第六章 佐々木健太の秘密

佐々木健太が山路亭に滞在して三日が過ぎた。彼は毎日のように温泉街を歩き回り、時には一人で山道を散策していた。慎一は健太の様子を注意深く観察していたが、何か深い悩みを抱えているのは明らかだった。


四日目の夕方、健太は食堂で慎一と向かい合って座った。いつものように地元の食材を使った夕食が並んでいる。


「山路さん」健太が箸を置いて口を開いた。「実は、お話ししたいことがあります」


慎一は健太の真剣な表情を見て、身構えた。


「何でしょうか?」


「僕は……嘘をついていました」健太の声が震えた。「確かにこの辺りの出身ですが、単に故郷で休みたくて帰ってきたわけではありません」


慎一は静かに健太の話を聞いた。


「実は、十年前にこの辺りで起きたある事件について調べているんです」


慎一の心臓が跳ね上がった。十年前の事件といえば、父の康雄と田村大輔の失踪事件のことかもしれない。


「どんな事件ですか?」


健太は深呼吸してから話し始めた。


「僕は東京で小さな探偵事務所を経営しています。三か月前、ある女性から依頼を受けました。十年前に行方不明になった息子を探してほしいと」


慎一は息を呑んだ。田村雅子以外にも、同じような依頼をする人がいたということか。


「その方の名前は?」


「申し訳ありませんが、依頼者の秘密保持のため詳しくは言えません。ただ、行方不明になった青年の名前は田村大輔といいます」


慎一は驚愕した。田村雅子が依頼者だったということか。しかし、雅子は既に真実を知って東京に帰ったはずだ。


「その方は……もしかして田村雅子さんですか?」


今度は健太が驚く番だった。


「なぜその名前を?まさか、田村さんがここに来られたんですか?」


「はい。数日前まで泊まっていらっしゃいました」


健太の表情が複雑になった。


「そうですか……それで、何か分かったことはありましたか?」


慎一は慎重に答えた。田村雅子との約束で、あの夜の体験を軽々しく話すわけにはいかなかった。


「申し訳ありませんが、お客様の個人的な事情については……」


「分かります」健太は頷いた。「でも、僕は田村さんから正式に依頼を受けているんです。調査の結果を報告する義務があります」


健太は内ポケットから契約書のコピーを取り出した。確かに田村雅子の署名がある調査依頼書だった。


「田村さんは、なぜ僕ではなく直接こちらに来られたんでしょうか?」


慎一は考え込んだ。雅子が健太に依頼していながら、なぜ自分で山路亭に来たのか。そして、なぜ健太のことを一言も話さなかったのか。


「健太さん、田村さんからの最後の連絡はいつでしたか?」


「一週間前です。『もう調査は必要ありません』という電話がありました。理由は教えてもらえませんでしたが」


慎一は合点がいった。雅子が山路亭で真実を知った後、健太への依頼をキャンセルしたのだろう。


「田村さんは、息子さんについて知りたかったことが分かったとおっしゃっていました」


「やはり、何か見つかったんですね」健太の目が輝いた。「どんなことでしょうか?」


慎一は迷った。あの夜の体験を話すべきかどうか。しかし、健太が正式な調査を依頼されていた以上、ある程度の情報は共有すべきかもしれない。


「実は……」慎一は慎重に言葉を選んだ。「田村大輔さんは十年前に事故で亡くなっていたことが分かりました」


健太の表情が変わった。


「事故?どんな事故ですか?」


「この裏山で滑落事故に遭われたようです」


「遺体は見つかったんですか?」


「いえ……まだ見つかっていません」


健太は深刻な表情で考え込んだ。


「山路さん、失礼ですが、その情報はどこから得られたものですか?まさか、推測だけで……」


慎一は答えに窮した。死者の声を聞いたなどと言っても、信じてもらえるはずがない。


「地元の古老から聞いた話です。十年前、確かにそのような事故があったと」


健太は納得していない様子だった。


「僕も明日、その現場を見せていただけませんか?探偵として、きちんと調査したいんです」


慎一は困った。祠の周辺を健太に見せるのは構わないが、あそこで起きた超自然的な体験をどう説明すればいいのか。


「もちろんです。明日、ご案内しましょう」


その夜、慎一は一人で考え込んだ。健太という新たな人物が現れたことで、事態はさらに複雑になった。しかも、彼は探偵として論理的な証拠を求めてくる。果たして、山路家の案内人としての役割を、どこまで明かすべきなのか。


翌日、慎一は健太を裏山の祠へ案内した。健太は現場を詳しく調べ、木に刻まれた「助けて」の文字や、慎一が見つけた金属片の発見場所を記録した。


「確かに、ここで何かが起きたようですね」健太が呟いた。「でも、これだけでは事故だったという確証は得られません」


「他に何が必要でしょうか?」


「遺体、せめて遺骨の発見です。それがなければ、田村大輔が本当に死んだのかどうか分からない」


健太の指摘はもっともだった。しかし、大輔の声によれば、遺体は深い谷底の誰にも見つけられない場所にあるという。


「健太さん、この辺りに深い谷はありますか?」


「ありますね。この山の反対側に、昔から『底なし谷』と呼ばれている場所があります」


慎一は初めて聞く名前だった。


「そこは危険な場所なんですか?」


「ええ。地元の人は近づかないようにしています。過去に何人か落ちた人がいて、遺体が見つからなかったこともあります」


慎一の胸に確信が芽生えた。きっと、そこが康雄と大輔が落ちた場所なのだろう。


「その谷を見に行くことはできますか?」


健太は首を振った。


「危険すぎます。それに、もし本当にそこに遺体があったとしても、回収は不可能でしょう」


二人は山路亭に戻った。健太は調査ノートに記録を取りながら、慎一に尋ねた。


「山路さん、もう一つお聞きしたいことがあります」


「何でしょうか?」


「十年前、あなたのお父様も行方不明になったと聞きましたが……」


慎一は驚いた。健太がそのことまで調べていたとは。


「はい、そうです」


「時期が田村大輔の失踪と重なりますね。何か関係があると思われますか?」


慎一は正直に答えることにした。


「実は、父と田村さんが接触していたという情報があります」


「どんな接触ですか?」


「詳しくは分かりませんが、父が田村さんを助けようとしていたようです」


健太の目が鋭くなった。


「もしかして、お父様も同じ事故に巻き込まれたということですか?」


「その可能性があります」


健太は深いため息をついた。


「二つの失踪事件が実は一つの事故だったということですね……」


その時、山路亭の玄関にチャイムが鳴った。慎一が出てみると、そこには見知らぬ中年男性が立っていた。


「申し訳ありません。記者の林と申します。山路亭について取材をさせていただきたいのですが」


慎一は戸惑った。なぜ記者が山路亭に?


「どのような取材でしょうか?」


「実は、最近『奇跡の旅館』として話題になっているという情報を得まして」


慎一の血の気が引いた。まさか、田村雅子との出来事が外部に漏れたのだろうか。

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