第十一話 麒麟の子


晨明が蘇生した翌朝のこと。

当然ながら、死人であるはずの晨明が蘇ったという話は瞬く間に広まり、朝から色んな意味で騒然としていた。

知らせを聞いて喜び安堵する者、「単に運よく致命傷を避けて、昏倒しただけでは?」と一蹴する者、興味本位で現場にいた暁天と朧月から話を聞こうとする者、晨明が偽者なのでは?と懐疑的な意見を出す者、話題にすら出さない者……反応はさまざまだ。

だが組員にとってより重要な問題がある。麻薬カルテルの面々が、明確に麟胆組への敵意を示し、桐壺の行動を読んで暗殺を仕掛けてきた件についてだ。

桐壺や同行者たちは一睡もできぬままに、会議へと呼び出され、尋問を受ける。幹部らも神妙な面持ちで、今後の対策について話し合うこととなった。


「向こうの報復は迅速かつ、桐壺の動きを把握したうえで、雑兵をけしかけてきた。様子見なのか、あるいは相当こちらを舐めているか」

「誘いのためとはいえ、若様目立ちますからなあ。でもそれにしたって、手を出してくるのが早かったのは事実です。『こちらはいつでも仕掛けられるんだぞ』とでもいいたいのでしょうなあ」

「質と統率力はともかく、ヤクで半グレ釣って数で対抗しようってか。チャイナらしいやり口ですなあ」

「<胡蝶>、<澪標>からの報告は?」 


幹部の一人、<絵合>が静かな声で問う。

顔半分を覆う痛々しい傷跡と伸ばした銀髪が、格子模様の朝日を受けてうっすら照らされる。厳つい男の両腕は、愛らしい少女の人形をしっかり大事そうに抱え、ゆったりとした手つきで人形の頭を撫でる。

<胡蝶>と呼ばれた男に視線が集まった。顔いっぱいに蝶のペイントを施した、和装のピエロと呼ぶべきいでたちの男が、発言の許可を得て面を上げる。


「満ち欠ける夜をば跨ぐかわほりの身を尽くせして二つ岩に舞う」


沈黙が一瞬、場を包む。

<胡蝶>は道化だ。ひとたび公の場で口を開けば、和歌だの奇妙な回文で報告するので、この場で彼の真意を読み解ける者は非常に少ない。

おい、誰でもいいから通訳しろ。誰もがそう言いたげに互いを睨む。

空気を察してか、<胡蝶>の後方に控えていた若い男──ピンクのマッシュルームカットの──<朝顔>が、「恐れ多くも、申し上げますれば」と声をあげる。


「<澪標>は現在、相手方の拠点ふたつの位置を抑えまして、拠点内をそれぞれ巡回しつつ情報を集めているとのことです。しかし内部では二つの勢力で対立しており、組織内は一枚岩ではない様子である、と」

「ほう。続けよ」

「我々の調査も加味すると、おそらくこの二つの派閥とは、<レイ>派、<玉轮ユゥラン>派と呼称されるグループのことかと思われます。いずれもが、麻薬売買人たち曰く、中国本土ではそれなりに名の知れた黒社会の人間だそうで」

「玉轮、のお。聞いたことのある名じゃのお。瑆さまや、よければ語ろうかえ?」


報告の言葉に口をはさむようにして、幹部の一人が声を上げた。

厳つい男たちに混ざって、金魚が美女になったかのような女が、扇子を広げてわが身を扇ぐ。年若い姿であるにも関わらず、その佇まいは肝の入った老女のよう。

二条院は視線を一瞥させ、「<橋姫>、発言を許す。語れ」と告げる。


「同一の輩かは知らぬが、玉轮といえば昭和のなかばに名を馳せた、質の悪い妖術師よ。邪魅のごとく掴めぬ女での、人を惑わし魅惑する術に長けておる」

「顔を合わせたことが?」

「なんとも可愛げのない女でねえ。目玉が濁った水たまりのような醜女しこめじゃった。三下のくせに、ちょっかいをかけてくるもんだから、食うもの全てが苦肝の味にしか感じられぬ呪いをかけてやっただけよ。ほほほ……」

「橋姫殿。雑談は慎まれよ」 

けたけた笑う橋姫を、<賢木>こと六条が冷ややかに諫めた。橋姫は「余裕のない男は好かれんぞ」とあしらいながら、言葉を続ける。


「雷のほうは知らぬが、玉轮は邪法で薬を拵える方法も熟知しておろう。

じゃが一方で玉轮という女は狡猾で臆病じゃった。もし同じ女であらば、かように白昼堂々、喧嘩は売らぬ」

「……ふむ。その二つの派閥について、さらに探りを入れる必要がありそうだ」


その後も淡々と会議は続く。

若い補佐や組員たちはあくびを噛み殺し、中には己の内腿をつねって眠気に耐える者もいた。

ようやく次の方針が決定し、解散の言葉がかけられる頃、襖の奥からとんとん、と床を軽く鳴らす音が響いた。


「組長、例の方が到着いたしました。正門にてお待ちいただいております」

「……わかった。今から呼ぶ者は、儂に続け。このまま病院へ向かう」


は、と声をかけられた数名は、互いに不思議そうな顔で目配せして後を追う。

六条は去り行く背中と、解散する面々を見送りつつ、渋い顔で「いよいよ」かと疲れたように一人ごちた。



「邪魔するぞ、晨明」

「組長!お、おはようございます」


翌日の昼、晨明の病室に見舞い客が訪れた。

組長の二条院瑆だ。護衛を数人伴っている。起き上がろうとする晨明に静かな声で、「よい、そのままで」と制した。

年相応に老け、大きな傷跡を刻まれて尚、二条院瑆の顔立ちは端整だ。けれど相変わらず怖いしかめ面で、その顔から表情を窺い知ることはできない。

薄い紫の目が、晨明の左胸を観察する。すでに傷口は完全に塞がっていた。ついで額の切り傷、たんこぶのあった後頭部、と視線がうつる。


「どの傷もすべて癒えとるんか。驚異的な回復力やな」

「は、はい。おかげさまで」

「こんな体になった心当たりや兆候は?以前からあったもんじゃなかったろ」

「ありません。どうして生き延びれたのか、自分でも不思議です」


噓をついてしまった。胃がきりきり痛むが、これもアスナの指示だ。

この特異能力について、アスナは「お前が右目を使いこなせるようになるまで、どんなに親しい人だろうと、周囲には教えるな。いらない混乱を招くから」と釘をさしていた。この治癒能力もはっきり明かすわけにはいかない。

しばらくじっと視線がかちあったが、瑆は「そうか」とだけ告げて視線をそらした。よかった、ばれてはいない。あるいは、気づいたうえで見逃されているのか。

そばで控えていた八日吹曰く、「念のため三日は様子を見て、何もなければ職場復帰してよい」とのことだった。

二条院は少しの間、沈黙すると、護衛たちに「人払いを。お前たちは裏口にて待て」と告げた。護衛たちは了承し、八日吹も部屋を出ていく。


「時に晨明。一足先に、お前に会わせにゃならん人がおる」

「おれに、ですか」

「さる家から身を預かった女人や、くれぐれも失礼は働くなよ。……入られよ」

「女性?一体だ……れ……んぐふっ!?」


扉に向かって声をかけると、からりと引き戸が開かれた。

しずしずと歩み寄ってきた女性を見るなり、晨明は変な声が出そうになるのをぐっとこらえ、その場でむせた。服装こそ淑やかで、夏らしい涼やかな和装だが、凛とした佇まいで晨明と対面する顔は、四ノ宮アスナその人である。

思わずばっ!と顔を伏せて、顔をそらした。


「四ノ宮アスナ殿だ。故あって、明日から麟胆組で生活してもらうこととなった。

どうしてもお前に一目会いたいとのことで、こうして顔合わせの機会を作った」

「お、おれに、ですか」

「初めまして、狛枝晨明さま」 しずしずと、淑やかな所作でアスナが挨拶する。

「四ノ宮の家より参りました、巫女のアスナにございます。それでは、失礼して」


やおら、顔をぐっと近づけられた。娘とわかっていても、やはり心臓に悪い。

身構える晨明に、アスナが耳元に唇を寄せ、小声で「話を合わせろよ」と囁くと、しばらく顔を凝視したのち、よろりとよろめいて、数歩後ずさった。


「申し上げます、二条院様。やはり私がこの真眼で見立てた通り、この男には甪端ろくたんが憑いております」

「甪端?……麒麟が憑いている?この子に?」


その言葉を聞くと、二条院瑆はまたも目を驚愕の色に染める。

ロクタンとは何だろう。晨明は訳が分からず、二人を交互に見やった。憑くというからには、お化けの類だろうか。

アスナは頷くと、「間違いありません」と言って説明を始めた。


「晨明さん、麒麟についてはご存じですか?」

「あ、うん……はい。伝説上の生き物ですよね。龍の頭と獣の体を持つっていう」


麒麟。その詳細こそ知らねど、飲料水のブランド名や会社名などで名を知る者はかなり多いだろう。

中国を発祥とする霊獣であり、この世の動物たちの長とされる「瑞獣」が一柱だ。

仁の心──つまりは深い人間愛を持つ君主が生まれるとき、姿を現すとされており、麒麟自身も穏やかで殺生をしない性格とされている。

麟胆組と登輝畑町は、この麒麟という存在を深く信仰している。麟胆組の所有する山には、麒麟を奉る祠があり、春と秋には麒麟祭という行事も存在している。


「麒麟にも様々な種類がおり、色ごとによって名前も特徴も変わります。

青き麒麟・聳孤しょうこ、赤き麒麟・炎駒えんく、白き麒麟・索冥さくめい、そして黒き麒麟・甪端ろくたん

晨明さんにはそのうちの一柱、甪端が憑いております。甪端は日に一万八千里を奔り、様々な言語に精通するとされる麒麟です。これは吉兆ですよ、二条院様」

「……本当に、この男に憑いているというのか。しかし何故?」

「神獣の心は人の道理には則らぬものです。ただ憑いた。それに甪端のツノで造られる弓は極上の一品とされています。弓を扱われる二条院様、ご子息の更衣様とも深い縁が関わっているのだとすれば、そういう奇跡もありましょう。致死の傷が癒えたのも、その甪端の加護かと」


つらつらと語るアスナ。その言葉には妙な説得力があった。

とんだハッタリだというのに、堂々たる態度で語るからか、二条院は未だ疑わしげに晨明を見やるものの、「……貫かれた心臓がもとに戻ったのだ、それくらいの根拠がなくては逆に困る」と納得したようだった。


「では、殿。晨明が突然姿を消し、敵方の研究所に現れたことも。更衣の暗殺のことを知っていたことも、甪端が関係していると?」

「はい。瑞獣に憑かれた者が、膨大な智慧と千里眼により天啓を受け、本来知りえるはずのない知識を得たり、神隠しに遭うこともあります。甪端が憑いたことが原因と考えれば、合点はいくかと」


続けてアスナは、仰々しく二条院に頭を下げる。


「甪端がこの男に降りた時、私が麟胆組へ参ったことには、きっと重大な意味がございます。しばらく彼の監視を、私に担当させてはもらえませんでしょうか」

「アスナ嬢が?しかし貴女は、四ノ宮家から預かった大事なお嬢さんで……」

「だからこそにございます。私には四ノ宮家の者です。常人には見えぬものが見えて、神通力を用いて多少の未来を見通すことも可能です。

彼の中の甪端が次に何をもたらすか、この目で見て進言すれば、二条院様もご安心でしょう?」


二条院は黙した。

四ノ宮家がどういう存在かを晨明は知らないが、普段から信心深い二条院が、彼女の言う能力のことを無条件に信じていることは見てとれた。

実際、彼女は未来から来たのだし、奇妙な術も使えるし、なにより少女らしからぬ強さがある。彼らが文句を言ってくれば、実践して黙らせるだけの力はあるのだ。


「……承った。ただし、身の安全のため、護衛はつけさせてもらう。なにせこの男は本当に力不足な若造なのでな、お嬢さんに万が一があってはいかん。それでよろしいか」

「はい。お気遣いに感謝いたします、二条院様。早ければ明日から、二十四時間しっかりと、晨明さんのおそばにてお仕事させていただきますね」


再び恭しく、アスナはぺこりと頭を下げる。

晨明は二人のやりとりを唖然と見ているほかなかった。ものの見事に、当人を前にして、意見など一切求められない決定が下されてしまった瞬間であった。

二条院は「では仔細は追って伝える。引き続き静養につとめろ」とだけ伝えると、アスナを伴って病室を出て行った。


「……アスナ……きみ、ある意味大物になれるぜ……」


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