第六話 孤独に気張れ
「わ、若様が殺される……!それも6時間後!?いつ、どこで!?」
「私が教えられることは、日付と時間くらいのもの。それ以上の情報は教えられない、教えることは出来ない。私に甘えず、自分自身の力で守ってみせたらどうだ」
「けちんぼ!いや、言ってる場合じゃない……い、急いで若様に連絡して警告しないと……!」
衝撃的すぎる一言に、晨明は血の気がさーっと引いた。
急いでスマートフォンを起動するが、圏外。電波を拾おうとするせいで、充電もみるみる減っていく。
冷静になって考えれば、一体ここは何処なのか。周囲を観察すれど、そもそも暗すぎて、スマートフォンで足元を照らすくらいが精一杯だ。で真夏にも関わらず、冷たい空気がたえず流れ込んでくる。
やけに長い廊下だ。暗い廊下には太いパイプがいくつも伝い、気を抜くと足元でひっかけて転んでしまいそうだ。それに、冷えた風に乗って、先程から鼻をつんっと刺激する匂いが立ちこめている。
「ここ……さっきからクスリ臭い。さっきの部屋にあった機械、遠心分離機とか、造粒や乾燥に使う機械だったよね。もしかしてここ、ドラッグの製造工場……?」
「察しがいいな、正解だ。お前達が襲撃した売人グループが扱うドラッグを、ここで製造していたらしい。未来のものと比べると、随分モノがいいな」
「確かに、あんなに設備がしっかり揃ってるなんて、相当金がある連中だね。あれだけの設備を揃えるのって、億は金かかるだろうし。でなきゃ、結構でかい
小声で話しつつ、晨明は「それにしても」と怪訝な目をアスナに向けた。
「なんでおれを、ここに連れてきたの?その……あのヘンテコな魔法で」
「ここならお前と気兼ねなく死合えると思ったまでだ。流石に罪もない、無辜の人々や建物を巻き添えにするわけにはいかんからな」
「あ、そういう良識はあるのね……」
「その点、悪党共の拠点なら幾ら破壊されようと痛快無比かつ気分爽快。最悪、事前にこの建物に設置した爆発物で、お前もろとも爆発四散する予定だったしな」
「おっかねェーッ!?テロリスト並の危険思想やめろ!今は令和だぞ!」
「レイワ?」
「年号だよ、未来は令和のまま?」
「知らん。そも未来ではネンゴーというものは使われていないし、周りの者たちも口にすることはなかったからな。今初めて知った」
「そ、そっか……」
話題を乱暴に打ち切られ、沈黙に包まれる。気まずい。
廊下にはいくつもドアが並んでいるが、不気味な静けさに満ちていた。ここを管理している人間だとかは居ないのだろうか。あるいは夜遅いから、皆帰ってしまった?
試しに晨明は、「出口はどこなの?」と聞いてみたが、アスナは「知らん。適当に歩いているだけだからな」と涼やかに答えるだけ。
「えっ!?し、知らないのにずっと歩いてたの?」
「眼の力を使っているから問題ない。出口には自然にたどり着ける」
アスナは振り返り、己のこめかみを軽く指でつついた。
先程まで青かったはずの両目が、ぼんやりと銀色に輝いている。車のフロントライトみたい、という感想はぐっと飲み込んだ。
さも当然のように「お前も右目で視れば分かる」と言うので、試しに左目を手で覆い、右目に意識を集中させてみる。
すると、頭がぼうっと痺れる感覚の直後、視界が立体的な世界へ変貌する。壁や扉の向こうに存在する部屋の数、絡み合うパイプやダクトの構造、動植物の気配やシルエット、音や匂いまでもが可視化されていく。
例えるなら、視界だけが光の速度で、ありとあらゆる場所を巡り、マッピングして脳内に展開しているかのようだ。
色鮮やかでごちゃごちゃと絡み合う景色が、一瞬にして視界を覆うので、ぐらぐらと意識が揺らいだ。ばちばちと頭の中が爆ぜる感覚に、吐き気を催す。
咄嗟に視界を閉じて、「おえっ」と小さく嘔吐いた。
「な、っに今の……す、すごい数の色んなものが、わーっと広がって、パソコンの電子音とか、三角コーナーの腐った食べ物や、水の匂いとかも目で見えた!こう、これって匂いとか音なんだって感じ!スゴイや、気持ち悪くて吐きそうだけど……なんか、感動してる……!」
「
「あ……そ、そうなんだ」
だが、おかげで視えた世界は頭の中に記憶出来た。
この麻薬製造所は、どうやら地下にあるらしく、自分たちはおよそ地下五階の辺りにいるらしい。地上に出るにはエレベーターか階段を使うしかないが、道中には分厚い扉がいくつか存在している。
早速、その分厚いドアに到達した。重たそうな扉だが、自分たちは内側からいるので、そのまま押して開くことが出来そうだ。
ドアを押し開け、「案外楽に出られそうだな」と思った矢先、ごりっと固い感触が晨明の後頭部に押しつけられた。
「おいデカブツ。制服じゃねえってことは、職員じゃねえな?ここで何してる?」
「──!」
「ドアから手を離して、ゆっくり両手をあげな。妙な動きはするなよ」
唸るような低い声が囁いてくる。
足音は感じなかった筈なのに、どこに潜んでいたというのか。前方にいるアスナに視線を向けるが、アスナはどこ吹く風という顔で、扉に奧にするんっと抜けていった。
去り際に「まあ気張れ」と唇を動かし、ウインクする。直後、無情にもドアは締まり、背後の男と晨明だけが取り残された。
──嘘だろ、あっさり見捨てられた。愕然としたが、アスナに怒鳴る余裕もない。
そもそも後ろにいる男は、なぜアスナには敵意を声をかけなかったのだろう。否、よもや彼女に気づいていないのだろうか。
さて、この窮地をどう切り抜けよう。背後を取られた今、この男によって脳天に風穴を開けられるほうが先か、それとも自分の不意打ちをぶつけられるほうが早いか。
深呼吸し、まずは覚悟を決める。
「疾ッ!」
「うおっ……!」
刹那、晨明は膝から脱力する。背後の男からすれば、突然晨明が視界から消え失せたので、面食らったことだろう。
まるで骨が溶けたかのように柔らかく脱力し、低く構えて、男の足首をかっさらう。背後の男は足払いを食らって体勢を崩すが、咄嗟に片手で床をつき身を回転させて、体勢を立て直す。
男は顔をサングラスや福面で隠していた。着込んでいる奇妙な白い服は、この施設での制服ということだろうか。
男が拳銃を向け狙いを定めるまでのコンマ数秒、晨明は体当たりをかまかした。銃口を向けられた人間は普通、恐怖で止まるものだ。なのに晨明の巨体が急接近したので、男は引き金を引くことを咄嗟に躊躇い、さっと身を躱す。
拳銃とは、よく狙いを定めて、静止した状態で狙わねばならない。だが男の挙動を見るに、拳銃の扱いには慣れていないのか、片手で銃を持ったまま、銃口で晨明を追いかけてしまっている。一発引き金を引いたが、あらぬ方向を撃ち抜き、壁にめりこんだ。男は舌打ちし、尚も二発引き金を引いたが、やはり足元や壁を撃つばかり。
「こいつ、すばしっこい……!」
「破ァッ!」
すかさず蹴りの一撃を放ち、手から拳銃を叩き落とした。
落ちた拳銃を遠くへと蹴飛ばすと、男は少しよろめいたものの、懐からナイフを出して再び迫ってくる。
男もまた、非常に冷静だった。慣れない武器を手放して、寧ろ動きやすくなったとばかりに立ち回る。ナイフの切っ先が空を切り、明確に急所を狙った刺突が繰り出される。目、首筋、太い血管が通る腋、手首と、明確に相手の動きを封じるための動きだ。狭い通路の中だというのに男の動きは軽やかで、その手捌きには、手練れの気配が滲み出ていた。
何度か激しく掌底で打ち、いなしながらも、どう倒すか決めあぐねていた時、くんっと晨明の鼻が匂いを捉えた。振るわれる銀色の軌跡を紙一重で避けた後、ぱっと手首を捉え、己の鼻に近づけて嗅ぐ。
男は「うおわっ!何すんだ!」と気味悪がるものの、晨明は男の腕を引き寄せる。
「あのう。筑紫さん、ですよね。おれです、晨明です」
「……あ?」
「掌から、六条さんがいつも飲んでる漢方薬の匂いがしたので。この建物の中からはしない匂いだなって」
一瞬男は「うわっ……」とヒいたような声を漏らすも、すぐ手を引っ込める。
呆れたように溜息を漏らすと、男はサングラスと福面を少しだけずらした。丸くて黒い目が、たしなめるような視線を晨明へと向けられる。
そのまま手を伸ばし、むぎっと晨明の浅黒いほっぺたをつまんで、容赦なくギリギリと引っ張った。
「お前な。敵地のど真ん中で先輩の名前を軽々に呼ぶんじゃあねーよっ!不用心すぎだろッシン!」
「ひででででっ、しゅ、しゅひまひぇっ!」
「つーか何でこんな所にいるわけ。潜入ってガラじゃないだろ。どっから忍び込んだんだ?
ここに入ってくるには少なくとも5回は厳重なロック解除して入らなきゃなんねーんだぞ」
「い、色々訳がありまして……っそうだ!若様が危ないんです!急いでここから出ないと!」
「はあ?若頭が?なんで急にまた」
「ここの連中が報復のために、若様を暗殺するつもりなんです!ここ圏外だから早く外に出ないと」
晨明が言うや否や、筑紫は晨明の腕を引いてズカズカと来た道を引き返し始める。
ずらりと並ぶドアの一つを開けると、真っ暗闇の中に晨明を放りこみ、電気をつけた。ぱっと明かりがともると、そこは大量のロッカーがずらりと並ぶ一室。
煙草とジャンクフードの匂いがしみついた部屋をぐるりと見回し、冷静さを保ちながらも筑紫は言う。
「ひとまず着替えろ。シンの全身真っ黒スタイルは目立ちすぎる。どのロッカーでもいいから使え」
「は、はい。あのう、筑紫さん。なんで俺だけ呼び止めたんです?」
「あ?」 筑紫は怪訝な顔で睨む。
「だけってなんだ、だけって。そもそもお前一人だけだったろ」
「え……」
「疲れてんのか?ちょっと尾けてたけどよ、何もないところに向かって一人でずーっとベラベラ喋ってたろ。ヤバい奴かと思ったぞ」
それ以上の言葉は控えた。どういうわけか、筑紫にはアスナの姿は見えていなかったらしい。
まさか彼女が未来から来た人で、自分の命を狙ってて、遠い未来で自分は世界最悪の厄災になりますとは言えなかった。
まず間違いなく、頭の方の病院へ放り込まれるがオチだ。
「ええと……うん、まあ、だったら良いです。頭打ったもんだから……」
「ああ、聞いたよ。バナナの皮踏んだんだって?昭和のギャグみたいだよな」
「……(この人、いつもどこから情報仕入れてんだろ……)」
適当なロッカーを幾つか開ける。
真っ白い制服はどれもタイトなものばかりなので、大柄な晨明の体格に合う服を見つけるまで数時間を要した。
どうにか服を着込んだ晨明を見て「ハーブソーセージみたいだが、まあいいだろう」と頷き、部屋を出る。
「シンの話を聞いてピンときた。どうも上の階の方で武闘派の連中を集めてると思ったら、襲撃狙いだったってわけだ。
フライパンの上のチョリソーみたいにピリピリしてたぜ」
「じゃあ、一刻も早く止めないと……」
「俺は連中の動きを探らにゃならん、どうにかしてチームに紛れ込む。お前は外に出て若様に伝えな。特別に俺の
「っはい!」
「壊したらお前の体と同じ部分壊してやるからな。大切に乗れよ。あと、気張れ。お前がしくじれば若様は死ぬ」
「……は、はい!」
本気なのか冗談なのか分からない一言を背に受けて、急ぎ晨明は外へと目指す。
筑紫もまた、素知らぬ顔で晨明と共に早足で地下を抜けていき、「また後で」と暗がりの通路の中へ、猫の如く消えていった。
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