森と林

かめぎゃり

不快な男

「じゃあ大問1の解答を——」

 

 頼む。


「森。答えろ」

 

 助かったが、不快。


「あっ、えっと〜」

 

 クラスのみんなが一人の男に注目し、じっと待つ。まるで人気芸人の口が開くのを待つように。彼は素人、ただの高校生なのだが。


「すませんっ、わかりません!」

 

 みんなの相好が一気に崩れた。森の友達はゲラゲラと大声で笑い、ひとつの関わりだってないであろう日陰者ですらクスクス笑っている。窓外の鳥も元気に鳴き始めた。わからない。


「まったくお前は……じゃ、代わりに林田」

 

 最悪だ。


「…………おーい? 林田?」

 

 みんなが僕に注目する。さっきの期待を込めた顔でなく、教師に当てられたのにも関わらず沈黙し続ける異物を見る、淀んだ顔で。


「……わかりません」

 

 物音ひとつしない。森と同じミスをした僕を笑ってくれる人間はいなかった。さっきまで元気よく鳴いていたはずの窓外の鳥も、ぴたりと鳴くのをやめた。当てつけだろうか。


「あぁ……しっかり聞いとけよ。んじゃ、代わりに——」

 

 森が面白いから笑っているんじゃない。森だから笑っているんだ。誰も彼も。

 

 不愉快なので早くクラスが変わってほしい。一年の懲役を完了するまで残り半年以上もあることに静かながら嘆いていると、六限終了のチャイムが鳴った。六限の担当教師はこのクラスの担任でもあるので、このままの勢いでサラッとホームルームが終わり、解散だ。スマートでいいと思う。

 

 漫画研究部、漫研の活動時間までまだ時間があるので、僕は席を離れず、カバンから漫画の単行本を取り出して読み漁る。これは流行などの世俗とは別の世界にいる漫画だと思う。高校生で読んでいる人間は少ないだろう。このクラスにはあまり期待をしていないが、同志がいることに密かな期待を抱き、表紙がよく見えるようにブックカバーなどはせずに読む。


「……林田くん」

 

 急に声をかけられたことに驚きつつ顔を上げると、目の前には森が立っていた。


「え……と、なに」


「あぁ、ごめん急に。今日部活行くのちょっと遅れるからさ、みんなに伝えといてくれない?」

 

 僕はゆっくり無言でかぶりをふり、席を立って廊下に颯爽と出ていった。彼も漫研に所属しているのはいまだに疑問だ。彼のおかげで漫研の部室はこいつのゆるーくつまらない空気で満たされている。換気が必須だ。

 

 僕と部員たちの漫画の趣味はかなりズレている。あちらの好みはなんというか、キャラのビジュアルだけでのし上がったタイプの漫画。読む意欲はハッキリ言って微塵も湧かない。部活中は、基本各々が好きな活動に興じているが、途中で必ずゆるゆる漫画談義が挟まれる。その内容は言わずもがな。「〇〇さんがカッコいー」だとか、「ビジュがやばーい」だとか。その時間に口を開くことを僕はしない。話を合わせにいくほどプライドを捨ててはいないからだ。

 

 退部するタイミングを掴めずにずるずるとしていたら、いつの間にか七月。夏である。汗を拭いながら途中の自販機でトニックウォーターを購入し歩いていくと、部室である空き教室へ到着した。ゆっくりと開けたが中には誰もいない。流石に早すぎた。僕は窓を開け、色々とぬるいこの部室の空気を換気する。そして教室奥の準備室に入った。少しもの暗いこちらの方が落ち着くのだ。荷物を下ろし、椅子に座り、息をつく。

 

 鞄から漫画を取り出し、続きをしばらく読んでいると、廊下から聞き覚えのある声が近づいてくる。漫研の部員達だ。おそらく三人。部員は僕と森と女性三人の合計五人のみだ。予想が当たり、女性の耳の奥まで侵入してくるような嘆声が三人分、部室に入り込んでくる。森もそろそろ来るだろうなと思い、僕は準備室のドアノブに手をかけようとする。


「でさぁ、夏の漫研合宿の件なんだけどぉ」

 

 僕の手がピタリと止まる。


「やっぱディズニー行きたくない? 東京行くならさ」


「それなー」

 

 そんなものを計画していたとは。……それにしてもディズニー。合宿と謳っておきながら、要は遊びに行きたいだけなのだろう。辟易しつつ、僕は自分の所持している服の中で最もナチュラルなコーデを、頭の中で組み立てる。


「森くんにも早く伝えないとね。四人分の宿、さっさと取っちゃいたいし」

 

 ……四人?


「森くんとは……流石に別部屋だよね?」

 

 ……。


「いや当たり前でしょ」

 

 …………。


「なあに期待してんだよー」

 

 ………………。


「いや違うってー!」

 

 視界がぼやける。おかしい。僕は袖で顔を激しく擦る。袖が少しばかり濡れた。おかしい。おかしい。


「おっすー。ごめん遅れた」

 

 森が部室に入ってきた。その瞬間、待っていたと言わんばかりに女三人が喰らいつき、ワクワクドキドキな合宿の概要を好き勝手投げつける。三人が一斉に主語もなおざりにしながら喋り出していたので、森は情報を飲み込むのに時間がかかっているようだった。その間、僕は内側に眠る下衆な精神を働かせ、どうやってこの気持ちが悪くて仕方がない空間を壊してやろうかと考えていた。準備室のドアを開ければ、彼ないし彼女らは今一番会いたくない人間と見事邂逅を果たせる。我ながら妙案。その後のことを考えなくていいほどに、僕は、どうでもよくなっていた。もう一度ドアノブに手を伸ばす。その時だった。


「その旅行って、林田くんは来ないの?」

 

 この空間での唯一、絶対無二のNGワードを、森はさらりと口にした。大した男である。


「……」


「あ〜」


「うーんとねぇ」

 

 数瞬空いて、女たちが生返事をする。きっと今、頭をフルに回転させて森からの評価を落とさないナイスな回答を探しているのだろう。ハッキリ言ってみたらどうだ。「誘いたくない」と。


「林田くんって、漫画のお喋りしてる時あんまり話に入って来ないじゃん? だから、もしかしてホントはあんまり漫画好きじゃないのかなって……」


「それ! 思った〜」

 

 君らの話に合わせたくないから口を閉じているのだが。僕は歯をギリギリと強く食いしばる。……もう決めた。今、このドアを開けてやる——。


「林田くんは多分、漫画大好きだよ」

 

 森が答える。同時にドアノブに手を掛けていた僕の手が、また、止まる。


「えぇ? そうなの?」


「今日、部活遅れるって林田くんに言おうとした時にさ、林田くん、俺も大好きな漫画読んでてさぁ、すげー嬉しかったんだよなぁ。……きっと漫画大好きなんだよ」


「へぇ〜、なんて漫画?」


「言っても分かんないと思うよーん」


「あっ、イジワルー」


「はは。とにかく、俺は林田くんとも一緒に合宿行きたいなぁ」


「……わかった。じゃあ森くんが林田くんに伝えといて」


「オッケー。それにしても林田くん、今日は部活来れなかったのかなー?」

 

 彼にあの漫画の良さが分かるとは思えない。勝手に仲間意識を持たれると少し腹が立つ。

 

 …………近いうちに、新しい服でも新調しよう。

 

 準備室からはしばらく出られそうにないが、今の僕にはそんなこと、どうでもよくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

森と林 かめぎゃり @bassyo-se2741

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ