魔女の報せ2
「え? え? どなた、でしょうか?」
「……ああもう」
固まる私の前で、シルヴィオがため息を吐いた。
「エヴァ、ちょっとは空気読んでよ。ごはん食べてるところだったんだけど」
「あらやだ、たーっぷり読んだわよ! 読んで読んで、いちばんいいタイミングで声をかけたんじゃない!」
「趣味悪い。価値観、百年分ぐらい刷新したほうがいいんじゃない?」
「まったく、老害扱いとは失礼ねえ、坊やの数少ない味方だっていうのに」
謎の声に責め立てられても、シルヴィオは眉をひそめるばかりだ。目を白黒させる私に「ごめん、来客が紛れ込んでる」と謝り、空中をじろりと見上げる。
「……エヴァ、遊んでないで顔出して。ついでに要件もさっさと言って。緊急じゃないなら帰って」
矢継ぎ早な言葉は、なんともつっけんどんだ。対する声は怖じた様子もなく、「若者はせっかちねえ」とくすくす笑う。
「坊やが言うなら、仕方ない。このお嬢さんに最初に見せるのが、こちらの姿というのは、ちょっと気が引けるのだけど」
と、いう言葉とともに、机の上に一匹の動物が現れる。つるんとした流線状のシルエットに、艶やかな黒の毛皮。身体は細く、尾は長く、目は真紅で。
「イタ……チ?」
ふよふよと宙を浮くそのすがたに、目が点になる。イタチは目を細めた。女性の声が、あたりに響く。
「はじめまして、素敵なお嬢さん。この子は、わたくしの使い魔のフェオちゃんよ。ごめんなさいね、フェオちゃん越しだと、声しか届けられなくて」
「あっ、いえ! よろしくお願い致します。ええと……エヴァ、さん?」
「そう呼んでくれるとうれしいわ。よろしくね、アヤちゃん」
「は、はい! よろしくお願いします!」
「それじゃあこれは、親愛のキス」
言いながら、エヴァさんは私の鼻の頭をぺろりと舐めた。呆然とする私と、くすくす笑うエヴァさんに、シルヴィオが眉をひそめる。
「そういうの、やめたほうがいいと思うんだけど。……ちなみに、どれぐらい前から話聞いてたわけ?」
「スープを作り始めたあたりからかしら」
シルヴィオの眉間に深い皺が寄り、「やっぱり趣味悪い」と毒づく。エヴァさんはけらけらと笑った。
「とっても面白かったわあ。わたくしのことすら呼び捨てにする図太い坊やが、アヤちゃんのことは、『アヤさん』なんて呼んでかわい子ぶっちゃって」
「かわい子ぶってなんかない。常識的な大人だと思われたかっただけ」
イタチすがたのエヴァさんは、尻尾をぶんぶん振って笑った。
「あははは、常識的な大人! よりによって、あの坊やが!」
「……なんで笑うのさ。そんなに滑稽?」
「滑稽とは言わないけれど……アヤちゃんは、どう思う?」
「どう、とは」
「アヤちゃんの目から見て、坊やは『常識的』かしら?」
いたずらに煌めくイタチのひとみと、じっとこっちを見据えるシルヴィオの碧眼に、顔が引きつる。
「え、ええと……お食事の面や、魔法の技術の面では、シルヴィオさんは『常識』の枠には収めきれないところがあると思います」
「むしろ、はみ出しまくって、戻ってこれなーいって感じよね」
「そこまでは言ってません! ……コホン。けれど、私への態度や、優しさ、お気遣いの面では、常識――――いえ、とても良識的です。話していて安心したのも、殿方だけの建物に泊まってもいっさい抵抗を感じないのも、シルヴィオが良識的だからです」
上司候補なのに呼び捨てで呼ばせるところとか、そのくせ自分はさん付けするところとか、色々と風変わりな点はあるけれど、『常識がない』と感じるところではない。
「なので、シルヴィオの主張は、間違ってないかと」
「よし」
「よし、じゃないのよ、坊や。とっても手加減されたって自覚なさい。勘違い男って見苦しいものだからね」
「勘違いなんてしないってば、ていうか余計なこと言わないでよ」
「ちょーっと! お姉さんの忠告はちゃんと聞きなさいってば!」
「『お姉さんの忠告』なら聞かない。上司としての依頼ならこなすけど」
「……上司?」
シルヴィオは自分を、『ちっちゃな会社の社長』と言っていた。『親会社はべつにある』とも。つまり、シルヴィオの上司であるということは、教授である彼を凌ぐ立場であるということで。
「ああ、ごめん、紹介してなかった。このイタチの飼い主は……」
「お待ちなさい。せっかくのあいさつだもの、わたくしにさせて頂戴」
ふよふよ浮かぶエヴァさんが、私の前に降りてきて、ほっぺたをぺろりと舐める。エヴァさんはするりと天井のほうに戻ると、「ひゃっ」と悲鳴を上げる私と、「ちょっと!」と声をかけるシルヴィオを見下ろして、車輪のように一回転した。
「はじめまして、わたくしはエヴァ=ブラン。『薔薇の魔女』と名乗ったほうが、伝わるかしら?」
「待ってください、それは、つまり……!」
魔法や学府に疎い私ですら、知っている名だ。
「御伽噺にも出てくる、魔女さまで……この国の魔法使いの、頂点の⁉」
「うふふ、お見知りおきいただき、ありがとう。ご存じの通り、私は国で最高峰の魔法使いとして、国立魔法学府の三大学府長の一角をしているわ。建国当時から、ずっとね。……おかげさまで、そこの坊やには老害呼ばわりされてるけど」
「そうは言ってないじゃん。デリカシーなさすぎだよ、って忠告してるだけで」
「んもー、可愛くないわねー」
エヴァさんの正体を知ってしまうと、ぽんぽんと交わされるやり取りの見えかたもぐるりと変わってしまう。
(『薔薇の魔女』の名は国中に轟いているから、それにあやかって、エヴァ、という名を付ける人は多い……でも、まさか、ご本人だなんて!)
シルヴィオがすごい立場の人だと分かっていたはずなのに、まるで見込みが甘かった。まさかこんな山の上で、生ける伝説と言葉を交わすことになろうとは。
(というかシルヴィオ、貴方、『薔薇の魔女』を呼び捨てにしてるんですか……⁉)
それは『図太い坊や』と言われるのも、当然だろう。もはや、アヤさんだなんて呼ばれている自分のほうが、肩身が狭くなってくる。
「エヴァは、おれが学生のときの指導教官なんだ」
「……エヴァさんも、学生指導をされるんですね?」
「普段はしないわよ。ただ、その子の才能があまりにも異質で、まともに評価も教育もできないようだったから、わたくしが立候補しただけ」
「……作物の育ちかたを予想する魔法が、でしょうか?」
「あら、坊やったら、そんなに手抜きの説明をしたの?」
エヴァさんは責めるようにシルヴィオを見やった。私は慌てて口にする。
「ち、違うんです! 私があまりに学がないもので、馴染みがある話題を選んでもらっただけで!」
「段階踏んでちゃんと説明するつもりだったんだよ。エヴァが押しかけてこなければ、ゆっくりご飯を食べながらね」
「貴方ねえ、その、『ちゃんと説明しよう』っていう意識が、余計なのよ。こういうのは、ざっくりでいいの」
エヴァさんは、静かに口にした。
「シルヴィオは大抵の魔法理論に精通しているけれど――――この子を天才たらしめているのは、命の魔法」
「命の、魔法」
「ええ。いまのところ、シルヴィオだけが使える魔法よ。これがあれば、男を女にするのも、健常者を腫瘍病にするのも、薬を毒に変えることすらできる。この子の魔法と、たっぷりの魔力があればね」
「……」
物騒なたとえ話は、現実感のない話題として、頭を素通りしていった。だって、そんなのは、あまりにもシルヴィオに似つかわしくない。
「まあ、さっき言ったような『書き換え』の魔法は、特級魔法陣並みの魔力が必要だから、基本的には『読み解く』のがメインね。ここで農業の研究をしてるのは、その延長。ほかにも、シルヴィオの手を借りたい案件があったときは、協力依頼を出すってわけ」
「……学府や、魔法警察の過去視で解決できなかった場合は、でしょ」
シルヴィオはうんざりと口にした。
「それで? 今日の依頼はなに?」
「それがちょっと混みいっててねえ……水か、疫病か、なんなのかは分からないんだけど、葡萄畑が枯死しているらしいのよ」
「……葡萄畑!?」
思わず声を上げたあと、ハッとして口を押さえる。
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