第9話 王子の憂い
毎晩、カノン王女が眠ったあと、兵士控室のように狭い“リビング”で報告と会議が持たれる。昼間は私が王女の護衛を担当し、夜間はトルキアが不寝番を務める。そのために、トルキアは日中公務員として働きに行っていることになっていた。実際は昼に仮眠を取っている。
「本日のご様子はいかがでしたか」
長年、母親役を務めてきたユミルが、お茶を差し出しながらそう訊ねた。この世界のお茶は、不思議と我々の国に味が似ている。悪くない。
ただ、王女の言動を報告するとなると、とたんに気が重くなる。
「今日は、紺乃様の御宅でコンテとやらを作成されていた」
夏休みで学校がないため、家に居たくないらしく、連日友人の“紺ちゃん”の家に入り浸りだ。
どうやら“動画撮影”を予定しているようで、どんな場面をどう撮るか、ふたりで絵を描いて一日を過ごしている。そのあたりの話はユミルも把握しているようで、「ああ、例のアフタヌーンティ動画ですね」と微笑む。
「カノン様はお茶部の部活動をとても楽しそうにお話しされていましたから、本格的な動画を撮るのなら、茶器や菓子などを揃える軍資金のほかに、ドレスなどもご用意して差し上げましょうか」
「……」
「徹様?」
「君は、それでいいのか?」
この危機的状況のなかで、のん気に友だちとお茶会ごっこをしていることが、私にはどうしても不満だった。しかも、王女は祖国に帰らないと言っていた。
「いくら急なこととはいえ、一国を背負われるお立場の王女が、国を投げ出すなど……」
「徹様……」
あってはならないことだ。
だが、ユミルはふんわりと切り揃った髪を揺らした。
「それは、もう少し待ってあげてください。カノン様は、つい数日前まで普通の高校生だったのですから」
「しかし……」
「十七歳なんて、まだ子供ですよ」
ユミルは、私とカノン王女が同じ年だとわかっているから、わざと言ったのだと思う。まるで本当に母親のように、ユミルは温かい眼差しになった。
「ずっと、まだ
むしろ、小市民的に育ててしまった自分たちの過失だと謝る。
「カノン様は王妃様譲りの美貌です。本来の姿で育ててしまって悪い虫が寄ってきたらと思うと心配で、つい、必要以上に目立たない姿に偽装させてしまいました」
その結果、王女は地味で穏やかな生活に慣れ、王女らしさを失ってしまったのだという。
「けれどそれは同時に女の子らしい華やかな生活さえ遠ざけることになってしまった……だから、部活動でのお茶会がとても楽しいのでしょうね」
あんなに夢中になるのなら、もう少し華やいだ見た目にしてあげればよかったと、ユミルが呟いた。
「本来のお姿になってしまったのですから、もう隠しようがございません。だからせめて、今だけでも十分に楽しい思い出を作っていただきたいのです」
そのために、ドレスや茶器を用立てるという。私は思わず呆れて息を吐いてしまった。
「そうやって甘やかして育てたから、あんな風に覚悟のない小市民になったのではないか?」
いくら外見が美しくても、気品が足りなさすぎる。物置みたいな狭いキッチンにこもってお菓子作りにいそしむ王女など、聞いたことがない。
――それに、あれはわざと私に聞かせていた……。
王女の身の上に起きた異変について、友人に打ち明けていた。ユミルから「カノン様のご親友だから、お心の支えになる。多少の
ユミルはカノン様に、故国に婚約者がいることも、十八歳になったら婚儀となることも伝えてあるという。けれど、あれほど不満を口にしながら、王女は婚約者の存在をひとことも言わなかったのだ。
自分が黙殺されている。婚約者など、王女の中ではいないことになっている……そのことがいつまでも心の中から消えてくれなかった。王女にとって、自分は友人にさえ紹介することがない相手なのだ。
残念なのか、無視された怒りなのか、自分でもわからない。ただ、王女が頑なにそれを口にしないから、自分でも名乗りを上げるのをやめた。正体を明かして嫌な顔をされるくらいなら、このまま増員の護衛者だと思われておくほうがいい。
「徹様」
ユミルは優し気な眼差しを向けてきた。
「私とトルキアは、カノン様を愛して育てただけで、甘やかしてはいません」
王女であるにもかかわらず、この世界の片隅でひっそりと清貧に育てた、という。
「やろうと思えば、贅沢三昧の生活もさせてあげられました。密かに王女を支援してくださる、こちらの世界住みの方もいましたから」
けれど、あえて平凡な一市民として育てたという。
「あのお美しさです。本来の姿でお育てしたら、きっと周囲が放っておかないでしょう。ちやほやされて、王女は
見た目でジャッジされることが多い女性性には少し気の毒だったかもしれないけれど、平凡で地味な代わりに、穏やかで好きなことを楽しめる人生を歩ませたかったという。
「故国にいたら、決して味わえなかった“目立たない自由”です。お育てした当初は、故国に戻れる保証もありませんでしたから、生涯をこちらの世界で終えるかもしれないと想定して、トルキアとふたりでそう決めました」
何の責任も負わず、自由に職業を選び、外見に振り回されることなくのびのびと生きてほしい。将来、自分たちが死んで王女一人になっても、この世界に順応していけるように、あえて庶民レベルを目指したのだという。
「とはいえお茶部に入ったあたりで、“やはり、女の子は華やいだものに憧れるものなんだな”と反省はしたのですが……そこは男親だとダメですね。つい安全を重視してしまって」
「……」
ユミルはおだやかに諭してくる。
「無理に理解を示す必要はございません。けれど、カノン様には護衛官とだけお伝えしているのですから、好都合でしょう。お傍で見守り、あの方のよさを、お感じ戴ければと思います」
昼間の護衛は積極的に私に振られている。それが、私に対する配慮だというのもわかっていた。彼らは、王女への心象がよくない私に、観察の機会を与えているのだと思う。
――とても、
私にだけ不愛想で、両親役の二人に甘ったれの、庶民根性丸出し娘。これが私の印象だ。
だが、同時に婚約者であることも、唯一の正当な王位継承者であることも事実だ。
それに、何がこのアクシデントの原因なのか突き止めない限り安全は保てない。
国にとって重要だから、個人的な好悪の感情はひとまず置いておいて、王女は守るべき存在だ。
仕方なく、私は護衛を続けることにした。
翌々日。カノン様と紺ちゃん(本人の希望によりちゃん呼び)は、浅草の
そこは食器の問屋街なのだそうだ。
出歩いて危険を増やすのもどうかと思うが、本人たちの“実物を見て選びたい”という希望を叶える形となった。こちらから見ると王女の我が
――息抜きどころか、抜けきっているように見えるが……。
この姿のどこにそんなストレスがかかっているのか、さっぱりわからない。
徹は電車に乗る二人から、手が届く程度に離れた距離で見守りつつ内心でため息をつく。
カノン様は、
だが、問題はそれ以外の格好だ。
美しいブロンドの髪はひっつめにして帽子の中に押し込み、顔の下半分が隠れる大きなマスク、通販で取り寄せたというサングラスをかけている。つばの広い登山用だという帽子のせいで、ほぼ誰だかわからない。
「……」
そんなに、王女カノンでいることが嫌なのだろうか。しかも完全に変装したカノン様は、とても楽しそうに紺ちゃんと話している。
複雑な気持ちだ。
確かに、こちらの世界には我々の国にはない魔法がある。
呪文も唱えずに開く扉、こんなに大勢を乗せているのに水平に走る“電車”。炎も上げずに輝く「ライト」のせいで、夜も部屋は真昼なみに明るい。
窯を使わず、小さな箱に入れたら焼き菓子が出来上がる。コンビニに置かれているカラフルで華やかな食料品の山。手のひらくらいの小さな魔法の杖(これはリモコンというらしい)を差し向ければ、薄い黒の板にはきらびやかな絵が躍り始める。
何もかもが違う。確かに、魔法のある便利な世界で暮らし続けたい気持ちも、わからないではない。
――でも、王女なのに……。
どうしてもそう詰りたくなる。
でもその一方で、自分自身も、初めて来たこの異世界に魅力を感じずにはいられなかった。
だから、カノン様の気持ちがわかってしまいそうで、同調するのが怖い。
――国に、王女は必要なのだ。
同じように、
自分たちには義務と責任がかかっている。好き嫌いなんて許されるものではない。
――なのに、カノン様は好き嫌いばかりなさる。
カノン様は間違っている……。でも、そんな風に否定的なのは自分だけだ。ユミルもトルキアもカノン様の味方で、自分だけが違う見解をしているのが気になる。
彼女たちはスマホと呼ばれている魔法の石板を手に、迷いなく地下を歩き(全然地下に見えない明るさなのだが)、電車を乗り継いで目的地へ着いた。私も、事前にユミルから渡された通行手形でゲートを通る。
恐ろしく魔法の発達した世界だが、意外に自分は順応して動けていると思う。時々カノン様がちらりと後ろを振り向くが、だいたい私は適正な距離を保ったまま付いていけていた。
カノン様の、微妙な表情の理由はわからない。
――付いてこられるのが嫌なのだろうか。
まして今はサングラスをかけた完全武装なので、表情はほとんどわからなかった。
「わー! すごいね」
「調理器具すごい! テンション上がるね~」
「だねだね!」
「……」
ふたりは食器を買いに来たはずなのに、擦りおろし
「あれっ、徹君は?」
「いるよ……ほら」
この世界の人々の中でも浮いて見える変装姿で、カノン様が振り返る。どう見ても怪しい恰好なのに、何故この間よりイキイキしているのだろう。
でも、自分が近寄り過ぎたらきっと距離を取られるだろう。
だから近寄らない。
そう思って二メートル近い距離で足を止めた。
すると、紺ちゃんがこちらに来る。
「徹君、お腹空いてない?」
「いえ……」
「足疲れてない?」
「いえ」
「そっか……」
紺ちゃんは残念そうな顔をして戻って行く。二人はなにがしかそこでヒソヒソと話しをし、また紺ちゃんだけが来た。
「私たち、ちょっとお茶休憩しようと思うんだけど、徹君、来る?」
「店の入り口でお待ちしますので、お構いなく」
「……」
紺ちゃんはまたカノン様の方に戻っていった。
そして休憩はなかった。
――…………。
どう答えるのが正解だったのだろう。
だが、あれほど剣呑な顔をされているのだ。同じテーブルに着くわけにもいかない。
徹は複雑な気持ちを抱えて帰路に着く二人の後ろに付いていった。
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