第10話:ヘレナの過去『後編』


「ぐ、うわぁああ!?」


「ぐはっ!?」


「ガッ──!?」


「どこから──ッ!?」



 後宮へと侵入した黒装束の男たちが、煌めく剣閃のもとに沈んでいく。

 先頭を走るのは、もちろんエルロード


 騎士たちすら置き去りにするその強さは、他の王子たちすら出番がないほどだった。


「お、王太子殿下!? なぜこんな所に!」


「後宮の妃たちの救出に来た。これは僕の独断だが、お前たちも手伝ってくれ」


「りょ、了解!!」


 次々に現れる黒装束を纏う者たち。

 おそらく、闇ギルド所属の犯罪者たちだ。

 王都の襲撃は彼らの仕業。


 つまり現状、グラシオン王国は三つの脅威を同時に相手していることになる。


 魔物大進軍スタン・カラミティ

 バラモンド侯爵の反乱。

 闇ギルドの襲撃。


 ここまで派手な動きとなると、偶然では片付けられない。

 まず間違いなく、裏で絵を描いている者がいる。


「ここからは自分の母の元へ行くんだ! 僕がここを食い止める! 行け!!」


 兄の言葉に押されるように、私や兄弟たちは母の元へと走った。


 複雑な作りとなっている後宮。

 その最奥部に妃たちは居る。


 魔力探知を常時発動させ、奇襲に備える。

 

「──いた」


 天井に張り付き、私を待っていた敵を風魔法で切り刻む。


「ガッ──!」


 裂かれた男が、声を漏らして落ちる。

 今度は突き当たりに二人。


 足に魔力を集めて部分強化。

 一瞬で距離を消し去り、氷の魔法で凍らせる。


 私の魔力探知にはあと六人。

 母の部屋の扉付近に四人。

 後ろから二人。


 後ろ二人をクラミーと騎士に任せ、私は母の部屋へと向かう。

 二人が部屋の前。

 二人が両壁に隠れて見張りをしている。


 魔力の消し方が上手い。

 けれど、私には筒抜けだ。


 

 最後の一直線。

 私を取り押さえようと、両壁から身を乗り出した瞬間───彼らの人生は幕を閉じた。


 残りの二人は……。


「まったく。ロアナ様への暴挙など……この私が許すはずがないでしょう」


 執事フリッツの手によって粉砕されていた。


「フリッツ?」


「おや、これはレーナ様。お見苦しいところをお見せしました」


「いえ、それはいいのですが……。なぜ貴方がここに……? お母様は」


「ご無事ですとも」


 身体をずらし、私を部屋へと招くフリッツ。

 部屋の中から、私の会いたかった人が現れる。

 私と同じ長い銀髪の女性。


「あら、レーナ? そんなに慌てて、何かあったのかしら?」


「お母様! 王城に襲撃者が! とにかく、今はここを離れましょう!」


 安堵を感じたのもほんの一瞬だけ。

 すぐに切り替え、私は手短に状況を話す。


「なるほど、道理で……


 母の言葉に一瞬だけ思考が止まる。


「……え、フリッツならそこに───」


 黒い眼を滾らせ、短剣を掲げるフリッツ。

 怪しく輝く凶器が、母へと振り下ろされる。


「物騒ね」


 短剣の到達先に出現したのは、小さな防御魔法シールド

 ガキンッ!! という硬質な音が響き、短剣が弾き飛ばされる。


 フリッツは動揺することなく大きく飛び、壁を蹴って私の後ろ側に着地する。

 咄嗟に反応して、防御魔法シールドと風魔法を同時に展開。

 フリッツはそれも回避し、さらに距離を取った。


「やれやれ、最も厄介な障害をここで排除しておきたかったのですが……。ままならないものですね」


 そこに、私の知るフリッツはいない。

 いつも見せていた穏やかな笑みはなりを潜め、邪悪に歪む。


「レーナ様の到着がもう少し遅ければ、万事問題なかったものを……」


「とっても素敵な子でしょう? 私の自慢の娘なの」


「ええ、本当に厄介です。しかし、手間が省けたので良しとしましょう」


 フリッツの視線が、私に突き刺さる。

 手間……。

 狙いは私?


「おっと、自己紹介がまだでしたね。私は邪神教団のバリアコルゼ、と申します。序列は低いですが、これでも一応幹部なので、どうぞお見知り置きを」


 邪神教団。

 私には聞き馴染みのない単語だった。


「邪神教団……。最近、少しずつ名を聞くようになった組織ね。そんな人達が、グラシオン王家に何か用があるのかしら? さっきの口ぶりからして、レーナを狙っているようだけど?」


「ええ、上から命令がありましてね。レーナ・グラシオンの身柄を拘束、誘拐せよと」


「させるとでも?」


 母の身体から魔力が吹き荒れる。


「試してみますか?」


 バリアコルゼと名乗った男も、魔力を解放する。


 一触即発。

 緊迫した空気が流れる中、動いたのは同時だった。


 中空に出現した魔法陣から、バリアコルゼは闇色の光線を放つ。

 母も同様、魔法陣から赤黒い炎を放つ。


 両者の魔法が激突し、衝撃となって後宮を破壊する。


 私は防御魔法シールドを展開して身を守りつつ、他の妃や姉妹達の現在地を確認する。

 まだ後宮内にいるようだが、出入口の目と鼻の先に集結しつつあった。


 衝撃は伝わっただろうが、おそらく被害はない。

 私はそう判断し、目の前の戦いへの参戦を決意する。


 これまで、私が磨いてきた全てをもって。

 母と共に、あの敵を倒す。


 跡形もなく崩れた後宮の最奥部。

 舞い散る砂煙を、風で吹き飛ばす。


「おや、レーナ様もる気十分といったご様子。クフフ……実にいいですね」


「レーナ……」


「お母様、私も一緒に戦います。いえ、戦わせて下さい。私が、お母様を守ってみせます!」


 私は氷の剣を生み出し、母の前へと進み出る。


「なら、前衛は任せるわ。好きにやりなさい。レーナは私が守るから」


「はい!」


 身体強化を使用。

 足に集中させ、一気に爆発。

 瞬きの間に距離を消し、敵に氷剣を振る。


「いいですね、素晴らしい動きです」


「はぁあああッ──!!」


「ですが、その程度の攻撃では、私を捉えることなどできませんよ?」


 私の剣戟、その殆どが躱され、短剣で簡単にいなされる。

 やはりというべきか、この敵は今まで私が対峙した相手の中でもトップクラス。


 私と同じ魔法剣士タイプ。

 私の上位互換。

 でも。


「【炎渦の槍陣ヴァナル・フォルテ】」

 

 母の魔法。

 空中に広がる焔の槍。

 やじりが標的へと向けられ、放たれる。


 バリアコルゼが防御魔法シールドを展開。


「させない!」


 圧縮した風刃を放ち、防御魔法シールドの破壊を試みる。

 だが、間に入った短剣が風刃を断ち切った。


「──っ!?」


 防御魔法シールドに焔の槍が殺到。

 打ち砕くまではいかない。


「次はこちらの番ですね」


 闇色の炎が、散弾のように発射される。

 母は【炎渦の槍陣ヴァナル・フォルテ】で相殺し、私はそれらを躱しつつ接近する。


 バリアコルゼは私に狙いを絞り、黒炎を乱射。

 だが、私の走りは止まらない。


 彼の狙いは私を誘拐すること。

 つまり、殺すことは出来ない。


 ならばこそ、活路は『前』にある。


 私は氷剣を分裂させ、短剣へと変える。

 さらに距離を詰め、一気に敵の懐へ。


 母の魔法を届かせる。

 そのために隙を生み出す。


 バリアコルゼも両手に短剣を構え、攻撃を仕掛けてくる。

 しかし、手加減しているのが丸わかりだ。

 殺気が鈍い。


 その凶刃を弾き、短剣を振り、どんどん攻勢に出る。

 短剣こおり短剣はがねのぶつかり合い。

 火花が散り、氷片が煌めく。


 背後からの魔力を感じた瞬間、その場から離れる。

 直後、バリアコルゼに青雷が落ちた。


 敵がどうなったか。

 そんなことは考えない。

 魔法が決まれば、また攻勢に出る。


「やはり戦いはいいですね。血湧き肉躍る展開っ! もっと私に見せて下さい!!」


 青雷を影から伸ばした手で防いだバリアコルゼは、影の手を使い攻撃してくる。

 だが、即座に母の氷が全てを凍てつかせた。


「後衛が厄介ですね〜。先に始末しましょう」


 バリアコルゼの姿が消え、次の瞬間には母の背後へと現れる。


 私は短剣を投げつけた。


 正確無比な投擲とうてきに、目を見開いたバリアコルゼは、攻撃を止め回避に移る。


 すかさず母が青雷を召喚し、私は炎の柱を立てる。

 攻撃の暇を潰し、回避に専念させる。


「素晴らしいコンビネーションです!」


「気味の悪い男ですね。モテませんよ?」


 恍惚な表情で戦いを楽しむ狂人に母が毒づく。



 そんな言葉遊びに耳を傾けることなく、私は目の前の戦いに集中していた。


 氷の長剣、短剣、槍、斧を生み出し、それらを巧みに使い分けて攻撃を続ける。


 戦いが始まった段階では、バリアコルゼは私よりも強かった。

 でも、もう違う。


 私と同じ程度。


 ──否。


 


 身体に染み付いた動き。

 咄嗟に出る癖。

 剣裁き。


 全部読める。


 勝利までの道筋が何となく見えた気がした。


「───っ!?」


 バリアコルゼの表情が崩れる。

 攻撃の全てが、誘導されていることに気づいたのだろう。

 でも遅い。


 私の長剣がヤツの短剣を弾き飛ばす。

 そのまま返しの一撃で、袈裟懸けに切り裂く。

 さらにそこへ、母の炎雷が渦を巻く。


 間違いなく、バリアコルゼは呑まれた。

 私はダメ押しの炎球をお見舞いする。


 爆発と衝撃。

 普通なら、絶対に助からない威力だ。


「はぁ、はぁ」


 少し、呼吸が乱れる。

 思っていた以上に、体力を消費していたらしい。


「レーナ」


 母の声。

 その言葉と共に、頭に手が置かれた。


 私は訳が分からず、母の顔を見上げる。

 その様子がおかしかったのか、母は少し笑って──。


「強くなったわね。大好きよ」


「私も……大好きです。お母様」




 世界が揺れた。



 凄まじい衝撃に、私たちは倒れる。

 遅れて、巨大な砂塵と風圧が私たちを押し流した。


 何が起きたのか。

 私はとにかく母に捕まった。

 防御魔法シールドを身体全体に展開して身を守る。


 ゴロゴロと転がり、永遠とも思える時間が過ぎ去ったころ、ようやく止まった。


「レーナ……大丈夫?」


「はい、何とか……」


 何も分からないまま、辺りを見回す。

 しかし、砂煙が邪魔で何も見えない。

 私はまた、風を使って煙を吹き飛ばす。



 砂塵が晴れ、開けた景色を取り戻す。



 そして見た。



 赫黒く、禍々しいオーラを放つ巨大な槍。



 それが、王城に突き刺さっている光景を。



 あれは何?


 その疑問だけで、思考が止まる。



「……っ、え?」



 言葉が出ない。

 だがすぐに──。



「リエラ、父上、兄弟姉妹みんな



 声が震える。

 信じたくない。

 想像したくない。


 あそこに居た人たちは、どうなったのか。

 

「レーナ、落ち着いて……。深呼吸よ」


 その言葉に従い、私はとにかく空気を吸って、吐いた。


「行きましょう」


 私はただ、従った。




◆◇



 立ち上る炎。


 瓦礫。

 

 流れる血潮。


 魔物。


 侵入者。



 亡骸。

 死体。

 遺体。



 炎に焼かれた誰か。

 瓦礫に潰された誰か。


 判別など、もはや出来ない。



 母と寄り添いながら、王城を歩く。



 玉座の間。

 瓦礫を退かして辿り着く。



「お、ようやく来たね」



 見知らぬ男。

 


「いやぁ、本当に死んじゃうかと思ったよ。ま、当然備えはしてあるわけで。今もこうして生きてますとも」



 ペラペラと軽薄そうに話す男。


 顔が違う、声も違う、魔力の波長も、何もかもが違っているのに。

 そこに居たのは、私と母が焼き殺したはずの男。


 バリアコルゼがそこに居た。


 だが、私の視線はすぐに、別の場所へと引き寄せられる。


 巨槍が突き刺さっている地面。

 瓦礫が散乱している地面。


 そこら一帯を埋め尽くす赤。



 折れた剣。

 砕けた王冠。


 だれかの上半身があった。



 瓦礫に潰された王子だれかがいた。



 炎に抱かれた王女だれかがいた。



 切り捨てられただれかが……。




 目の前が真っ赤になった。

 それ以外は分からない。





「いやぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ───!!」





 焼き付いたこの光景を、何もかも壊したい。

 ただそれだけだった。


 眼に映る魔素アメジストの輝きが、より鮮明に見える。

 自分の手足のように動かせる。


 粒子が踊り、全てを壊す。


 バリアコルゼの腕が消し飛ぶ。

 足が崩れる。

 身体が吹き飛ぶ。

 爆散する。


 黒装束の誰かも、魔物も、竜も、まとめて、ぐちゃぐちゃにして、ドロドロに溶かして、ねて、打ち捨てて、切り刻んで、壊して、殺して、すり潰す。





 隣に居ただれかも…… 。





◆◇







「……私は」


 知らない天井が見える。

 どこか夢心地で、背中に小気味良い揺れを感じる。


「レーナ! 気づいたのか!」


 私を覗き込むように視界に入り込んできた赤。


「お、にいさま……?」


「ああ、僕だ。よかった」


 安堵に染まった顔。

 私は、痛む頭を抑えながら身体を起こす。


「ここは……」


「馬車の中だ」


 先程から感じる揺れは馬車のもの。

 車輪の転がる音と、蹄音つまおとがよく響く。


 窓から外を眺めると、夕焼けだった空は漆黒に染まり、月明かりが差し込む夜へと変わっていた。


 毎秒木々が過ぎ去っていく。


 街道を走っているのだろうか……?

 いや、そもそも私はどうして……。


 記憶の混濁。

 それが少しずつ晴れていく。


「レーナ」


 兄の声が聞こえるが、それどころではなかった。

 思い起こされる。

 先程まで直面していた出来事。


 巨槍。

 玉座。

 動かない兄弟姉妹だれか


 それらが断片的にフラッシュバックする。



「あぁ、いやぁ! ……わた、しが───」



 男の身体が爆散し、現れた魔物もすり潰し、竜すらも穴だらけにした。


 そして最後の瞬間、傍らにいた母が私を抱きしめたのだ。

 でも、私はそれを吹き飛ばした。

 魔物たちと同じように。


「ち、違う! そんな……わ、たし……いやぁ……!」


「レーナ、落ち着いて! 大丈夫、大丈夫だ。ゆっくり、深呼吸しよう」



 兄が私を抱きしめ、優しく語りかけてくれる。

 だが、その言葉は私の耳に止まらず、通り過ぎていく。


 涙が止まらない。

 自分の犯した過ちが怖い。


 過呼吸気味になり、目の前が真っ暗になった。


「レーナ……」


「おにぃさま、わたしは……」



「最後に、少しだけ話そう」



 最後。

 その言葉に、私は初めて兄の存在を認識した。


「ぇ……さい、ご?」


「時間がないから、話せるうちに話しておく」


 兄は優しい目をしつつも、真剣な表情でそう切り出した。


「まず、グラシオンの王都は壊滅した。大量の魔物と、闇ギルドが暴れ回ったことで、どれだけの犠牲者が出たのかも分からない。それと、バラモンド侯爵の反乱は有耶無耶になった。王都の外壁付近で、魔物に襲われている侯爵と兵たちを見た。おそらく、彼らも操られていたんだろう。黒幕は別にいる」


「じゃ、しん……きょうだん?」


「なるほど、やはりもう一つの勢力がいたのか。だが、この際黒幕の存在は重要ではない。レーナと母上以外の妃たちを救出したあと、僕は皆を玉座の間へと向かわせた。父上の傍が、1番安全だと思ったからね。それから少しした後、あの槍が突然落ちてきた。僕は外にいたから無事だったけど、向かわせた皆は……レーナも見た通りだろう」


「……」


「僕が王城に戻った時、レーナは玉座の間で横たわっていた。……生き残った騎士たちと、使用人を集めて、皆ですぐに王都を離れた。今はネメシエラ王国に向かっている。だけど、魔物大進軍スタン・カラミティの魔物たちがこの馬車を追って、迫って来ている。わざわざ迂回したんだが、どうやら黒幕の狙いは僕たちにあるらしい」


「……ぁ」


 そこで思い出すのは、あの男の言葉。



【ええ、上から命令がありましてね。レーナ・グラシオンの身柄を拘束、誘拐せよと】



「わ、私を……置いていって下さい! 敵の狙いは……私、私なんです! お兄様!」


 私を犠牲にして、お兄様や皆が救われるのなら。

 それがいい。


 それぐらいしなければ……。


 結局、自分のことしか考えていない。

 許されたい。

 自分の過ちをあがなう機会が欲しいと。


 そう思ってしまう自分が、堪らなく嫌いになりそうだった。


「そうか。なら、なおさらヤツらに渡すわけにはいかないな」


 兄は淡々とそう言った後、馬車の扉を開け、声を張り上げた。


「騎士諸君らに告げる! これから、僕は迫り来る魔物の迎撃に出る! 僕からの最後の命令だ! レーナを守れ! そして必ずやネメシエラ王国へと辿り着くのだ!」


「殿下……。私は、殿下のお傍に───」


「ならぬ。ここまで来るのにも、かなりの兵を失った。これ以上の損失は認められない。僕が時間を稼ぐ。──従え!!」


 兄からの命令オーダー

 騎士たちは苦い顔をしながらも、全員が叫んだ。


 

『了解っ!!』



 私は……。


「レーナ、話したいこと、伝えたいことは山ほどあるが……一言だけ」


「ぃや……! いかないで、くださいっ……わたしをおいて……って」


「お前は生きろ」


 そっと、頭に置かれた手のひら。


 視界がぐちゃぐちゃで、兄の顔が見えない。

 ただ、しがみつくことしか出来ない。


 兄は、優しく私を引き剥がして、外へと出て行った。




◆◇



 

 どれくらい経ったか。

 もう分からない。

 ここがどこなのかすら、分からない。


 頬を伝う涙は枯れた。

 頭の中は空っぽ。

 何も考えられない。


 激しい激情があった。

 悲哀と喪失があった。


 ただ、目の前には魔素アメジストの輝きが広がっている。


 森。

 不快なほど臭う獣と血の匂い。


 綺麗に仕立てられていたドレスは破れ、土と返り血で酷い有様だ。


 屍山血河しざんけつがの中、ゆっくりと進んでいく。




 どれくらい経ったか。



 魔物はもう居ない。

 私を守ろうとしてくれた騎士も居ない。


 私一人だけ。

 疲れた。



 何故、私は生き残ったのだろう。

 何故、生かされたのだろう。



 もう、休もう。




 どっしりとした木を背にして、私はもたれかかった。

 また目が覚めた時には、いつもの生活が戻ってくる。

 そう信じて。

 私はそっと瞼を閉じた。




 









「そんな所でどうしたの?」



 に照らされた黄金の髪が揺れる。

 吸い込まれるような碧眼が、真っ直ぐこちらを見ていた。

 まだ幼さの残る男の子。



「母上ぇええええ!! 女の子が倒れてるぅううう!!」



 それが、私と貴方ノーグ様との出会だった。



◆◇



 私はあの日、ノーグ様とエルナ様に助けられた。


 私が居たのは、ウィルゼスト領の最西端にある森。


 正体不明の魔力竜巻が発生し、辺境伯領の市壁を破壊。

 そのままウィルゼスト領で突如消えたそれの調査に来ていた。


 その魔力竜巻の原因は、当然私だ。

 あまり覚えてはいないけど、魔物の大軍に襲われて、生きる意味もなかったはずなのに足掻いて起こしたものだったはず。


 私はノーグ様に見つけられ、エルナ様に保護された。

 立場上、彼女は私のことを知っていた。

 グラシオン王国での出来事も、すぐに世界に広まったため、事情についても察してくれた。


 私は、ウィルゼスト家で働くことになった。


「レーナ様に何があったのか……詳しくは聞きません。だけど……辛くなったら、いつでも話してね?」


 エルナ様は、私に居場所をくれた。

 感謝してもし切れない。

 それでも、私は壁を作った。


 感情も封じた。

 私にとって、感情など無い方がいいものだと実感したからだ。


 いつまた暴走するか分からない。

 爆弾のようなものなのだから。


 それでも、この屋敷で働いて、かつての温かさを取り戻していった。


「まさかレーナ様から言って下さるとは……。いや、もうヘレナだったな。ノーグの専属として、よろしく頼む」


 ガレウス様。


「私はこの屋敷のメイド長を務めています。ルシェラと言います。分からないことがあったら、何でも聞いて下さい。今日からよろしくお願いしますね、ヘレナ」


 メイド長。


「私はレノ! 今日からメイドとして働かせてもらうことになったんだ! 多分、君も? 名前教えてよ!」


「レノ……もう少し慎みを覚えたらどうです? 貴方はタダでさえガサツなんですから、普段から気にかけていないとボロが出る。そうメイド長から散々指摘されていたでしょう?」


「そうそ、レノはもっとメリハリをキチンとしないと〜。この私見たいに?」


「なんだとぉ! やんのかコラぁ!?」


「やだ怖ぁ〜い。メイド長ぉ〜!」


「あ、それは卑怯だってー!」


 同僚の皆。


「あら、どうしたの? 怖い夢でも見た? ……いいのよ、私にくらい甘えてくれても。メイド長ルシェラでも構わないけどね」


 エルナ様。


「そうか、君が僕の専属メイドになるのか。これからよろしく頼む」


 ノーグ様。



 この場所を守らなければと思った。



 邪神教団。

 彼らは、また私を狙いにやって来るだろう。

 誘拐のために、あそこまでの騒動を起こす組織。

 諦めたとは思えない。


 いずれ、折を見てここを発とう。

 私一人が犠牲になるならそれでいい。

 この人たちを巻き込まずにさえ済めば。


 そう思いながら、日々を過ごしていた。

 そんなことをすれば、ここを離れたくないという思いが強まっていくだけだと分かっていたのに。


 この場所が、とても温かかったから。


 でもダメだ。

 これ以上皆と一緒に居たら、本当に離れられなくなってしまう。


 だから、ノーグ様にできる限りの事を教えたら、ここを離れよう。

 そう決めた。


 彼の実力を見誤らないように、なるべく傍に控えるようにした。


 生憎と、ノーグ様は飲み込みが早く、別れの日はすぐに来た。

 騎士団の部隊長とも十分に渡り合えるほどの実力。

 座学の成績も優秀。

 あの年齢なら十分過ぎるほどだ。


 

 今日の夜にでも、この屋敷を出よう。

 そう考えていた時だった。


 ノーグ様が血相を変えて、屋敷から飛び出して行くのを見た。

 私も後を追うと、ノーグ様はイグアスに乗って空を飛んで行った。


 禁術。

 ふとその単語が過ぎったが、ひとまず頭の片隅に置いておく。


 私は空を飛んで、ノーグ様を追った。

 とはいえ、飛行型の魔物に追いつくほどの速度は出せない。


 到着した時には戦闘が始まっており、私は見てしまった。

 ノーグ様が頭を捕まれ、地面に叩きつけられる瞬間を。



 過去の光景が蘇る。

 誰も救うことが出来なかった無力な私。


 何とか抑えようとした。

 それでも、私には無理だった。


 目の前が紫色に染まって、私を過去に引き戻す。


 業火に包まれた城。

 禍々しい巨槍。

 瓦礫に潰された誰か。

 無残に切り裂かれた誰か。


 私は、何一つ変わっていない。

 昔の、無力な少女のままだ。


 そんな時。

 全身が漆黒に包まれた人型が、目の前に現れた。


 人型は大剣を手に、風を纏わせ攻撃してくる。

 発生した竜巻が迫るが、私にとっては魔素の塊。

 ただ散らすだけでいい。


 霧散する竜巻。


 その中から、人型が突っ込んでくる。



【消えて】



 人型自体も魔素の集合体。

 強引に魔素へと干渉し、勝手に魔法を発動。

 人型は内部から爆散した。


 爆発した上半身から煙が立ち上る。

 隙間から見えたのは、人の顔。

 母の顔だ。


「え、うそ……! いや、待って! ダメ……!」


 叫びながら、亡骸となった母の元に駆け寄る。

 母の身体が、粒子となって消えていく。



「いやぁあああああ───っ!!」



 誰も救えない。

 過去も、今も、私は……何も変わってない。



 お母様……私は、どうすればいいですか?



 お兄様……どうして私なんかを生かしたんですか?



 結局、私はこの世に居てはいけない人間。

 破滅を呼ぶ魔女。


 誰も救えない。

 誰を救いたかったのかすら、もう分からない。




 だから、誰か……私を許して裁いて




 私を、助けて殺して下さい。





 魔素の輝き。

 それがより一層強くなり、燃え上がる玉座の間を溶かしていく。

 巨槍も。

 誰かの亡骸も。

 私以外の全てを、跡形もなく。



 闇の世界に、一人取り残された。





 あぁ……迎えが来てくれたのだろうか。


 



 天上から、光が射す。




 闇に差し込む月光のように。

 青紫色の魔素が螺旋状に広がり、私を包み込んでいく。



 誰かの声が聞こえる。



 誰だろう。



 大切な人だった気がする。




 貴方は……。



「帰ってこい……ヘレナ」



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