魔女の報せ1

 家主の料理に対するやる気のなさに反し、この実験棟の台所には、まな板も包丁も、鍋も用意されていた。恐らくは、いまは北に向かっている兄貴分のはからいだろう。可哀想なことに、一度も使われた様子のないそれらを、私は一通り洗い、夕食の支度にとりかかった。


 作ったのは、なんてことない、トマト煮込みのスープだ。


 シルヴィオの貯蔵庫のなかには、ハーブの類いもたくさんあり、地下の氷室――――ここは高山の上のため、ちょっとした氷の護符を遣えば、食物を氷漬けで保管できるらしい――――の魚で出汁を取りつつ、味を調えた。

 

 もちろん、作業がスムーズに進んだとは言い難く。

 

「あの、このお塩、気のせいでなければ薬品瓶に入ってませんか?」

「あーそれ、在庫管理表から漏れてたやつだから、適当に使っちゃって大丈夫。有害な薬品が混入してないことは、さっき魔法で確かめたから」

「そういうことじゃなくてですね」


「あの、このバジル、標本ラベルがついてるんですが……」

「その株の標本はほかにもあるし、保管庫から間引かなきゃいけないと思ってたから、ちょうどいいよ」

「そういうことじゃなくてですね」


 と、いうようなやり取りを何度か交わしつつ、「じゃあ、何が問題?」と首を傾げられてしまうと、論破するだけの知識も修辞力もないのは、哀しいところであり。そもそも、調理中の野菜も実験圃場で採れたものだろうと言われたらそれもそうであり。もしや、これはこれで、『実験の一環』のような食事なのではと考えつつも。

 

(……いえ、これでも、お砂糖を舐めるよりはましのはず)

 

 と、自らを慰めて、私はそのスープを作り上げた。

 そうして出来がったスープを、深皿(正確には大型の陶製すり鉢のようだったが、ぐっとこらえ、これを使わせてもらった)によそい、机に置く。例により、作業の一部始終をそばで眺めていたシルヴィオは、「どうぞ」と言う私に、眉を寄せた。

 

「アヤさんのぶんは?」

「……ご一緒しても、よろしいのですか?」

「うん、いてほしい。動物行動心理学と、人間の社会性を照らし合わせても、そっちのほうが美味しく食べられるんじゃないかなという見解」

 

 ほとんど起伏のない声で、難しいことをつらつらと口にするけれど、つまるところは、一緒に食べよう、というお誘いのようだ。わたしは思わず吹き出しては、「喜んで」とうなずいた。鍋のもとに戻り、もうひとつの皿を見繕って、机に戻る。

 

 星天の神への祈りを捧げ、スプーンを持つ。ちら、と机の対岸を見ると、シルヴィオがスプーンにふうふうと息を吹きかけていた。

 

「……猫舌なんですか?」

 

 尋ねると、シルヴィオはこくりとうなずいた。私は「すいません」と頭を下げる。

 

「そこまで頭が回らってました。温かいうちに、とばかり急いでしまって」

「気にしないで。おれ、普段、あったかいものって食べてないからさ。どれぐらいのあったかさが適性か、忘れちゃって、警戒してるのもあるっていうか」

「……なるほど、特性ドリンクと砂糖で生きてらっしゃるから……」

「栄養だけはばっちりなんだけど、摂食行動の習熟度は下がるよねえ」

 

 のん気にとんでもないことを言いながら、シルヴィオは「よし」とうなずき、口を開けた。はむり、と小さな口がスプーンを加えるのを、こちらも緊張しつつ見つめる。

 

「……」

 

 碧眼が大きく開かれる。なんどかまばたきをしながら咀嚼し、ごくりと、喉が鳴ってから、シルヴィオはじっとこちらを見た

 そして一言。


「すごい、あったかい」

「それは、そうでしょうね」

「そうじゃなくて、あったかいって、すごいな。胃や食道が感じる温度を踏まえれば、食事体験の質が変わるのは、当然といえば当然なんだけど」

 

 そこまで口にしたあと、シルヴィオは首を振った。

 

「ううん、当然じゃない。アヤさんが作ってくれたからだ。……ありがとう」

「いえ、どういたし」

 

 まして、と口にしようとして、息を呑んだ。


「あーら、坊や。ちょっと見ないあいだに、ずいぶん良い子連れ込んでるじゃない」

 

 くすくす、と笑い交じりの声が、突如、部屋に響いたのだ。

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