第4話 キミはなんでこんなところにいるの?
パキ、という妙な音がした。見るとエリサが、枯れ枝を踏みつけている。
「「あ」」
ブ、ル、ブフォオオオオーッ!
その音が、ヨツデグマの気に障ったようだ。
ゴブリンを貪るのをやめ、威嚇の声を上げる。
のしのしと、2人の方へ向かってまっすぐに歩み寄ってくる。
途中の邪魔な木は、前腕を使って払いのけると、べきりべきりとたやすく折れる。
(やばい! これは、死ぬかも)
ミーシャの脳裏に『死』という言葉が浮かぶ。
これまでに何度も同じような危機に出会ってきて、そのたび何とか生き残ってきたが、今度は難しいかもしれない。
「ミーシャさん、しゃがんでください!」
と、そこへエリサの強い声が割り込んできた。
「へっ!?」
「いいから早く!」
これまでの様子とは打って変わって有無を言わさぬ剣幕だ。
ミーシャは(もうどうにでもなれ!)とばかりにその場にしゃがみこんだ。
すると、エリサの錫杖が、ミーシャの頭上越しに、ヨツデグマに向けられる。
その瞬間、すぅ、と周囲の空気が急に冷たくなった。
そして、周りの空間がガラスか何かを通してみたように、わずかに歪む。
「!?」
「……Ĉu vi povas morti bonvolu?」
ぶぅん、と何かが揺らめく音がして、杖の先に黒い空間のゆらぎが生まれる。
「…………」
だが、それからは何も起こらない。
ヨツデグマは杖を向けられ、わずかに警戒して立ち止まったが、すぐに歩み始める。
あと数歩で、彼の間合いに入ってしまうだろう。
「ええっ、失敗!? どこか間違えたかなぁ」
エリサの泣きそうな声。
(《楽園》のお父さん、お母さん。今からそっちに行きます)
ミーシャはしゃがんだまま、天に祈りを捧げる。が。
ゴフゴフ、ブホブホ、ゴ、ゴフ、ゴゴ……。
ヨツデグマの様子がおかしい。
あと一歩前に出れば、たちまち二人など冷たい骸と化す間合いで、ぴたり、と動きが止まる。
やがて錫杖の先から、小さな黒い雷がちょろっと走り、ヨツデグマの額を軽く打った。
ヨツデグマは、「ゴフ」と息を吐いて、それきり動かなくなった。
「あっ、やった! 成功。よかったぁ」
「えっ、何? 今の魔法?」
「あっ、えっ、はい。よっぽどのときにしか使っちゃいけない魔法です」
「何それ」
「いきなり死んじゃうヤツです」
「うわ、こわっ」
「い、いいじゃないですか。助かったんですよ?」
「それはそうだけどー」
ミーシャは立ち上がろうとして、その場にへたり込んでしまった。
エリサも錫杖にすがりつつ、へなへなとその場に座り込む。
「こ、腰が抜けた……」
「わ、わたしもです」
2人は思わず抱き合って、
「「助かったー……」」
心の底から、そう漏らした。
◇
それから少しして、先に動けるようになったのは、ミーシャだった。
せっかく倒したヨツデグマである。確か冒険者ギルドでは、討伐依頼も出ていた。
報奨金がもらえるし、いくつかの部位はそれなりの値で買い取ってもらえる。
中でも胆は、うまくすればそれだけで金貨十数枚にもなるお宝だ。
エリサには「まだ無理に動かないでいいよ」といい、ゆっくり立ち上がって、仕事を始める。
立ったまま絶命したヨツデグマの掌を小剣で切り落とす。討伐証明になるからだ。
大ぶりのナイフで腹を裂いて、胆を取り出す。それと生殖器。精力剤の材料になる。
発情期のオスを倒すのは、熟練の狩人が何人もチームを組まなければ難しい。
その分、その時期の生殖器は特に霊験あらたか、高級な素材として珍重されている。
それ以外の部位は捨てる。
商品価値のある毛皮は、素人には剥ぐことが難しく、肉は臭くて硬くて、食べられたものではない。
「手慣れてますねえ」
エリサは、サクサクと仕事を進めるミーシャを見て感心したように言った。
「まあね。ここまでやって、はじめて魔獣討伐はお金になるわけだし」
水筒の水で血の処理をしながら、ミーシャが答える。
「でも、アタシの本当の仕事は、ゴブリンの巣を探すことなの」
「ゴブリンの巣ですか?」
エリサがおうむ返しに尋ねる。
ミーシャは「最近このへんでゴブリンの被害が急増しててね。巣の討伐をするんだって」といい、
「それで、アタシも捜索担当の一人、ってワケ」
「はええ、そうなんですね」とエリサは何やら感心したような声を上げた。
ミーシャはてきぱきとヨツデグマの部位を、蝋引き紙にくるんでリュックにしまう。
蝋引き紙は、少し値が張るものの、討伐部位や高値で売れる生ものを持ち帰る際の必需品だ。
耐水、耐油性に優れ、強度もあり、上手に使えば何度も再利用できる。
「ところでエリサこそ、こんな森の中でわざわざ何してたの?」
大方、迷子にでもなったのだろうか、とミーシャは予想した。
ラブレーの森は、毛皮や肉もとれるアナウサギやコケイタチが多く、薬種にもなる草花やキノコ類も多い。
が、森は広大で、深入りしすぎると何が起こるかはわからない。
仮に、いくらエリサが《魔女》だとしても、その様子じゃ、冒険者としては素人だろう。
「あ、えーと。そのぉ」
「言えないこと? なら無理には聞かないけど」ミーシャは、このあたりドライな性格である。
「探し物、です」
「何探してるの? アタシ、斥候ギルドにも所属してたから、探し物得意だよ?」
「あー。落とし物とか宝箱ではなくて」
「だいじょぶ。探しているのが薬草とかキノコとかでも、一通りは見分けがつくから」
荷造りをしたミーシャは、最後に小剣や解体に使ったナイフを水とぼろ布で清め、またポーチの中から小瓶に入った聖灰(灰、塩、香料と聖水を混ぜ合わせたもの)を取り出し、ゴブリンとヨツデグマの死体に振りかける。こうすると、獣が寄ってこず、またアンデッドにもならないらしい。
「ええと、そういう採取するものではなくて……」
「え、何。もしかしたら、聞かなかった方がよかった系?」
聖灰をしまいつつ、ミーシャは(やべ、深入りしすぎた? トラブルに巻き込まれるかも)と案じた。
「いえ。そういう危ないやつではなくて……本です」
「本? あの、でかくて分厚くて、紙がいっぱい挟まっているやつ?」
「はい。そうです。本といっても、《魔導書》です」
エリサがおずおずというと、ミーシャは納得がいった。
「ああ、《魔女》だから魔導書なんだね。でも、どうしたってこんな森の中で……」
するとエリサは、祭服に手を突っ込み、もぞもぞした後、何やら取り出してきてミーシャに見せた。
「なに、これ?」
エリサのちいさな掌に収まる
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