山上の研究所8

「い、勢い余って……しまった気がする……」

 

 あれからシルヴィオは、一通りの食材の位置――――油や調味料はロランさんが差し入れたものを、ほとんど使わずに保管していたようだ――――を教えてくれた。調理場だという場所はほとんど物置と化していて、すぐには使えなさそうだったので、実験室の片隅で、パンケーキを焼いている。ほんとうはもっと栄養のる料理をしたかったけれど、お腹が空いているシルヴィオを、待たせたくなかった。

 

 私はこれまで、メイドとして、そしてレストランのスタッフとして、調理も行ってきた。けれど、それを専門とした調理人、というわけではない。国の魔法学府の出とあれば、きっとおいしいものも山ほどしっているだろうに、はたして喜んでもらえるのだろうか。

 

 という、不安を増長するのは、調理作業の一部始終を至近距離から見ているシルヴィオだ。

 

「……」

「……」

「……」

 

 シルヴィオは「じーっ」と、私の一挙一足を無言で観察しているのである。

 

「ええと、シルヴィオ?」

「なに?」

「これで、出来上がりなのですが……」

 

 焼き上がったパンケーキを皿(シルヴィオの名前が刻印された金属皿で、あきらかになにかの賞の記念品だけれど、シルヴィオが『食器』と言い張ったので使わせていただいた)に乗せる。圃場で採れたばかりの果物、『栄養ドリンク』の材料だという蜂蜜を添えて出すと、シルヴィオはお行儀よくその前に座った。

 棚の奥から引っ張り出したナイフとフォーク(上質な銀の品で、あきらかに、どこか高貴なかたからの贈り物だった)を両手に構える。

 

「…………」

 

 さて、お口には合うのだろうか。

 私が固唾を呑んで見守るなか、シルヴィオは一口目を口にし、うん、と頷いた。

 

「楽しい」

「楽しい?」


 美味しい、の言い間違えだろうか、と思いつつ聞き返すと、シルヴィオはくり返す。

 

「おれのために、誰かが一生懸命料理してくれるって、楽しいね」

「……そう、ですか」

 

 それは私が期待した感想とは、少しずれていた。

 けれど、この風変わりな研究者の心に、なにかを芽吹かせることができたのは、とても嬉しかった。

 

「……まずはお腹を満たすためのものを作りましたが、晩御飯は時間をかけた煮込み物を作りますね」

「ありがとう。そっちも楽しみだなあ」

「シルヴィオだって、手先は器用そうですし、私が作るようなものは作れるんじゃないんですか?」

 

 若干、小言くさいことを口にすると、シルヴィオはあっけらかんと口にする。

 

「でも、おれは、おれの身体を心配ってできないから。最低限、動いてくれればいいかなーって感じで」

「そんな、自分を魔法具みたいに」

「ああ、うん。本質的には変わらないって思ってる」

「……シルヴィオ、それは」

 

 それは、とても悲しい響きではないかと。

 言おうとして、踏み込み過ぎではと口をつぐむ私を見て、シルヴィオはなぜか、目を細める。

 

「ほら、アヤさんは心配してくれる」

「……当たり前でしょう。ロランさんだって、きっと心配しています」

「あはは、それはそうかも。おれって結構、幸せ者?」

 

 私は息を呑んだ。

 それに『幸せ』を見出す考えかたは、とても優しく、尊いものだと思う。けれど、それを『幸せ』の上限のような言いかたは、なんだか寂しいもののように思う。

 

(……そんなのは、私の価値観の押し付けでしかないかもしれないけど)

 

 だから、私が口にしたのは、独り善がりな意地ゆえだ。


「シルヴィオ、私は調理場に行きます。一通りの掃除をしてから、スープを作らせていただきます。……そのあいだ、御自身の作業をしていても問題ないですが」

「ううん、見てる」

 

 シルヴィオは静かに言った。

 

「アヤさんが、おれのために料理をしてくれるところ、見ていたい」

 

 好奇心旺盛な子猫のように、そのひとみがきらめいた。

 

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