第11話:笑顔
「ノーグ、様……」
私の頭に手が置かれている。
ふと、あの時の兄の顔が蘇る。
「ノーグ様、その怪我は……!」
ボロボロだ。
手足、顔の皮膚が裂けている。
火傷の痕もある。
治癒魔法を使っているようだけれど、完治とまではいかない。
「まったく、手のかかる王女だ……」
掠れた声で、心底疲れたような声で、そう言うノーグ様。
『王女』。
その言葉に、心臓が掴まれたような錯覚に陥る。
私の本当の素性を知っているのは、ウィルゼスト家の当主であるガレウス様と、奥様であるエレナ様だけ。
なぜ?
という疑問と共に、少しずつ記憶の蓋が開く。
私が何をしていたのか。
「あ、ノーグさま……また、わたしは……っ!?」
過去のトラウマ。
それが一気に蘇る。
私は、あの時と同じことをしてしまったのだ。
「ぇ……」
後頭部を押され、ノーグ様の肩に私の顔が乗った。
身長差はそこまで無いとはいえ、少し居心地が悪い。
「何も言わなくていい」
落ち着いた声が聞こえる。
頭に添えられた手が動き、ポンポンと叩く。
「全て分かっている。ヘレナがどんな道を辿って来たのか。一人で背負う必要はない」
ガレウス様とエルナ様が知っているのは、私が元王女だったことだけ。
こうなった事情については、私を気遣ってか踏み込んで来なかった。
だから、詳しい経緯を知っているのは私だけのはず。
それなのに……。
ノーグ様はどうして。
「全部見たから……。だから説明しなくていい」
「わ、たしは……」
「よく頑張ったね……ヘレナ」
その日、私は泣いた。
まるで
恥も外聞も投げ捨てて。
ただ泣いた。
いつぶりだろうか。
自分の感情を惜しみなく吐き出すのは。
ノーグ様の胸を借りて、ずっと泣きじゃくった。
「ボクたちの家に帰ろう」
◆◇
ボクは泣き疲れて眠ってしまったヘレナを担いで、イグルスに乗った。
瞼を閉じれば、先程まで見ていた光景が浮かんでくる。
彼女の過去。
思い出すだけで吐きそうになる。
涙が溢れそうになる。
ヘレナを正気に戻すため、ボクは
この100%の状態は、姉に恋をしているゴブリンに洗脳をかけた時と同じ。
相手の記憶に焼き付いた感情まで追体験する。
あんな
「今回は本当に危なかったな……」
我ながら、何故こんなに行動できたのか不思議だ。
ボクは前世から図太い人間ではなかったし、至って普通の高校生だった。
今回の一件は、いつ漏らしても不思議じゃないくらいの状況だったんだけど……。
この身体に転生したことで、ノーグの精神に引っ張られているのだろうか……?
「まぁ、細かいことは考えても仕方ないか……」
ヘレナも、父上も、騎士団も全員無事。
素直にそれを喜ぼう。
それに、ヘレナの真意について知れたのも大きい。
ヘレナが今夜、屋敷を出ようとしていたこと。
しかも、自分に降り掛かる結末を受け入れようとしていたこと。
この二つの要素から、シナリオは容易に想像できる。
ヘレナの予想通り、彼女が屋敷を出れば、教団が接触してくるだろう。
そして、教団加入の結末をヘレナは受け入れるつもりだった。
自分への贖罪のために。
そうなれば、ヘレナは名実共に教団側。
原作ルートに突入というわけだ。
「そうか……」
今日というこの日が、ノーグにとっても、ウィルゼスト家にとっても、大きなターニングポイントだったのだ。
まず、ボクとヘレナの介入がなければ、父上や騎士団の主力はベリオンに殺されていた。
そしてその報告が届くのは、早くても1日か2日後になる。
つまり、ヘレナが屋敷を立ち去った後だ。
ノーグにとっては、信頼できる専属メイドを失い、続け様に父の訃報が届く。
さらに、騎士団の主力壊滅は、ウィルゼスト領の戦力低下を意味する。
守りが手薄になれば、
父上の死により、屋敷はドタバタ。
騎士団の戦力低下。
ヘレナの離脱。
ウィルゼスト家に打つ手はない。
ノーグを
原作の光景がありありと目に浮かぶ。
それを踏まえると、今回の結果は大勝利と言っても過言じゃない。
本当に人形作っといて良かった。
これなかったら終わってたわ、マジで。
【主よ、前方にお父上を捕捉】
「お、結構早かったな。そのまま抜かしてくれ」
【御意】
イグルスは更に加速し、平原を馬で駆ける父上たちを抜かしていく。
ボクは現状、無断で領地から飛び出して来ている。
バレるのはちょいとマズい。
なので、何としても父より先に、屋敷へ戻らなければならない。
「それにしても、お前の背中は本当に快適だな」
【お喜びいただけたようで何よりです】
景色が急速に変化する。
これだけの速度で飛行しているのに、まったく風圧がこない。
おそらく風魔法の応用……。
【はい、風魔法で空気を操作しております。主の玉体には、傷一つ付けさせません】
「それは頼もしいな」
魔物。
それは本来、人類とは相容れない存在だ。
お互いが天敵同士。
喰うか、喰われるか。
ただそれだけの関係。
だが、魔物を使役して気づいたが、その有用性は計り知れない。
『ラードリア森林』
戦力増強として、今度探索するのも良いかもしれないな……。
ボクは今後の方針について、何となく思い馳せる。
そんな時──。
【主よ】
「……ん、どうした?」
【良ければお休み下さい。あれだけの戦闘をした後なのです。お疲れでしょう】
優しげな口調でそう言うイグルス。
何だこの鳥。
イケメンか?
「……確かに、今回はかなりハードだったからなぁ」
【私の背で良ければ、どうぞお好きなように】
「なら、お言葉に甘えるとしよう。何かあったら起こしてくれ」
【かしこまりました】
イグルスの大きな背中。
ボクは、子供のように身体を丸めて寝転ぶ。
そして、少しずつ瞼を落としていった。
◆◇
時刻は17時38分。
ボクは屋敷に無事到着。
未だ眠り続けているヘレナをボクの部屋に運び、何事も無かったかのように普段の生活に戻った。
騎士団の特訓に途中から参加し、模擬戦を連発。
その全てに勝利し、意気揚々と汗を流す。
家族皆で夕食をとり、部屋に戻る。
「まだ寝てるのか……」
月光が微かに差し込む薄暗い部屋。
ボクのベッドで、今も心地良さそうに眠っているメイドが一人。
なぜ、ヘレナをボクの部屋に運んだのか。
一応、これには理由がある。
簡単な話、ヘレナのこれからについて話をするためだ。
彼女は、今日の夜にここを離れると決めていた。
その気持ちに変化がないか、確かめる必要がある。
まぁ責任感の強いヘレナの事だし、ボクたちを巻き込まないためとか言って、ここを離れようとするだろう……。
仮にそうなった場合は、全力で阻止する。
ヘレナには悪いが、君はコチラ側の陣営に居てもらわなければならない。
そうじゃないと、教団の戦力が強化されて、ボクの死亡フラグが活性化してしまうからね。
生き残る為にも、全力で口説かせてもらう。
ボクはヘレナが起きるまで待った。
ベッドの脇に運んだ椅子に腰掛け、本を読む。
魔力制御の鍛錬をする。
その繰り返し。
そうして、時刻が日を跨いだ頃だった。
「ノーグ、さま」
ようやく、ヘレナが目を覚ました。
「よく眠れたか?」
彼女はゆったりと身体を起こして、ボクの言葉に固まった。
おそらく、現状の整理をしているのだろう。
「ここはボクの部屋。何があったか思い出せるか?」
「……はい。全て、覚えています」
ヘレナは俯き、目を伏せる。
発した言葉に力強さはなく、とても弱々しい。
自分のした事が許せず、自己嫌悪に陥っているのだろう。
人一倍強い責任感。
それがヘレナを苦しめている。
「申し訳ありません。私のせいで……ノーグ様が」
「気にしなくていい。全部治ったしな」
「ですが……!」
取り乱し始めるヘレナの手を、そっと握る。
いきなりで驚いたのか、ヘレナは目を見開いて硬直する。
綺麗で柔らかい手。
しかし、今のそれは恐ろしいほど冷たく、震えていた。
それを解消するため、彼女の手をさらに強く握る。
すると、徐々に震えは治まり、彼女の手にはじんわりと熱が戻った。
少しして、ある程度冷静さを取り戻したのか、ヘレナは少し顔を上げて口を開いた。
「ノーグ様、私の過去については、どこまで……」
「ほとんど知っている。トラウマについてなら、全てと言っていい」
「そう、ですか……。でも、どうやって──」
「ヘレナが暴走した時、闇魔法を使って同調したんだ。その時、見えた」
一言では到底言い表せない。
ヘレナが見ていた世界。
自分の中から、大切なモノが抜け落ちていく恐怖。
体温が冷え切って、そのまま溺れてしまうかのような絶望。
「ヘレナがグラシンオンの王女だったこと。11歳の誕生日に、邪神教団、闇ギルド、
「……全て、知っているのですね」
「盗み見たのは、悪いと思っている。すまない」
「いえ……。ノーグ様に知ってもらえて、随分楽になれましたから。あんなに、見苦しい姿も見せてしまいましたし……」
「それは泣いたことを言っているのか? あれを見苦しいとは言わない」
できるだけ優しく、ヘレナに語りかける。
唯一秘密を共有できるボクが、彼女を救わなければならない。
「単刀直入に聞く。ヘレナは、ここを出ていくのか?」
ボクはストレートに言葉をぶつけた。
少しの硬直の後、ヘレナは顔を上げた。
ボクの手を強く握り、悲しそうな、それでも覚悟を決めた瞳で──。
「はい。明日にでも、ガレウス様とエルナ様に伝えに行きます。これ以上、迷惑をかけるわけにはいきませんから」
ハッキリとそう言った。
「確かに、ヘレナがここに居れば、いずれヤツらは来るだろう」
「はい。ですから、私さえ居なくなれば、ウィルゼスト家が被害に遭うことは無くなります」
ヘレナは、ボクが教団に狙われていることを知らない。
そういった結論になってしまうのも仕方ないだろう。
「それは、お前を犠牲にしてか?」
ヘレナは気まずそうに目を逸らし、口を噤む。
「分かっている。もう、目の前で誰かが傷つくのを見たくない。誰も傷つけたくない。自分一人の犠牲で済むなら、それで良いと思っている。そうだな?」
「……はい」
「どちらにせよ、ヘレナを行かせるわけにはいかない」
「……ぇ」
「当然だろ? ヘレナはボクの専属メイド。そしてボクの師匠だ。そんな優秀な人材を、みすみすヤツらに渡してたまるか。ボクは認めないぞ」
それに、と言葉を続ける。
「ヘレナは、託されたことがあるはずだ」
「っ……」
「ボクが見れたんだ。ヘレナも覚えているはずだろ?」
「生きろ……そう、言われました」
「それを、果たさなくていいのか?」
ヘレナはずっと、死に場所を求めている。
過去の罪を
それを真っ向から塞ぐ。
「ヘレナにとっては、その言葉は呪いだったかもしれない。それでも、お兄さんが最後に託した思い。それを、繋いで行かないのか?」
少なくとも、ヘレナはここまで生き続けている。
極論ではあるが、あの夜から今までの3年間、死ぬこともできたはずだ。
それをしないのは、エルロードの託した思いが、ヘレナの中で生き続けているから。
死にたいと思いつつも、兄の言葉を無視できない。
彼女は迷い続けている。
「私は……自分の手でお母様を殺めたんです」
「知ってるよ」
「今日はノーグ様を傷つけました」
「そうだな」
「今度は、誰を傷つけるか分かりません。私、もう嫌なんです。誰も傷つけたくないんです。感情もできるだけ抑えていたのに、それでも、ダメだったんです。だから、どうか……私を捨てて下さい」
彼女の頬を伝う涙は止まらない。
布団を濡らしながら、ポツポツと自分を卑下する言葉を並べる。
まったく───。
「本当に手のかかるメイドだ」
ヘレナの懸念点は結局のところ二つ。
一つは、自分が周りを傷つける可能性。
もう一つは、自分が居ることで教団の攻撃を受けてしまうこと。
その全てを封殺すれば良い。
「ヘレナの懸念は全て杞憂だと、ここに宣言しよう。たとえまた暴走しても、ボクが傍に居れば問題ない。何度だって止めて見せよう。だから、無理に感情を抑え込む必要はない。泣いて、怒って、笑えばいい」
ボクは握っていたヘレナの手を離し、彼女の頬を流れる涙を拭う。
「でも、私が居たら、教団が……」
「それなら、一緒に戦おう。一人では太刀打ちできなくとも、二人なら戦える」
ヘレナの過去に出てきた教団幹部。
バリアコルぜという男は、原作に出てきていない。
しかし、
現状、一人であの戦力を抑え込むのは不可能だ。
でも──。
「ボクたち二人なら勝てる」
ヘレナの瞳が僅かに揺れる。
自分で決めた道と、ボクが示した新たな道。
どちらに行けば良いのか、迷っている。
「ヘレナは、どうしたい?」
「わたしは……」
「おっと、嘘はなしだぞ? ついてもすぐ分かる」
ヘレナの本心は既に知っている。
これはただの確認作業。
頭を埋め尽くす葛藤やトラウマ。
その中から、自分の本心を明確にする。
ハッキリと言葉に出すことで、それは達成される。
それが、少しずつ変わり始める。
「……わたしは、みんなと一緒に居たい」
震える声で、ポツリとそう漏らす。
「これからもずっと! ここで過ごしていきたい! エルナ様やメイド長にも、ありがとうって伝えたい! レノたちの笑顔を、もっと見ていたい!」
とめどなく溢れる涙。
ヘレナの叫びは、紛れもない本心からの言葉だ。
その全てを、頷きながら受け止める。
ようやく吐き出してくれた本音を、取り逃さないように。
「これからも、不安や恐怖は付き纏うだろう。だが、もう一人じゃない。いや、そもそもヘレナは一人なんかじゃない。母上や父上、メイド長や同僚。ヘレナの仲間は沢山いる。それを忘れるな」
ヘレナはただ頷いた。
零れ落ちる涙を拭いながら、少しぎこちなくも朗らかに───。
彼女は笑った。
打算はある。
ボクが生き残るために、ヘレナという存在は重要な
だから助けたし、こちら側に着くよう誘導した会話を心掛けた。
ボクの目標は何も変わっていない。
初志貫徹。
何としてでも生き残る。
来る戦いに向けて、戦力を揃え勝利する。
ただそれだけだった。
ゲーム世界に転生して一ヶ月と少し。
初めて見たヘレナの笑顔。
それを見れただけでも、なんだか……頑張って良かったと、自分の努力が報われたような気がした。
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