第八章 健太への告白

慎一は健太に、山路家の案内人としての役割について話し始めた。最初は戸惑っていた健太も、慎一の真剣な態度と具体的な体験談に、次第に耳を傾けるようになった。


「つまり、田村大輔と山路康雄の失踪の真相を、死者の声から聞いたということですか?」健太が確認した。


「はい。信じられないかもしれませんが……」


健太は長い間黙っていた。そして、ゆっくりと口を開いた。


「正直に言うと、にわかには信じがたい話です。しかし、探偵として多くの事件を扱ってきた経験から言えば、論理だけでは説明できないことも確実に存在します」


慎一は安堵した。完全に信じてもらえなくても、頭から否定されなかっただけで十分だった。


「それに」健太が続けた。「山路さんが嘘をついているようには見えません。少なくとも、山路さん自身はその体験を真実だと信じている」


「ありがとうございます」


「ただし」健太の表情が厳しくなった。「探偵として言わせてもらえば、もう少し客観的な証拠が欲しいところです」


「客観的な証拠?」


「例えば、田村大輔と山路康雄の遺体の発見です。それができれば、少なくとも死亡の事実は確認できます」


慎一は頷いた。確かに、それが最も説得力のある証拠だろう。


「しかし、底なし谷に落ちたとすれば、回収は不可能では?」


「そうですね。でも、せめて確認だけでもできれば……」


その時、温泉から戻ってきた林が現れた。


「お二人とも、何を真剣に話していらっしゃるんですか?」


慎一と健太は慌てて話題を変えた。


「地元の観光地について話していました」慎一が答えた。


「そうですか」林は疑わしそうな表情を見せた。「ところで、山路さん、今夜は特に何か変わったことは起こりませんか?」


「変わったこと?」


「いえ、山路亭の『不思議な現象』について取材に来たものですから。もし何か起こるなら、ぜひ同席させていただきたいと思って」


慎一は困った。確かに、これまでも夜中に不思議な体験をする客がいた。しかし、それを記者に見せるわけにはいかない。


「申し訳ありませんが、そのような現象は意図的に起こせるものではありませんので……」


「なるほど」林は納得したような顔をした。「では、せめて過去にどのような現象が起きたのか、詳しく教えていただけませんか?」


慎一は慎重に答えた。


「お客様のプライバシーに関わることですので、詳しくはお話しできません」


「では、一般論として。山路亭では、どのような不思議な体験が可能なのでしょうか?」


林の執拗な質問に、慎一は疲れを感じ始めていた。


「林さん、申し訳ありませんが、私はそのような現象を意図的に起こしているわけではありません。もし何かが起こるとすれば、それは自然に起こることです」


「自然に?」


「はい。山路亭は昔から、人生に迷った方々が訪れる場所でした。そして、ここで何かを見つけて帰られる。それだけのことです」


林は満足していない様子だったが、それ以上は追及しなかった。


その夜、慎一は一人で考え込んだ。林の取材によって、山路亭の秘密が世間に知れ渡る可能性がある。それは、本当に必要な人たちのための静かな場所を失うことを意味するかもしれない。


翌朝、林は早々にチェックアウトした。


「山路さん、貴重なお時間をありがとうございました。記事ができましたら、事前にお見せします」


林が去った後、健太が慎一に言った。


「あの記者、きっと何かを掴んだと思っています」


「何をでしょうか?」


「山路亭で本当に不思議なことが起きているということを。ただし、その詳細までは分からない。だから、今度はもっと深く調べてくるでしょう」


慎一は不安になった。


「どうすればいいでしょうか?」


「今は何もしない方がいいと思います。下手に隠そうとすると、かえって怪しまれます」


健太の助言は的確だった。


その日の午後、健太は慎一に提案した。


「山路さん、僕の調査も大体終わりました。田村雅子さんには、息子さんの件について報告する必要があります」


「どのような報告を?」


「事実を話すつもりです。田村大輔さんは十年前に事故で亡くなった可能性が高いということを」


「それで雅子さんは納得されるでしょうか?」


「分からません。でも、それが探偵として僕にできる最善の報告です」


健太は正直で誠実な人だった。慎一は彼を信頼できると感じた。


「健太さん、もし良ければ、今後も山路亭に来てください。お客様としてでも、調査の協力者としてでも」


「ありがとうございます。僕も山路さんとの出会いを大切に思っています」

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