山上の研究所7

「お腹かあ……言われてみれば、頭がくらっとする。たぶん、血のなかの栄養素が足りてないんだろうなあ。さっき魔法使ったとき、いつもよりキツかったのも、このせいか」

「冷静に分析している場合ですか……」

 

 いろんなことをよく見ているというのに、自分のことになったとたん、とんでもなく雑らしい。シルヴィオは「うーん」と言うと、うなずいた。

 

「よし、我慢して案内する」

「えっ⁉ なにか食べてくださいよ」

「でも、早く案内しないと、アヤさん帰れなくなっちゃわない?」

「……あ」

 

 町の役場に行ったのが、ちょうど昼ごろ。そこからロランさんとともに空の旅に出て、ここに着いてからも、小一時間は過ぎている。陽射しを遮ることもない山の上だけれど、もうじき、夕方になるだろう。

 

「うちの天馬たちと顔合わせしてもらって、本当に乗って帰れそうなら、今日のうちに帰ってもらったほうがいいと思ってたんだけど」

 

 天馬を乗るのがひさしぶりであることは、察しているのだろう。

 

(たしかに、そろそろ帰らないと、夜になっちゃう。そもそも、天馬に乗るのも久しぶりだし、不安だけど)

 

 公務と私の板挟みになったロランさんの手前、自信満々に「乗れます」と言ったけれど、ブランクが長すぎるのはたしかだ。ここから町まで、かなりの距離がある。すぐに出発、というのも、心もとなかった。

 

「……すいません、私は」

「とか、建前上行ったけど、おれとしては泊まってってほしいな。天馬たちともゆっくり慣れたほうがいいだろうし」

「へ?」

「アストラホルンは、星降る山頂。夜の景色はすごいから、見てってよ」

 

 するすると紡がれる言葉と、表情は薄いけれど優しいまなざしに、ああ、と思った。

 

(また……気を遣わせて、しまった)

 

 こちらのほうが一応年上なのに、先回りをさせてばかりだ。気を遣われるのも、言葉に甘えるのも恥ずかしいけれど、意地を張るべき場面でもないだろう。素直に頭を下げて、「一晩お世話になります」と言う。


「それではまずは、シルヴィオのお腹を満たしましょう」

「おれ、もう少しがまんできるけど」

「駄目です。……あ、いえ、無理をするのは、あまり善いことではないかと思います」

 

 思わず食い気味に否定したあと、慌てて語尾を和らげる。シルヴィオは頷いた。

 

「分かった。なにか、適当に摂取するよ。ここ、こう見えて、食べるものはたくさんあるんだ」

「たしかに、これだけの圃場があるなら、食べるものには困らなさそうですね」

 

 こう見えて料理も上手なのだろうか――――と、考えつつ研究棟への道を戻る、シルヴィオは迷いなく最初の実験室に入ると、白い粉末の入った瓶――――どうやら、砂糖のようだ――――をスプ―ンに掬うと、ぱくりと口にした。 

 

「……あの、シルヴィオ?」

「なに?」

「貴方はお砂糖がものすごく好きで、これがおやつ、なのでしょうか?」

 

 丸焼きというのは、少々変わった調理法だけれど、少し特別なごちそうというのなら、ありかもしれない。おそるおそる聞くと、シルヴィオは首を振った。

 

「いや。特に好きでも嫌いでもない。糖分を入れると、血に栄養が乗るから。これに加えて胃に水を入れれば、質量の面でも満たされるはず」

「化学反応みたいに言わないでください!」

「なに言ってるのさ。摂食行動って、化学反応のかたまりだよ」

「そうだとしても、です! ちなみに、これはあくまで、時間がないがゆえの対処であって、いつもはもっといろんなものを食べているんですよね?」

「おれは毎日、調整ドリンクをのんでるよ。生きるのに必要な栄養素が採れれば、それでいいから。多少の不足なら、魔法で帳尻合わせられるし」

 

 きょとん、と首を傾げられて、絶句する。きっと、シルヴィオが言ってることは正しいのだろう。けれど、ただ砂糖を舐めるだけ、という、というやりかたは、私の常識を超えていた。

 

「もし、これから言う内容が不愉快だったら、言ってほしいのですが」

「うん、分かった。どんな内容?」

「――――私が、お料理をしてもよろしいですか?」

 

 出すぎた老婆心と思いつつも言うと、シルヴィオは空っぽのスプーンを持ったまま、こてりと首を傾げた。

 

「なんで?」

「こんな、「とりあえず身体に餌をやる」とでも言うような食事の摂りかたは、見ていて心配になります」

「それは、アヤさんが心配になるって意味?」

「……そうです。私が、私の心のために、言ってます」

 

 シルヴィオになにかを頼まれたわけでなければ、辛そうにしているわけですらない。ただ、見ていられないから、声をかけただけ。その主語は、絶対的に『私』だ。

 

「うん、分かった」

 

 シルヴィオは頷いた。

 

「せっかくなら、お願いしようかな。必要なもの、教えて?」 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る