第12話:ヤンデレ?


「ノーグ様、起床のお時間です」


 抑揚のない、淡白な声が耳朶じだを打つ。


「……ん、もうそんな時間か。おはよう、ヘレナ」


「はい、おはようございます」


 ベッドの脇に立つ、メイド服に身を包んだヘレナと挨拶を交わす。


 相変わらずの無表情。

 かと思いきや、少し口角が上がっている。


 昨夜のやり取りの効果は、しっかりと表れているらしい。

 いい傾向だ。


「夜逃げしないか心配したが、杞憂だったようだな」


 ボクの言葉に、ヘレナの顔からスっと表情が消え、瞳に真剣さが宿った。


「……私は、ノーグ様に救われました。一人で抱え込むことしかできなかった私を、解き放ってくださったのです。この恩は、一生を掛けてお返しします」


「そうか。ならば、しっかりと働いてもらうとしよう。ボクたちの勝利のために」


「はい。必ずやご期待に応えて見せます」


 恭しくも美しいカーテシーで、自身の覚悟を表した。


 これで、ヘレナが正式に仲間入りを果たした。

 こちら側の戦力は急上昇。

 しかも、ボクの目的を共有できる唯一の存在。

 今後は格段に動きやすくなる。


 ククク、上手く行きすぎて笑みが止まらん。


 ボクは上機嫌のままベッドを離れ、ヘレナによって運び込まれた着替えを手にする。


「ノーグ様」


 テキパキと着替えていたところ、ヘレナから声が掛かる。


「何だ?」


「少し確認したいのですが、ノーグ様は昨夜、ボクの傍に居ろ、と仰いましたね?」


「ああ、言ったな」


 ヘレナがまた暴走した時、すぐ止められるようにするためだ。

 現状、止められるのはボクしか居ないし。


「私は、永遠にノーグ様のお傍におります。ですから、ノーグ様も……どこにも行かないで下さいね?」


「……ん? ああ、そのつもりだけど」


 何だろう、この背筋を撫でるゾワゾワ感は……。

 今、永遠って言ったか?


「言質はとりました」


 ヘレナはそう言って急接近してくる。

 ボクの襟元に手を伸ばし、整え、そのまま両手を頬に添わせる。

 少し顔を持ち上げられると、ボクの瞳とヘレナの瞳が重なり合う。


「ノーグ様がどこにいようと、必ずお供します。たとえ死んでしまっても、すぐに会いに逝きますから。──ずっと一緒ですよ?」


 とても穏やかで、美しい微笑み。

 柔らかく細められた深紅の瞳には、闇色の六芒星が薄らと浮き出ていた。



「………」





 ──重くね?



 これ、ボクなんかミスったか?


 いや、万事計画通りに進めていたはずだ。

 どうしてこうなった……。



 いや、切り替えよう。

 ヘレナの感情は完全に掌握した。

 ボクの傍から離れないなら好都合。

 裏切ることのない超戦力だ。



 問題ない……はずだ。



「そろそろ朝食の準備が整いますね。行きましょうか」


 完全に固まってしまったボクを置き去りに、どこか満足した様子のヘレナが扉を開け、先を促してくる。


「そう、だな……。皆を待たせてしまうのは良くない。急ごう」


 ボクは頭を振って雑念を弾き飛ばし、急ぎ足で食卓へと向かった。



「おはようノーグ、それにヘレナも。よく眠れたかい?」


 食卓に入った時、既に椅子に座っていたアルスが声をかけてくる。

 ヘレナは一礼して、ボクの後方へと下がった。


「おはようございます、兄上。よく眠れましたよ」


「それは良かった。少し心配だったんだけど……どうやら本当に大丈夫なようだね。魔力コントロールが行き届いている。精神的に落ち着いている証拠だ」


 アルスは優雅な所作で、メイドが注いだ紅茶を一口飲む。


 銀髪碧眼の超絶イケメンが、優しく微笑みながらお茶している。

 なんとも絵になる様子だ。


「そういう兄上は、少し魔力が乱れていますね。何かあったんですか?」


「驚いたな。気づかれないよう注意していたんだけど……まだ甘かったかな」


 兄上はそう言っているが、その制御力はかなりのものだ。

 この一ヶ月間、死に物狂いで努力したボクと同等。


 見えたのはほんの一瞬。

 静寂に流れる魔力が揺れていた。


「実は、遠征に行っている父上たちから伝令があってね。未確認の魔物に襲われ、部隊の一部が壊滅しかけたらしい。遠征を一時中断して、もうすぐ帰還するそうだ。だから、少し心配になってね……」


 おそらくベリオンのことだろう。

 ボクはヘレナとアイコンタクトを取り、しっかりと口止めをしておく。


 流石は万能メイドと言うべきか、ヘレナは軽く頷き、仕事の手伝いをしに行った。


「兄上は心配してばかりですね」


「……そう、かもしれないね。でも、僕の素はこっちなんだよ。自信があるように振る舞っているだけで、本当はずっと臆病なんだ」


 知ってる。


 なんせ、仕掛けた人形から毎日覗かせて貰っているからね。

 朝から晩まで、どこで何をしていたのか、ボクにはその全てが筒抜けだ。


 必死に剣を振る姿も、魔法鍛錬の様子も、部屋に散乱したダンジョン資料の数も。

 メイドさんに膝枕してもらって、癒されているところも。


 ボクは全て知っている。


 真面目で、努力家で、とても甘えん坊な兄。

 それがボクのアルスに対する評価だ。


「じゃあ、ボクたちが兄上の弱音を聞くことにしますよ」


 その言葉にアルスは固まって、目をぱちくりさせた。


「……え、ノーグが? それに、ボクたちって……」


 足音が近づいてくる。


「ふん、アルスが抱え込みがちなのは、今に始まったことじゃないがな」


「お兄様は、人を頼ることを覚えた方が良いですね。何事もバランスが大切ですから」


 やって来たのはマルスとセリア。

 人形の位置から、聞き耳を立てていたのには気づいていた。


 アルスは参ったと言わんばかりに瞳を閉じる。


「二人とも……聞いてたのか」


「父上のことで心配なのは分かるが、ナルガートやグロスもいるんだ。そうそう壊滅することはないだろう」


 マルスさん、実はその全員が意識失って倒れとったんよ。

 父上なんて、殺される一歩手前だったし。


「それにしても、ヴァルハイル密林も危ない所になってきたわね。何もないと良いけど……」


「『禁域』のこともあるしな。下手をすれば、魔物大進軍スタン・カラミティの発生も考えられる。父上が帰ってきたら、その辺の話もあるだろう」


「それもそうね」


 セリアとマルスの話に耳を傾けつつ、ボクも頭を回す。


 マルスの考察は、おそらく当たっている。

 ヘレナの過去を覗いた時、教団は三つの脅威を発生させた。


 魔物大進軍スタン・カラミティ

 バラモンド侯爵の反乱。

 闇ギルドの扇動。


 これらによって戦力を分散させ、守りが薄くなった所を一気に攻め込み蹂躙する。

 説明だけ聞くと単純に思えるが、時間差で発生するこれら三勢力を捌き切るのは至難の業だ。


 一つ目の勢力に戦力をつぎ込んでしまえば、残る二つの勢力を相手取る余力はなくなる。

 本命である教団を倒すなど、夢のまた夢ということだ。


 やっぱり、まずは教団の手札を削るところから始めるか。

 プランは幾つか考えてあるし、後でヘレナを連れて取り掛かるとしよう。



 ククク、さぁ教団ども……お前たちが呑気にしているなら、コチラは遠慮なく手札を削りにいかせてもらうぞ?



 お前たちはどう来る?





◆◇





 ヴァルハイル密林奥地。

 渓谷を越えた先にある深林地帯。


 陽の光を覆い隠すほどの、鬱蒼と生い茂る草木。

 陰鬱な空気と、通常の森ではまず有り得ない静けさが、存在する者の精神を抉る。


 湧き出る魔物は高い知能と戦闘能力を有し、侵入者には容赦なく襲いかかる。

 常人であれば、まず立ち入ろうとしない禁断の領域。


 そんな『禁域』の入口。

 大渓谷を越えた先に、二つの人影が蠢いていた。

 どちらも漆黒のローブを身に付けており、フードを深く被っている。

 

「よく来たな」


「おお、久しぶりだな〜」


 お互い旧知の仲なのか、ラフな口調で言葉を交わす。

 どちらも男。

 堅物な印象を受ける声の男と、軽薄そうな雰囲気のある男。

 対照的な二人だ。


「そっちの任務は、随分順調そうだな」


「ははっ、こっちは随分大変そうじゃん。計画が早まったんだっけ?」


「ああ、上からの指示でな……。予想外の出来事がいくつか起こったらしい」


「聞いた聞いた。幹部陣ビリシオンが緊急で会議開いたってね」


 お互い近況報告をしつつ、軽い足取りで『禁域』へと足を踏み入れる。

 周囲への警戒心など、微塵もないようだ。


 本来なら、すぐにでも現れた魔物によって、命を奪われてもおかしくない。

 格好の獲物だ。


 しかし、魔物は現れない。


「で、詳細は? 俺何も聞かされてないんだよ」


「そうだったな。……何でも、こっちの計画が知られている可能性が出てきたらしい」


 その言葉に、軽薄男の空気がガラリと変わる。


「裏切りか?」


 目を細め、今までの軽口が嘘のような低い声でそう呟く。


「そんな命知らずが、教団にいるとは思えないがな。『闇の祝福』があるのを忘れたのか?」


「……そういやそうだった」



 ──『闇の祝福』


 邪神教団の構成員全てに与えられる、加護であり呪い。

 教団加入に伴い、配属された部隊のリーダー……幹部陣ビリシオンの手によって付与される。


 恩恵は、その者の適性度に関わらず、闇魔法の才能を強制開花させること。

 強力な闇魔法を、誰でも扱うことができるようになる。


 弊害は、情報が全て筒抜けになること……だと言われている。

 過去に、裏切りを企てた構成員が幹部に呼び出され、そのまま消息を絶っていた。


 全容を知る者は、教団の幹部陣だけだと言われている。



「話を戻そう。俺たちの最初の作戦は、この禁域の魔物を大量に使って、魔物大進軍スタン・カラミティを発生させること。戦力がこちらに向かってきたら、ポッポの森からも魔物大進軍スタン・カラミティを発生させて、ウィルゼスト領を挟撃きょうげきする手筈だった」


「ふむふむ」


「しかし、ポッポの森の魔物に異常が見られてな……。なんでも、強力な闇魔法で洗脳させられていたらしい。情報源は『奏者』様だから、間違いないだろう」


「はいはい、なるほどなるほど。この辺りで闇魔法への高い適性を持つのは、標的ターゲットであるノーグ・ウィルゼストか、レーナ・グラシオンくらい。その二人のどちらかが、先手を打ってきた可能性があると」


 合点がいったというように、軽薄男はインテリ風に顎先あごさきを摘みながら鷹揚おうように頷く。


「大方、レーナ・グラシオンの方だろうがな。あの王女は三年前の生き残り。我々がこのまま逃がさないことも分かっていた筈だ」


「あぁ……あの作戦ね。俺は参加してなかったけど……確か、ビリシオンの一人が殺られたんだっけ?」


「ああ、『亡者』様がな」


「あれ? でも今の幹部にもいるよな?」


「まぁ『亡者』だからな。生きてるんだろ」


「説明になってねぇんだけど……」


 ジト目で視線を送る軽薄男に対し、横目に見つつも無反応を示す堅物男。


 男二人の会話は留まることを知らず、進む足もまた止まらない。

 二人はどんどん進んで行き、『禁域』の中腹辺りまでサラッと到達した。


 鬱蒼とした木がない、少し開けた場所。


「ここが拠点か?」


「ああ、この地下だ」


 堅物男が手をかざすと、地面にかけられていた隠蔽が解け、大きな穴が見えるようになる。


 地下に繋がるハシゴを降り、細い通路に従って奥へと進む。

 現れた階段を降りると、広い空間へと繋がった。


 幾本もの柱が天井を支え、篝火が辺りを照らしている。

 不気味な空間であることは間違いない。


「おや、帰ってきましたね」


 声を掛けてきたのは、黒いタキシードに身を包んだ美青年。

 灰色の髪に切れ長の瞳。

 長身でスタイル抜群。

 

 執事でもしていそうな雰囲気の男だ。


「申し訳ありません、遅くなりました」


 堅物の男が丁寧に頭を下げた。


「構いませんよ。まだ時間はあります。ところで、そちらの方が……」


「ご紹介に預かりました。ケイ・ハクオです」


「この度は協力感謝いたします」


 二人は固く握手を交わす。


「では二人とも、どうぞこちらへ」


 長身の男が案内した場所は、まるで玉座の間。

 この不気味な地下施設にとって、場違いなほど豪華な椅子が一つ。

 明らかに、誰かを迎えるための場所。

 その椅子の前には、多くのローブマン達が参列していた。


「もう少しで『奏者』様がいらっしゃる。おそらく、今後の対策についてお話があるのだろう。二人とも粗相のないよう、お願いしますよ」


 そう言って、長身の男も参列者の中へと紛れていく。


 取り残された二人も、すぐに参列者に加わった。

 



 そして───。




「皆、よく集まってくれた。前奏曲プレリュードの時間だ」


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