第七話 風の中で
「愛車は、施設の裏手にある坂道の先に向かった、小さな空き地に隠してある。怪しまれるなよ。お前、結構顔に出るからな」
「ッス(えっ、おれそんなに分かりやすいのか)。つ……先輩も気をつけて」
別れ際にバイクのキーを手渡され、晨明は職員のフリを押し通し、外を目指す。
道中で何度も職員に出会したときは、いつばれるかもしれない、と肝を冷やした。
だが幸いにも、「見ない顔だな」「こんなデカイ奴いたっけ」とすれ違う面々に訝られはしたものの、それ以上咎められることもなかった。
極力目立つことを避けて、どうにか上を目指し、地上階のロビーまで出た。人がどんどん少なくなっているあたり、今頃は襲撃隊を組んでいるのだろう。急がねば。
ドアを押し開けると、少し濡れた草木や土の匂いが、生ぬるい風と共に頬を撫でた。
外はまだ暗く、真っ暗な梢の隙間から星空が覗いている。
「(森、ってことは山の中か。道理で電波が通じないと思ったら……参ったな)」
ある意味で感心だ。まさかへんぴな山奧に、ドラッグ製造施設があるなんて、普通の人は夢にも思わないはずだ。
ゆっくり外に出ると、ヨタカのキョキョキョキョッという甲高い鳴き声が響く。
悪の拠点の出入り口は、一見すれば放置された大きなプレハブ小屋といった外観だ。窓もないし、不気味なので、まず立ち入ろうとする人間はいないだろう。
「(東京からどのくらい離れてるんだろう。そもそも関東なのかな、ここ?一瞬で海から山に移動しちゃってるし。あのヘンテコな魔法、よくよく考えなくてもとんでもないな……)」
ともあれ、アシを見つけねば。
言われるがままに裏手に回り、坂道を急いで駆け上がる。夜の森のなか、街灯なんてもものないのに、やけに道は明るく見える。こ右目のおかげだろう。
なぜ己の見えなかった右目に、こんな力が宿ってしまったのかは気になるが、今の状況では大変ありがたいものだった。
整備すらされていない坂道をのぼりきって、少し歩くと、はたして狭い空き地に、見覚えのある黒いバイクが停められてある。筑紫の愛車だ。
バイクの座席には、しれっとアスナが座して、やや退屈そうに待っていた。
「随分遅かったな、狛枝晨明」
「あ!さっきはよくも置いていってくれたな!この薄情者!冷血女!」
「これしきの些細な困難で立ち止まるようなら、その程度の男だということだ。ところでこのモノ言わぬ馬、随分と鞍が固いな。そもそも生き物なのか?」
「バイクだよ。未来にないの?」
「へえ、これがばいくか。文献でしか見たことがないが、意外と小さいのだな。動かせるのか」
「そうだよ。もしかして乗りたいの?」
一瞬の間。
アスナは輝く目をバイクに向けていたものの、すぐ我にかえったようだった。
ちらちらとバイクと晨明を交互にみやって、少し考え込む。
その間、急いでスマートフォンを開いた。やっぱり圏外だ。電波が拾える場所に出てからでないと、桐壺たちに連絡することも出来ないらしい。
やおら、アスナが閃いたように口を開く。
「聞け。確かに私の足のほうが早いかもしれんが、私はお前が目的を果たすかどうか監視する必要がある。共に行動しなければならないのだから、お前についていくのが一番だ。よって後ろに乗せていけ。この席の幅なら私も乗れるんだろ」
「……分かったよ。それはそうと上着ちゃんと締めて、裾はあげろよ。車輪に巻き込まれたら危ないから。っていうかその格好、本当にどうにかならないの?」
「いちいち命令するな、お前こそ病気のミミズみたいな、ヘンテコつんつるてんの格好してるくせに」
手が出る早さもさることながら、罵倒もところてんのように出る女だ。
アスナはふんっ、と鼻を鳴らす。さっさと乗って動かせ、といわんばかりの顔だ。
なんとも生意気だが、口論している暇もない。ヘルメットが1つしかないことに気づき、「これ被って」アスナに差し出すと、不思議そうな顔で受け取った。
「なんだこれ」
「ヘルメットだよ。これつけてないと、頭ぶつけた時、危ないから」
「随分固い兜だな。つけかたが分からないぞ」
「しょうがない奴な……動くなよ」
すぽっとヘルメットを被せて、バックルとアジャスターを調整して締めてやる。
座席に跨がり、背後にアスナが座ったことを確認して、「落ちないでね」と言い聞かせながらバイクのキーを差し込んで回し、エンジンをふかす。
バイクが動き始めると、軽い揺れに驚いてアスナは「きゃっ」と小さく驚きの声を漏らした。咄嗟にしがみつかれたので、晨明も「うおわっ!?」と悲鳴を上げ、その拍子にバイクはつんのめりながらも、少しずつ加速し始める。
「きっ急にしがみつくなよな、危ないだろ!」
「何の合図もなく動かすお前が悪い!」とアスナ。
「だいたい、私が密着したくらいでそんなに声を出すな!いちいち過剰だなお前!」
よっぽど置いていってやろうか、とも思ったが、口には出さなかった。
月の光も届かぬ山道を、少しずつギアを上げながら駆け下りていく。筑紫の愛機は見た目こそかなりのじゃじゃ馬だが、あまり腕力のない彼に合わせてか、かなり小回りの利く仕様になっているらしい。
暗闇の中、前方を照らすライトが、色のない道路を照らし続ける。思えば誰かを後ろに乗せてバイクを走らせるなんて、それも女の子だなんて、滅多にないことだ。
急に背後の体温と感触を意識しそうになって、咄嗟に話題を振ることにした。
「ねえ、なんでアスナはミアキのこと、どれくらい知ってるの?」
「名前と、女だってことは聞いてる。他は知らない」 素っ気なくアスナは答える。
「ミアキのことを知っているのは、未来では私だけだ」
「そっか、良かった。聞いてもいいかな。彼女のこと、誰から聞いたの?」
「未来のお前から直接聞いた」
またも素っ気ない返事。あんまり話題にしたくないらしい。
熱をはらむ、ねっとりと重たい夏の夜風が、晨明の頬を叩く。バイクはもっと加速しろとばかりに唸りを上げ、夜の闇を切る。
ふと、エンジン音にあおられる勢いで、晨明は思ったままの言葉を漏らした。
「そうなんだ……おれ、きみにすっごく憎まれているわりに、そんなこと話せるほど、君のことは信頼してるんだね」
「なに?」
「おれは、ミアキの話は、絶対だれにもしないと思うから。組長にも、若様にも、師匠や父さんにだって、あの子の話だけはしたことないし。絶対、これからもするつもりはないもん」
「……」
「もしかして、未来のおれってきみと、実はすごく仲良かったりする?」
言った後で、これもしかして、かなり怒るのでは?と身構えた。
だが予想に反し、アスナから返事や反論は返ってこない。前方しか見えないから、彼女が何を考えているのか、どんな表情をしているかも察することは出来ない。
だが油断した直後、「そんなわけあるか」とアスナはドスのきいた声をあげ、思いきり二の腕を指でムギッ!とつままれた。
「いっでええッ!運転中につねるなよッ!危ないだろ!」
「戯言を抜かすお前が悪い。説教たれる前に、さっさとこの山を下りるんだな」
「こ、こいつッ……(顔は可愛いのに、本当にやることなすこと、腹立つッ!)」
山道を下り続け、高速に出て、やっと位置を把握することが出来た。
スマートフォンで時計を確認すると、殺害タイムリミットまであと4時間半。
看板を見ると、なんと、S市から二県も離れた位置のM市だった。車でノンストップで走り続けても、元いた場所から3時間はかかる距離だ。
そんな場所に一瞬で移動していたのだと思うと、改めて一連の奇妙な出来事が現実であると、否応なしに受け入れざるを得ない。半信半疑だったが、やはりこの少女が未来から来たという言葉と奇怪な現象に、妙な説得力が増す。
「(どこか落ち着ける場所で、改めて連絡しないと……!更衣様、今日は東京で飲むって言ってたよな……)」
ほぼ車のいない高速を抜け、一度バイクを停める。夜中なので周囲に人の姿はない。
やっと電波が立つさまを見て安心し、電話をかける。
程なくして、更衣が電話に出た。バックがかなりやかましいあたり、どこかのキャバクラにでもいるのだろうか。
「あれえ、おシンどうしたの?もう寝てる時間じゃないのお」
「あー、いえ、今色々あって。それより若様、いまどちらにいらっしゃいますか?」
「今ね~K町の地下バーにおるよお。なに、もしかして来る気になった?」
「それどころじゃないんです!いま、若様に危険が迫っているんです!例の麻薬カルテルの連中が、暗殺部隊がそっちに向かってて……!」
「あんだってえ、まだいとカクテルにあんみつぶりかま?ぶはは、まずそ~!」
「別の意味でまずいんですって!危険ですから、他の人達にも知らせて、なるべく安全なところまで移動してください!っていうかかなり飲みましたね!?酔ってますね、さては!」
「酔ってへん酔ってへ~ん、まだ一升くらいしか飲んでへ~ん」
「うわーっしっかり飲んでしっかり泥酔してる!他にいないんですか、まともに話せる人!ちょっと替わってください!」
「マジで大丈夫じゃけえ~、おシンも来いや~。住所送っとくけえ~」
懇願も空しく、言うだけ言って切れた。
頭を抱えるほかない。更衣は普段あまり悪い飲み方をしないのだが、今日に限ってタガが外れたように飲んでしまっている。
よっぽど先日の襲撃で、人の死体をまざまざ見てしまった事が、強烈なストレスになっていたのだろう。急ぎ、他のメンバーにも電話をかけようとしたが、運悪く充電が切れてしまった。かなり充電を消耗してしまっていたらしい。
「くっそ!町中で充電器買わなきゃ……!K町まで2時間くらいか、間に合うか……!?」
「絶体絶命、だな」
「呑気に言ってる場合か!若様が死んだらきみにとっても良くないだろ!若様が死ぬことだけは回避しなきゃ!ねえ、どこのバーか知らないのかい!?」
「ふん、お前は10年前に起きた殺人事件の被害者や現場を正確にそらで言えるのか?つまりはそういうことだ。
二条院更衣の死に、私は何の感慨も持たないからな。会ったこともない人なのだし」
愕然として、アスナの顔を凝視した。
変わらずすまし顔だが、彼女は冗談でも、試し行為で言っているわけでもない。本気で晨明が更衣を助けられなかったのなら、その時は迷わず殺すという目をしていた。
それでも、迷っている暇はない。パンッと己の頬を両手で強く叩いて、気合いを入れ直した。逆に考えるのだ、町に着いてもまだ2時間の猶予がある。
それまでに更衣を探し出して、麻薬カルテルの襲撃から守らねば!
「……やってやる。若様はおれが、絶対に守ってみせる!命にかえても!」
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