第十話 ビッグフットの怪
放課後。
瑠佳と黒井戸は墓地の入り口で足を止めた。彫られた文字の陰影が夕日で浮かび上がり、線香の香りはかすかに漂う。
石畳には霜が降りていて踏むたびに、ザク、と音がした。墓石の隙間から風が吹き込む。
ぎゃあ、ぎゃあ、と遠くでカラスが赤子のような声で鳴いていた。
「あれだけ墓地にこだわっていた古蛇が、いきなり外へ出るとは考えにくい」
黒井戸は言った。手には地図アプリを表示したスマートフォンを構えている。その青白い光が彼の顔を照らしている。
「灯台下暗し。まずは周辺からだ」
「……うん」
瑠佳はうなずいた。
しかし、期待はしていなかった。みおりは既にここにはいないと直感していた。
「探そう」
それでも瑠佳は口に出す。みおりの手掛かりを探す目的がある。
二人の口から白い息が立ち上る。
その頃。
山の中腹では、全身に長い毛をまとった二メートルを超える大男が歩いていた。
巨大な足が枯れ枝を踏み、パキ、と乾いた音が響く。鼻を動かし、嗅ぎ慣れぬ甘い匂いを受け取る。
『……』
大男は、墓地を支配していた脅威が消えていることに気が付いた。またとない機会だ。
喉の奥で唸る。
木の実をもぎ取って口に入れる。赤い汁が大男の口角から流れ出る。幹に背中をこすりつけると、毛に絡んだ木くずがばらばらと落ちた。
ルーティンをこなすと、大男は山を下りた。
手分けして墓地全体を見て回ったが、みおりは見つからなかった。
瑠佳は墓石の間にしゃがみこみ、石畳を見つめた。みおりの気配が残っていないかと。
「こっちにはいなかった」
黒井戸が報告する。
瑠佳は立ち上がり、赤くなった指先を握って、墓石の間を見て回る。
影が動いた。
「みおり」
しかし、それは野良ネコの影であり、みおりの物ではなかった。小さな黒い野良ネコは逃げていく。
瑠佳は落胆してしゃがみこむ。
大男は歩いた。大男の主な食料は木の実だが、腐肉を食らう時もある。鋭い牙が男の口元から覗く。
放っている強い悪臭が冬の冷たい湿気と混ざり、遠くまで漂っていく。
墓地に木の実はなかったが、お供え物のビスケットが置かれていた。手で一掴みにして大入り箱を圧縮する。ビスケットの甘い匂いに鼻を近づける。大男は腕を上げて、落ちてくるビスケットの粉をなめとった。
「行き違いになってる可能性もある。人員を増やそう」
黒井戸は判断して、スマートフォンを操作した。
やがて、生徒たちと商工会が墓所に集まって来た。
お祓いを済ませたヒトガタを配って、ウロの祟りを一度は避けられるようにする。ヒトガタをめいめいに身に着けた参加者たちの表情には、不安と決意が混じっていた。
「みおりちゃーん」
「古蛇ー」
二度以上返事をされて殺される可能性はある。
それでも大人たちは少女を助けるほうを選んだ。
「みおりちゃーん。なあ、なにか変な臭いしないか」
「烏鷺山高校ならそれくらいするだろ。みおりちゃーん」
日が沈んでいく。青い闇が訪れた。
懐中電灯やスマートフォンを使って明かりを確保し、人々は捜索を続けた。
大男は、多くの気配が集まってきていることに気付いた。
大男の目には体温が見える。寒い冬の墓地に生命が蠢いている。
恐ろしいとは思わなかった。襲ってきたなら、腕力で対抗できる。今までも山の生物に対して、そうしてきた。
大男はツキノワグマと戦ったことがあった。子を連れた母親だった。気の立った野生生物は大男を見て唸り、威嚇し、汚れた爪を向けてきた。大男は母熊の腕を軽くひねっただけで骨を折ってしまった。それでも母熊は、飛び掛かって来た。子供を守るために。
大男は母熊を殺すしかなくなってしまった。母熊の首を掴んだ自分の手から、赤い血が滴るのを大男は見つめて、なめとったのを覚えている。
残された子熊に木の実を与えて、次の春まで育てたこともあった。
「みおりちゃーん」
「古蛇ー」
瑠佳は自分の膝に手を突き、肩で息をした。明かりに照らされた白い息が、空へ消えていく。
「みおり……」
ローラー式でくまなく探したが、みおりはいなかった。
「少なくとも、墓地にはいないということがわかった」
黒井戸は落ち込む瑠佳に声をかけたが、その励ましが届いているかはわからない。
「……」
瑠佳の視線はまだ墓石の奥へと向かっている。
二人は気付かなかった。大男が、墓石の影から見ていたことに。
毛むくじゃらの重い手が、瑠佳の細い肩にそっと置かれた。
「やめて」
瑠佳は手を振り払う。
「みおりを探さなきゃ」
「そうだな。だが、今日は休め。また明日考える」
「……ありがとう、黒井戸」
瑠佳と黒井戸は大男を意に介さず、墓地から出た。
生徒たちや商工会の者たちも、各々の家路につく。
何人かが大男の方を見やったが、戸惑う声も、叫び声もない。
「あんたも帰りな」
老人が大男に声をかけた。
大男は立ち尽くした。
「なんだ、気を落とすなよ。いつか見つかるって」
「無事だといいな。みおりちゃん」
世間話をし始めた。
『……』
大男は、山へと戻った。
つづく
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