第24話 新たな脅威

朝の光が、ギルドハウスの窓から差し込んでいた。


決闘から一夜が明けた王都は、いつもの喧騒を取り戻しつつある。しかし、翔太の心には、まだ昨夜の戦いの余韻が残っていた。


「うっ……」


ベッドから起き上がろうとして、全身に走る鈍い痛みに顔をしかめる。聖浄化・黎明を使った代償は、思った以上に大きかったようだ。筋肉の奥深くまで、じんわりとした疲労が染み込んでいる。


コンコン、と控えめなノックの音。


「翔太様、起きていらっしゃいますか?」


アンナの声だった。扉が静かに開き、朝食を載せたトレイを持った彼女が入ってくる。湯気の立つスープから、ハーブの爽やかな香りが漂ってきた。


「おはようございます、アンナさん」


「まあ、お顔の色が……。やはり無理をなさったのですね」


アンナは心配そうに眉を寄せながら、ベッドサイドのテーブルにトレイを置く。彼女の手が、そっと翔太の額に触れた。ひんやりとした感触が心地いい。


「熱はないようですが、今日は安静になさってください」


「でも、やることが……」


翔太の言葉を遮るように、扉が勢いよく開いた。


「翔太殿!」


凛とした声が部屋に響く。そこに立っていたのは、白銀の鎧を身に纏ったヴァルキリーだった。かつての黒い鎧とは対照的な、清浄な輝きを放っている。



「おはようございます、ヴァルキリーさん」


翔太が微笑むと、彼女は一瞬戸惑ったような表情を見せた。


「その……まだ、この名で呼ばれることに慣れません」


「でも、それがあなたの本当の名前でしょう?」


ヴァルキリーは静かに頷いた。金色の髪が、朝日を受けてきらめく。昨夜の決闘で浄化された彼女の瞳には、もう絶望の影はなかった。


「翔太殿、皆様にお話しなければならないことがあります」


その真剣な口調に、翔太は身を起こした。痛みを堪えながら、スープを一口飲む。温かさが胃に広がり、少しだけ力が戻ってきた気がした。


三十分後、ギルドハウスの会議室に全員が集まっていた。


ヴァルキリーは、テーブルの端に立って深く息を吸った。その横顔に、決意と不安が入り混じっている。


「終焉の使徒について、私が知っていることをすべてお話しします」


室内の空気が、一瞬で張り詰めた。


「組織は、五人の幹部で構成されています。私は第三位でした」


彼女の声は落ち着いていたが、その奥に微かな震えが感じられた。


「第五位と第四位は、すでに翔太殿によって倒されました。しかし……」


ヴァルキリーの表情が曇る。


「第二位、『影の賢者』は……私より遥かに危険です」


リクが息を呑む音が聞こえた。ミーナの顔も青ざめている。


「彼は瘴気を自在に操り、人の心に直接干渉することができます。そして……」


ヴァルキリーは一度言葉を切った。窓の外を見つめる彼女の瞳に、恐怖の色が浮かんでいる。


「第一位については、誰も素顔を見たことがありません。ただ、その力は……」


「世界の理を書き換えるほどだと?」


翔太の問いかけに、ヴァルキリーは重く頷いた。


「終焉の使徒の真の目的は、この世界に『大召喚陣』を完成させることです。それが発動すれば……」


「世界が、瘴気に呑み込まれる」


ソフィアが青い顔で呟いた。



会議が続いている最中、急な来訪者があった。


「失礼いたします! 王城からの使者です!」


銀の鎧を纏った騎士が、息を切らせながら入ってきた。その表情は切迫している。額には汗が浮かび、鎧の金属音が慌ただしく響いた。


「浄化士ギルドの皆様に、緊急の要請があります」


騎士は懐から封書を取り出した。王家の紋章が刻まれた蝋印が、重要性を物語っている。


翔太が封を切ると、エリーゼの流麗な文字が目に飛び込んできた。


『翔太様、急なお願いで申し訳ございません。王都北方で異常事態が発生しました。一夜にして森が枯死し、動物たちが異常な行動を見せています。調査隊への参加を、どうかお願いいたします』


手紙を読み終えた翔太の顔が引き締まる。


「どれほどの規模ですか?」


騎士は苦い表情で答えた。


「およそ十キロ四方の森が、完全に枯れ果てています。生き物の気配はまったくありません」


「十キロ……」


カールが呻くように呟いた。それほどの範囲が一夜で枯死するなど、通常ではあり得ない。


「私も同行させてください」


ヴァルキリーが前に出た。その瞳には、強い決意が宿っている。


「これは、影の賢者の仕業かもしれません。私の罪を、償わせてください」


翔太は彼女の目を真っ直ぐ見つめた。そこにあるのは、贖罪の思いだけではない。仲間として共に戦いたいという、純粋な願いが感じられた。


「分かりました。一緒に行きましょう」


準備は迅速に進められた。


リクが装備を確認し、ミーナが魔法薬を補充する。カールは剣の手入れを終え、ソフィアは分析機器を鞄に詰めた。


「気をつけてくださいね」


アンナが心配そうに見送る中、一行は北門へと向かった。



王都から北へ三時間。


馬を進めるにつれ、異様な光景が目に入ってきた。


かつては緑豊かだったはずの森が、灰色に染まっている。葉は枯れ落ち、幹は朽ち果てたように黒ずんでいた。まるで生命力を根こそぎ吸い取られたかのようだ。


「ひどい……」


ミーナが息を呑んだ。


地面からは、紫色の瘴気が立ち上っている。それは霧のように漂い、触れるものすべてを腐敗させていくかのようだった。瘴気の濃度は、これまで見たどの場所よりも高い。


「この静寂……不気味ですね」


カールが剣の柄に手を置きながら呟いた。


森の中は、不自然なほど静かだった。鳥の声も、虫の音も、風の音さえしない。まるで音そのものが死んでしまったかのような、絶対的な静寂が支配している。


「来ます!」


ヴァルキリーが槍を構えた瞬間、茂みから黒い影が飛び出してきた。


瘴気獣だ。しかし、通常のものとは明らかに違っていた。


「レベル35……いや、もっと上か!」


ソフィアの分析機器が激しく点滅する。


瘴気獣は三体。その目は赤く輝き、全身から濃密な瘴気を放出している。牙は鋭く、爪は刃物のように研ぎ澄まされていた。何より、その動きが尋常ではない速さだった。


「聖浄化!」


翔太の浄化の光が瘴気獣を包む。しかし、いつもより効果が薄い。瘴気の濃度が高すぎるのだ。


「私が援護します!」


ヴァルキリーの槍が光を放った。彼女の聖魔法と翔太の浄化が融合し、新たな技が生まれる。


「聖浄化・双光撃!」


二つの光が螺旋を描きながら瘴気獣を貫いた。凶暴な咆哮を上げていた獣が、光の粒子となって消えていく。


残る二体も、連携攻撃で撃破した。しかし、違和感があった。


「おかしい……死骸が消えない」


カールの指摘通り、瘴気獣の残骸がそのまま残っている。そして、その中心には黒い結晶が埋まっていた。


ソフィアが慎重に結晶を取り出し、分析機器にかける。


「これは……高濃度の瘴気結晶です。まるで、召喚の触媒のような……」


翔太の顔が青ざめた。これが大量に集められれば、とてつもない召喚が可能になる。



森の深部へと進むにつれ、瘴気の濃度はさらに上がっていった。


呼吸すら苦しくなるほどの濃密な瘴気の中、一行は慎重に歩を進める。木々の影が不気味に揺らぎ、まるで生きているかのように蠢いていた。


「止まってください」


ヴァルキリーが手を上げた。彼女の顔は青白く、額には冷や汗が浮かんでいる。


「この感覚……間違いありません。影の賢者が近くにいます」


その瞬間、森全体が震えた。


地面から黒い影が立ち上がり、人の形を成していく。黒いローブに身を包んだその姿は、まるで闇そのものが実体化したかのようだった。


「久しいな、ヴァルキリー」


低く、冷たい声が響く。その声は空気を震わせ、聞く者の心に直接響いてくるようだった。


「まさか、第三位が裏切るとは……失望したぞ」


影の賢者と呼ばれた男は、フードの奥から翔太たちを見据えた。顔は見えないが、その視線だけで背筋が凍りつくような恐怖を感じる。


「これは私の選択です。もう、終焉の使徒には従いません!」


ヴァルキリーが槍を構えた。しかし、その手が微かに震えているのが分かった。


影の賢者は嘲笑うように肩を揺らした。


「愚かな。お前は力の本質を理解していない」


次の瞬間、男の姿が消えた。


いや、影から影へと瞬間移動したのだ。気がつけば、翔太の背後に立っている。


「聖浄化・極光!」


翔太は反射的に技を放った。しかし、光は虚空を切る。そこにいたのは幻影だった。


「ふふふ……」


不気味な笑い声が、四方八方から聞こえてくる。影が蠢き、現実と幻影の境界が曖昧になっていく。


そして、翔太の心に直接声が響いてきた。


『お前も、いずれ絶望を知ることになる。大切なものを失い、無力さに打ちのめされる。その時、お前は我々の仲間となるだろう』


過去の記憶が、強制的に呼び起こされる。前世での孤独——誰にも理解されず、一人アパートで過ごした日々。この世界に来たばかりの頃の不安——最弱職という現実に絶望した瞬間。仲間を守れなかった時の無力感——リクが傷ついた姿、ミーナの涙、カールが倒れた光景。


記憶が鮮明に蘇り、まるで今まさに起きているかのような錯覚に陥る。頭の中がぐるぐると回り、吐き気すら覚える。


「うあっ!」


翔太が膝をついた。精神攻撃だ。心の奥底にある負の感情を増幅させ、絶望へと導こうとしている。冷たい汗が額を伝い、手が震える。聖剣を握る力すら入らない。


「翔太殿!」


ヴァルキリーが翔太を庇うように前に出た。


「もう惑わされません! 光槍・聖裁!」


彼女の槍から放たれた光が、周囲の幻影を貫いた。影の賢者の本体が一瞬姿を現し、すぐにまた闇に溶け込んでいく。


「ほう、少しは成長したようだな。だが、これは始まりに過ぎない」


影の賢者の姿が完全に消えた。しかし、去り際に不吉な言葉を残していく。


「大召喚陣の準備は着々と進んでいる。お前たちには止められない」



戦闘が終わり、一行は一度体勢を立て直した。


翔太はまだ精神攻撃の影響で、少しふらついている。心の奥に植え付けられた不安が、まだ完全には消えていなかった。


「大丈夫ですか、翔太様?」


リクが心配そうに支えてくれる。その温かい手が、翔太の心を落ち着かせた。


「ありがとう、リク。もう大丈夫だよ」


ヴァルキリーが翔太の前に膝をついた。その姿勢は、まるで罪人が裁きを待つようだった。


「申し訳ありません。私がいたばかりに、影の賢者に狙われてしまって……」


「顔を上げてください」


翔太は優しく手を差し伸べた。その手は温かく、ヴァルキリーの凍えた心を溶かしていくようだった。


「ヴァルキリーさんがいてくれたから、影の賢者を退けることができた。あなたは、もう私たちの仲間です」


ヴァルキリーの瞳に、涙が浮かんだ。千年の孤独、終焉の使徒としての罪悪感、そして贖罪への道を求めていた彼女にとって、この言葉は救いだった。


「翔太殿……」


「ありがとう、と言うべきは僕の方です。あなたが味方になってくれて、本当に心強い」


リクが前に出た。彼の目には、かつての恐怖はなかった。


「僕も、ヴァルキリーさんが仲間になってくれて嬉しいです。一緒に戦いましょう!」


ミーナも微笑みながら頷いた。


「私たち、もう家族みたいなものですから。過去なんて関係ありません。大事なのは、これからです」


カールも豪快に笑う。彼の大きな手が、ヴァルキリーの肩をポンと叩いた。


「おう! これからは俺たちが、あんたの新しい家族だ。過去に何があろうと、俺たちはあんたを受け入れる」


ソフィアも静かに微笑んだ。


「データ分析の結果、ヴァルキリーさんの戦闘能力は、私たちのチームに大きなプラスになります。いえ、それ以上に……心強い仲間が増えて嬉しいです」


ヴァルキリーは、もう涙を堪えられなかった。温かい涙が、頰を伝って落ちていく。


「皆様……本当に、ありがとうございます。私、全力で、みなさんを守ります。これが、私の新しい生き方です」


王都への帰路、一行の足取りは重かった。


影の賢者の脅威は想像以上だ。そして、大召喚陣が完成すれば、この世界は瘴気に呑み込まれてしまう。


しかし、諦めるわけにはいかない。


夕暮れ時、王都の門が見えてきた。


住民たちの表情は不安に満ちている。北方の森の異変は、すでに噂として広まっているようだった。瘴気の脅威が、これまで以上に身近に迫っていることを、誰もが感じ取っている。


王城で、エリーゼが待っていた。


「ご無事で何よりです、翔太様」


彼女の安堵の表情に、翔太は申し訳なさを感じた。結局、影の賢者を取り逃がしてしまったのだ。


「申し訳ありません、エリーゼ様。影の賢者を……」


「いいえ、皆様が無事なら、それで十分です」


エリーゼは優しく微笑んだ。


「それに、重要な情報を得られたのでしょう?」


翔太は頷き、黒い結晶を見せた。エリーゼの表情が引き締まる。


「これは……すぐに調査が必要ですね。北方の森は、当面封鎖することにします」



ギルドハウスに戻ると、緊急の作戦会議が開かれた。


長いテーブルを囲んで、全員が真剣な表情で座っている。ろうそくの炎が揺らめき、影を作り出していた。


「影の賢者の狙いは明白です」


ソフィアが分析結果を広げた。


「この黒い結晶を大量に集めて、大召喚陣の触媒にするつもりでしょう」


「でも、なぜ瘴気獣を使って?」


リクの疑問に、ヴァルキリーが答えた。


「瘴気獣の体内で瘴気を濃縮させ、結晶化させる。それが最も効率的な方法なのです」


「ということは……」


ミーナが青ざめた。


「他の場所でも、同じことが起きている可能性がある」


重い沈黙が会議室を包んだ。


大召喚陣の完成が、刻一刻と近づいている。時間との戦いが始まっていた。


「でも、諦めません」


翔太が立ち上がった。その瞳には、強い決意が宿っている。


「必ず阻止します。この世界を、瘴気から守り抜く」


仲間たちも頷いた。それぞれの顔に、同じ決意が浮かんでいる。


ヴァルキリーも立ち上がった。


「私も、全力を尽くします。これが、私の贖罪の道です」


その夜、翔太は自室で一人考えていた。


影の賢者の精神攻撃は、確かに恐ろしかった。心の奥底にある不安や恐怖を呼び起こし、絶望へと導こうとする。しかし、仲間たちがいる限り、負けるわけにはいかない。


ふと、聖剣エクスカリバーが微かに震えているのに気づいた。


刀身が淡い光を放ち、まるで何かを警告しているかのようだ。翔太が手に取ると、温かい感触が伝わってきた。


「お前も、何か感じているのか?」


聖剣は答えない。しかし、その震えは止まらなかった。


窓の外を見ると、夜空に不気味な赤い星が輝いていた。


まるで、血のように赤い光。それは不吉な予兆のように、王都の上空で瞬いている。


新月まで、あと二日。


終焉の使徒との最終決戦が、確実に近づいていた。


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【翔太】

 職業:掃除士

 称号:慈悲の浄化士

 レベル:60

 HP:1,280 / 1,280

 MP:1,920 / 1,920

 

 スキル:

 ・浄化 Lv.16

 ・聖浄化 Lv.4

 ・浄化領域展開 Lv.4

 ・聖浄化・極光

 ・聖浄化・完全解放

 ・聖浄化・天照

 ・聖浄化・連撃

 ・聖浄化・断

 ・聖浄化・黎明

 ・聖浄化・双光撃(NEW)

 ・鑑定 Lv.5

 ・収納 Lv.5

 ・剣術 Lv.6

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【ヴァルキリー】

 職業:浄化騎士

 レベル:65

 HP:2,100 / 2,100

 MP:1,500 / 1,500

 

 スキル:

 ・槍術 Lv.10

 ・聖魔法 Lv.8

 ・戦乙女の舞

 ・光の裁き(浄化により変化)

 ・守護の誓い

 ・光槍・聖裁(NEW)

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【浄化士ギルド・メンバー】

 

 リク(従者)Lv.15

 ミーナ(元素魔術師)Lv.22

 カール(元騎士)Lv.26

 アンナ(家政術師)Lv.13

 グスタフ(施設管理士)Lv.17

 シン(獣人族)Lv.13

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