私達を育ててくれたのは師だったからな。

名前すら知らんし、寧ろ私が何者か知りたいくらいだ。師は私に気遣って、母の事は何も語ろうとはせなんだ」

「ご……ごめん」


重い。気まずさに思わず顔を背けた。

まさか地雷だったとは。アスナからすれば父親である晨明自身が特大の地雷なのだから、少し考えれば分かることだったはずだ。

おまけに、当のアスナからは怪訝そうに「なんでお前が謝るんだ、意味が分からん」と一蹴されてしまった。

話題を変えねば。この重たい空気の中で沈黙を貫くのも精神的に苦痛だ。


「あーえっとその、師匠って人におれのこと教わったの?おれのこと」

「いいや、師が授けてくれたのは生き方と、この名前だ。私が本当の名を明かせば、狛枝晨明の娘として恨みの対象になるからな。

……お前に師匠を殺され、お前に復讐するために毎日お前の元に赴いてな。殺し損ねては見逃されてきた。

それでお前自身の口から、血筋のことも、真実の眼の使い方も、お前のことも教わった」

「重い!いやごめん!恨みの元があんまりにも正当すぎる!何やってんだ未来のおれ!」

「あまりにも多くの業をお前は築いた。腕に覚えのある者たちが皆お前に挑んで、死んでいった。私ですら、元の時代のお前に指一本すら触れることも出来なかった。まさにお前は難攻不落の厄災だった」


地雷を避けて歩いたら炸裂弾に直撃した気分だ。何の話題を振ってもアスナの目がどんどん殺意と憎悪で濁っていく。

恨みは山とある、という彼女の言葉を思い出す。きっとアスナだけではない、あまりにも多くの人の命と人生が奪われて、尊厳を踏み躙られてきた。麟胆組を壊したのは、他でもない晨明自身だとも。未来の自分がアスナに伝えたのなら、きっとそうなのだ。

晨明は両肩にのしかかる未来の業の重さに、顔を覆う。罪悪感でアスナの顔を直視出来ない。


「……おれが死んだら、子供であるきみも消えてしまうんだよね。それは……大丈夫なの?」

「何を今更」 冷めきった声が晨明の胸を貫く。

。後悔なら未熟な時に散々経験した。お前の娘に生まれ、この宿業を背負った時点で、今更自分の命なんぞに未練はない」


はっとしてアスナに顔を向ける。

少女は窓の外に広がる、朝日に照らされる登輝畑の畑や、遠くに見える住居や街並みを眺めていた。

空高く聳える入道雲と、果てのない青空を背景にして、窓という枠を以ってして一枚の絵画のよう。

眩しそうに、愛おしいものを見る目で、じいっと両目に焼き付けている。

夏の陽射しは相変わらず、容赦なくアスファルトを熱して、蜃気楼が上がっている。空気のもやが、窓の外の景色を揺らめかせた。


「美しい世界だ。町は栄え、道行く人は血や争いなど無縁に生きている。

誰もが自由に学んで、技術が発展し、かびた飯や飲める水ひとつで殺し合わなくていい。

もしこの穏やかな世界があと百年でも続いてくれるなら、私は何だって出来る。この世界に来てそう思ったよ。その先に私が居なくなったとしても」


アスナの顔が再び晨明を見た。

初めて見せる穏やかな顔は、年若い少女が浮かべる笑みにしては、悲壮ながらも悟りの境地にあった。

こんな顔をさせてしまっているのも、未来の自分なのだ。途端に申し訳ない気持ちで胸が潰れそうだった。

視線を落として、己の左胸を見つめる。銃創は少しずつ埋まっていき、初めから傷なんてなかったかのように消えていく。世界を壊せるだけの力を持った人間が不死身なのだとしたら、未来にきっと希望はない。


「……やっぱりおれ、君や未来のために死んでいた方が良かったんじゃないの?麟胆組の皆を裏切って、世界を壊すようなヤバい奴なんだろ。恨んでるなら、約束なんて無視したってよかったのに。君はお人好しすぎる」

「は?」


部屋の温度が一瞬で下がった。

研ぎ澄まされた氷柱を全身に押し当てられたような、鋭い殺気が肌を刺す。

刹那、晨明の頬にすぱぁん!と熱と痛みが炸裂する。あまりの速さに、ぶたれたのだと気づくまで一瞬の間があった。

唖然としていると、胸倉を荒々しく掴まれ、激怒に染まった銀色が視界いっぱいに直面する。


「っ……!?」

「私が好きで父親おまえを恨みたいとでも思ってるのか!それ以上私の覚悟を愚弄するなら、もう一度殺してやる!

いや殺すだけじゃ飽き足らん、その戯言を抜かす舌と手足を切り落として一生地べたを這いつくばらせてやる!」

「……ご、ごめ……」

「めそめそ謝るな!次に「ごめん」を抜かしても一発殴る!誠意のない謝罪なんか貰ったところで慰めにすらならんわ!」

「…………わ、分かった……」


いっそ清々しいくらいの苛烈な言葉に、今度こそ押し黙るしかなかった。

フーッフーッと荒く息を漏らしていたが、やっと落ち着いたのか、ぱっと手を離した。

この苛烈さはきっと、母親か師匠譲りだろう。自分には無い「矜持をもった怒り」だ。それこそ晨明にとって、眩く尊いものに見えた。


「建設的な話をしよう」 アスナはつとめて冷静に切り出した。

「お前が蘇生した件やあの場に居合わせていた超常的な現象等については、私がうまく誤魔化しておいてやる。

この先、私は麟胆組に入って、お前の監視を続けるつもりだ。お前と私の関係は、二人だけの秘密だ。誰にも漏らすな」

「……まあそもそも、いきなり君を連れてきて「娘です」なんて言ったところで、気が狂ったとしか思わないよ。皆」

「好都合だ。お前は変わらず麟胆組を守るため奔走し続ける。私はそのサポートをして未来を少しずつ変える。

お前の当分の課題は、その右目を上手く扱えるようになることだな。この先、ただの人間として生きるだけでは、悲劇は防ぎ続けることは出来んだろう」

「そりゃあ願ったり叶ったり、頼もしいけどさ。この先5年間立て続けに、おれの心がぼっきりやられる出来事があるんでしょ?気落ちするなあ……」

「弱音は全部終わってから言え。それにやることはまだある。だ」

「エッ」


突然のことで、また声が裏返った。

目を白黒させる晨明に、「まあ私情がないわけでもないが……」と照れくさそうに目を逸らした。


「未来のお前が言っていたんだ。もう少し私の母に早く出会えていれば、違う未来があったかもしれないと。

だったら私はその可能性にも保険をかけたい。例えこの先、お前が全てをしくじって何もかもを失っても、お前を支えてくれる誰かがいれば、お前は厄災にならずにすむんじゃないかとな。

だから、私の母さんを探し出して、お前と是が非でもくっついてもらう。幸せを知れば、お前という厄災が目覚めずにすむんじゃないか?」


アスナは目をキラキラさせてつらつら語る。

だがアスナとは正反対に、彼女の作戦を聞きながら、晨明の表情はしわくちゃの萎れた玉ねぎよろしく潰れていく。

しまいには「いや!それは!絶対無理!無理無理しかばねかんむり!」と半ば悲痛に叫ぶものだから、アスナは呆れて晨明の頭を叩いた。

アスファルトの上でのたれ死んだ、焦げたミミズを見るような目だった。


「何を泣き言を抜かす。見つける手助けは私がしてやるから、何もそこまで悲嘆に暮れなくても」

「いや絶対ムリだって!おれ、おれ……女の子が苦手なんだもん!」

「………………………は?」


拗ねる犬が如く、晨明はずぼ!とは布団に潜り込んだ。

晨明の言葉が受け入れられず、アスナは無情にもべりっと布団を引き剥がす。


「なんだその男の風上にもおけん言い訳は━━━━━━ッ!」

「本当なんだって!おれ女の子と手すら繋いだことすらないもん!ましてやお付き合いとか無理!恥ずかしくて死ぬ!それだけは絶対ムリだってば━━━━━━━━!」


情けない魂の咆哮が病室にこだまする。

絶叫するものだから、また病室を訪れた八日吹に「昼間っから何を騒いでいるんです、他の患者さんにも迷惑ですよ。それと、絶対安静ですからね!」と懇々説教を食らう羽目になった。

そして誰の視界にも入らぬアスナといえば、前途多難の目標を前に、脱力して地面に項垂れるほかなかったという。


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