第22話 決闘前夜

 夜明け前の薄暗い時間。

 翔太は夢を見ていた。


 広大な荒野に一人立つ翔太の前に、黒い鎧を纏った女騎士が立っている。ヴァルキリー―――その瞳は、深い悲しみに満ちていた。


「なぜ……」


 彼女の声が風に乗って届く。


「なぜ私と戦わねばならないのか。私は、ただこの歪んだ世界を正したいだけなのに」


 黒い鎧の隙間から、涙が一筋流れ落ちた。それは血のように赤く、地面に落ちると黒い花が咲いた。


「お前も、いずれ分かる。この世界のシステムがいかに残酷か」


 ヴァルキリーが槍を構えた瞬間―――


 翔太は目を覚ました。


 額に汗が滲んでいる。心臓が早鐘のように打っていた。窓の外はまだ暗く、星がかすかに瞬いている。


 夢の中のヴァルキリーの瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。あれは本当に敵なのか。それとも―――


「救えるかもしれない……人なのか」


 翔太は上体を起こし、聖剣エクスカリバーを見つめた。剣は静かに、しかし確かな輝きを放っている。



 朝食の席で、ゲオルグが重い口を開いた。


「ヴァルキリーについて、話しておくべきことがある」


 食堂の空気が引き締まった。スープを飲む手を止め、全員がゲオルグに注目する。


「10年前、彼女はまさに正義の化身だった」


 ゲオルグの声には、かすかな哀愁が滲んでいた。


「民を守るためなら、自分の命すら惜しまない。どんな危険な任務でも、真っ先に志願する。そんな騎士だった」


 窓から差し込む朝日が、テーブルの上の食器を照らす。パンの焼ける香ばしい匂いが漂う中、重い話が続いた。


「しかし、彼女は完璧すぎた。正義に執着しすぎた」


 ゲオルグは目を閉じた。


「ある村で、瘴気の大発生が起きた。彼女は単身で村に向かったが……間に合わなかった」


 千人の村人が、全員瘴気に侵されて死んだ。ヴァルキリーが到着した時には、もう手遅れだった。


「彼女は三日三晩、死者を弔い続けた。そして―――」


 ゲオルグが深いため息をついた。


「『この世界のシステムが間違っている』と、そう呟いたと聞いている」


 食堂に沈黙が流れた。朝の爽やかな空気が、急に重くなったように感じられる。



 ―――10年前、ヴァルキリーの回想。


 燃え盛る村を前に、若き女騎士は立ち尽くしていた。


 金色の長い髪が、煤で汚れている。純白だった鎧も、血と泥にまみれていた。


「なぜ……なぜ間に合わなかった」


 彼女の足元には、幼い子供の亡骸があった。まだ5歳にもならないだろう少女。瘴気に侵され、苦しみながら死んでいった。


 ヴァルキリーは膝をつき、少女の瞼を閉じてやった。


「私は……最強の騎士のはずだった。誰よりも強く、誰よりも正しく……」


 涙が頬を伝う。それは悔恨の涙だった。


「でも、強さだけでは救えない。正義だけでは、守れない」


 村の広場には、千体の遺体が並んでいた。老人も、若者も、子供も。皆、瘴気という理不尽な災厄に命を奪われた。


「この世界は……狂っている」


 ヴァルキリーの心に、黒い感情が芽生えた。


「一度、すべてをリセットすべきだ。この歪んだシステムごと、世界を作り直さなければ」


 その時、彼女の前に黒いローブの人物が現れた。


「その願い、我々が叶えよう」


 終焉の使徒―――世界の破壊と再生を目論む組織。


 ヴァルキリーは、ゆっくりと立ち上がった。瞳から光が消え、代わりに冷たい決意が宿る。


「ええ……この腐った世界を、終わらせましょう」



 現在、ギルドハウスの会議室。


 全員が集まり、最終的な作戦会議が行われていた。


「決闘場所は、王都外壁の古戦場です」とソフィアが地図を広げた。


 古戦場は、かつて大きな戦いがあった場所。今は草原になっているが、所々に戦いの痕跡が残っている。


「ヴァルキリーの戦闘スタイルは、槍術と聖魔法の融合」


 ゲオルグが説明を続ける。


「特に『戦乙女の加護』という技は要注意だ。一定時間、あらゆる防御を無効化する」


 トーマスが計算していた帳簿から顔を上げた。


「勝率は……正直、3割程度でしょう」


 重い空気が流れる。しかし―――


「でも、俺たちなら」とカールが拳を握った。


「皆で力を合わせれば」とミーナ。


「きっと道は開ける」とクララ。


 希望を捨てていない。それが、このギルドの強さだった。


「支援チームは、古戦場の周囲に配置します」


 リクが作戦図を指し示す。レベル14になった彼は、もう怯えた少年ではない。


「万が一の時は、この撤退ルートを使います」


 アンナが医療品の確認をしていた。包帯、薬草、回復薬。あらゆる事態に備えている。


 その時、ローラが立ち上がった。


「翔太さん、これを」


 彼女が差し出したのは、黄金色に輝く小瓶だった。


「清浄の霊薬です。浄化力を一時的に3倍に高めます」


 翔太は驚いた。3倍―――それは途方もない数字だ。


「ただし、効果は30分。その後は激しい疲労に襲われます」


 ローラの琥珀色の瞳が、真剣に翔太を見つめていた。


「最後の切り札として……必ず生きて帰ってきてください」



 午後、翔太は一人一人と話をして回った。


 訓練場でリクと向き合う。


「翔太さん」


 リクの瞳には、もう迷いはなかった。


「僕、翔太さんについていきます。どこまでも」


 かつて盗賊に襲われ、瘴気に侵されかけた少年。翔太に救われ、ここまで成長した。


「ありがとう、リク。お前がいてくれて、本当に良かった」


 二人は固い握手を交わした。


 厨房では、アンナが夕食の準備をしていた。


「翔太様」


 彼女は手を止めずに言った。


「必ず、皆で夕食を囲みましょう。明日も、明後日も、ずっと」


 包丁がトントンと野菜を刻む音が心地良い。ニンジンとジャガイモの匂いが漂う。


「ああ、約束する」


 中庭では、ミーナが魔法の練習をしていた。


「翔太」


 彼女は振り返ると、優しく微笑んだ。


「私たちは家族です。家族は、どんな時も一緒」


 火の魔法で小さな花火を作り、空に打ち上げる。オレンジ色の光が、昼の空に小さく輝いた。


 鍛冶場では、カールが剣を研いでいた。


「騎士として、最後まで戦い抜く」


 彼の声は力強かった。研ぎ石が剣を滑る音が、規則正しく響く。


「それが、俺の誇りだ」


 図書室では、ソフィアがまだ資料を調べていた。


「データ分析は完璧です。勝率は低くても、可能性はゼロじゃない」


 彼女の指が素早くページをめくる。インクの匂いが鼻をくすぐった。


 工房では、マルコが最後の調整をしていた。


「聖剣は必ず応えてくれる。信じなさい」


 ハンマーが金床を打つ音が、力強く響いた。


 そして礼拝堂では、クララが祈りを捧げていた。


「皆の無事を……ずっと祈っています」


 ステンドグラスから差し込む光が、七色に輝いていた。


 最後に、グスタフの部屋を訪れた。


「このギルドハウスは、私が守ります」


 老執事は静かに、しかし力強く言った。


「だから安心して、戦ってきてください」



 夕方、意外な来訪者があった。


 王城からの使者―――それも密使だった。


「翔太様に、エリーゼ様からのお手紙です」


 手渡された封筒には、王家の紋章が押されていた。封蝋の匂いが鼻をついた。


 翔太が手紙を開くと、エリーゼの優雅な文字が並んでいた。


『翔太様へ


 ヴァルキリーとの決闘の件、父上も承知しております。

 国は表立って動けませんが、心は共にあります。

 

 同封の護符を身に着けてください。

 王家に伝わる守護の力が宿っています。

 

 必ず、生きて戻ってきてください。

 あなたを信じています。

 

 第三王女 エリーゼ』


 封筒の中には、青い宝石のついた護符が入っていた。触れると、温かい力を感じる。


「お返事は……」と使者が尋ねた。


「伝えてください」


 翔太は真っ直ぐ使者を見つめた。


「必ず勝って、戻ってきます、と」


 使者は深く頭を下げ、足早に去っていった。


 翔太は護符を握りしめた。エリーゼの想いが、掌を通じて伝わってくるようだった。


 空を見上げると、夕焼けが美しく広がっている。オレンジと紫のグラデーションが、まるで絵画のようだ。


「王国騎士団も、万が一の時は動いてくれる……」


 それは心強い後ろ盾だった。しかし、翔太は自分の力で勝ちたかった。ヴァルキリーと正面から向き合い、彼女の心に触れたかった。



 夜、ギルドハウスの礼拝堂に全員が集まった。


 クララが前に立ち、静かに祈りの言葉を紡ぐ。


「偉大なる神よ、明日戦いに臨む我らに、勇気と知恵を授けたまえ」


 蝋燭の炎が揺らめき、影が壁に踊る。香の匂いが礼拝堂を満たしていた。


 全員が目を閉じ、黙祷を捧げた。


 それぞれが、それぞれの想いを胸に祈る。家族のこと、仲間のこと、未来のこと。


「明日も……皆で笑い合えますように」


 クララの言葉に、全員が心の中で頷いた。


 礼拝堂を出ると、月のない夜空が広がっていた。新月前夜―――星だけが冷たく輝いている。


 オリオン座、北斗七星、カシオペア座。無数の星が、まるで見守るように瞬いていた。


「明日か……」とゲオルグが呟いた。


「ああ」と翔太が答える。


 風が吹いた。夜の冷たい風が、緊張で火照った頬を冷やす。


 一人、また一人と、それぞれの部屋へ戻っていく。足音が廊下に響き、やがて静寂が訪れた。



 深夜、翔太は自室で聖剣エクスカリバーを見つめていた。


 剣は月光を受けて、神秘的な輝きを放っている。新たに浮かび上がった太陽の紋様が、まるで脈動するように光っていた。


「ヴァルキリー……」


 翔太は静かに呟いた。


「あなたも、きっと苦しんでいる」


 正義感が強すぎるが故に、世界の理不尽さに絶望した女騎士。彼女の心の闇を、浄化することはできるだろうか。


「いや、できる」


 翔太は決意を新たにした。


「俺の浄化は、ただ汚れを取り除くだけじゃない。心の傷も、悲しみも、絶望も……すべてを清らかにする力だ」


 聖剣を鞘に収め、枕元に置く。


 護符を首にかけ、清浄の霊薬を懐に忍ばせた。


「ヴァルキリー、あなたを救いたい」


 それは甘い考えかもしれない。相手は終焉の使徒第三位。話し合いで解決できる相手ではないかもしれない。


 でも―――


「それでも、試してみる価値はある」


 窓の外を見ると、東の空がかすかに白み始めていた。夜明けが近い。


 新月の夜―――決闘の時は迫る。


 ギルドハウスは静寂に包まれていた。皆、それぞれの部屋で眠りについているか、あるいは眠れずに天井を見つめているか。


 明日、何が起きるのか。

 それは、神のみぞ知る。


 翔太は目を閉じた。

 夢の中で、また会うかもしれない。悲しみに満ちた瞳の女騎士と。


 その時は―――

 

 きっと、違う未来を見せてあげたい。


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【翔太】

 職業:掃除士

 レベル:57

 HP:1,200 / 1,200

 MP:1,740 / 1,740

 

 スキル:

 ・浄化 Lv.15

 ・聖浄化 Lv.3

 ・浄化領域展開 Lv.4

 ・聖浄化・極光

 ・聖浄化・完全解放

 ・聖浄化・天照

 ・聖浄化・連撃

 ・聖浄化・断

 ・鑑定 Lv.5

 ・収納 Lv.5

 ・剣術 Lv.5

 

 所持品:

 ・聖剣エクスカリバー(新紋様出現)

 ・清浄の霊薬×3

 ・王女の護符(NEW)

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