第8話 美少女、街を歩く


土曜の朝になった。

わたしは学校に行く日より早く目が覚めてしまい、緊張気味に身支度をした。

緊張の理由はいくつもある。でも、いま最も心を占めているのは“変装をして外に出るか否か”だ。


――紺ちゃんは「まんま金髪で来ちゃいなよ」ってあおるけど……。


確かに魅惑的な話だ。アニメにだってそうそういない感じの美少女姿で外を歩ける。わたしは悩んだ末、手持ちの服の中でいちばんふんわりしたスカートとブラウスを着て鏡の前に立った。


素体ボディが違うとこうも……」

このセリフ、何回言っただろう。


ぽわん袖の白ブラウス。三段ティアードのシフォンスカート。流行りだから、憧れがあって買ってもらったけれど、いつだって自室ファッションショーだけだった。だって顔が負けてるし、店頭で見たマネキンとはシルエットが別モノだったから。


でも、今は違う。スカートのウエストはぶかぶかで、ほっそりした腰からAラインに広がって行く三段ティアードのフリルは綺麗に揺れる。


気後れせずにこの格好で外を歩けるのだ。ちょっとだけ躊躇ためらったけれど、わたしは変装せずに行くことにした。

あ~り~の~ままの~と歌いながら。





「前言撤回だわ……」


駅に着くまでの道のりで、わたしは深く深く後悔した。刺さる視線に耐えられない。


――なんなん? なんでこんなに見る? 


もちろん、理由はわかってる。可愛いからだ。すごい勘違い発言ぽく聞こえちゃうから気が引けるけど、これはほぼ事実。


ハーフモデルばりの美少女がふわふわ歩いてりゃ、そりゃガン見もするでしょうよ。


ここは23区内だ。外国人が珍しいという地域ではない。それでも通り過ぎる度に振り返られるわ、ずーっと向かいから口をぽかんと開けて凝視されるわでいたたまれない。


「おひめさまだー」


小さい子が遠慮なく指さし、親御さんが微笑んでたしなめる。


「ほんとねー、すてきね」


ああ賞賛しょうさんが胃に痛い。分不相応な誉め言葉に内心でもだえてる。自分の中のモブ根性が、「いやいやこれ、つい最近の格好なんですよ」とむやみに言い訳したがっている。


――誰も、そんな裏事情知りたいわけじゃないから。


自意識過剰だ。道行く人はただ季節に咲く花を愛でるように、ふわふわで可愛らしい美少女を眺めるだけなのだ。ただ、花の立場になったことのない私は、向けられる目にどう返していいかわからなくて、カチンコチンに硬くなった。


――うう……。


誰の注目も引かないモブとしてひっそりと生きていきたい。確かにこのうるわしいビジュアルは手放したくないけれど、これで店のガラスに映る自分の姿なんか、ちらりとでも見たらすんごい嫌味な女になってしまうではないか。


――どんなに可愛くたって、鏡かガラスがないと、自分の可愛い顔は見れないんだようう。


泣きそうになったついでに履き慣れないサンダルで躓いた。転びそうになったところで、急に後ろから身体を支えられる。


―――え……。


ふわりと腹の辺りを抱えられ、背中側にちょっと熱い体温を感じた。


「大丈夫ですか?」

「……あ、……え」


徹……君だった。昨日の特殊部隊みたいな恰好ではなく、同じく黒だけどややぴったりめのTシャツと黒っぽいデニムで、外を歩いても浮いた感じはしない。

案じた顔をしてくれているし、実に紳士的だ。でもわたしはパニクった。


――付いて来てたの?


護衛とはそういう意味だったのかと、頭のどこかで理解はするけれど、どんな顔をしていいかわからない。だいたい、こんな風に誰かにフォローしてもらったことはない。


――こ、この後はどう動くべき…………?


美少女には美少女にふさわしい振る舞いというものがある。だが、悲しいかな地面にダイブする転び方くらいしかしたことがないので、こういうエレガントなシチュエーションは初めてだ。フリーズしていたら、徹君は本当に心配そうな顔をする。


「どこか痛めましたか? 歩けないようなら」


まるで今すぐにでも抱き上げられそうで、わたしは大慌てで徹君の身体を手で押した。


「いや、大丈夫だから、全っ然っ大丈夫だからっ」


挙動がおかしいのは主にアナタが原因だから。でも、ジタバタしてるわりにはがっちりホールドされて逃げられない。


「しかし、顔も赤いようですから、熱中症の心配もあります」


――その原因はこのホールドだよっ。


「熱中症なんて、そっちの世界にもあるわけ?」

「外に出る前に、ユミルから注意事項を共有しています。この季節は、体内に熱がこもりやすいと」


――近い…………近い近い、近いって!


心配そうに覗き込まれ、わたしはイケメンの顔面圧力に屈しそうだった。


コイツはなんてイケメンなんだ。意思の強そうな整った眉、睫毛が長くて瞳も大きいのに、凛々しい印象で、肉感的な唇すら、セクシーなんだけどストイックに見える。


――やばい、心拍が止まる。


生まれてこのかた、男子に縁のない人生だったのだ。急にこんな出血大サービス展開されても、対応できない。心停止にでもなったら一大事だ。


「タクシーを呼びましょう。炎天下に徒歩は危険です。どうしても徒歩がよいなら、私が抱いていきますから」


「くっ、車にしましょう。タクシー一択で!」


「……」

――黙って残念そうな顔するの止めて。


大型の番犬がしょぼんとしたみたいだ。でも、ここで折れてお姫様抱っこなんて、視線が来なくても充分憤死ふんしできる。瞳全開で言い切ると、徹君はスマホでスマートにタクシーを呼んでくれた。


――スマホ、扱えるんだ。


昨日異世界から召喚されて、このスキルってすごくない?


――それとも、付け焼刃で特訓したのかな。


実は気になって、昨夜はかなり耳を澄ませて隣の部屋の様子をうかがっていた。でもいつまで経っても階下から上がってくる様子はなくて、結局寝落ちしちゃたんだけど、なんとなくお父さんもお母さんも、ずっと起きていたんじゃないかと思っている。


あの二人が起きてたってことは、きっと徹君も起きてたはずだ。のん気にお茶飲み話をしているわけはないだろうから、きっとこの“警護”に関する打合せとかをしていたのかもしれない。


そう思うと、なんとなく自分だけ過剰に反応するのが失礼な気がして、わたしは抵抗をやめた。ジタバタしなくなると、逆に徹君はすっと背中の方を支えてくれるだけになる。


――ホントに、体調を心配してくれてたんだ……。


黙って横並びに立ち、片手でわたしを、もう片手にスマホを持ち、タクシーを待つ生真面目そうなイケメンをちらりと見上げる。


「あと1分で来るそうです」


「……」


――すごい、職務に忠実なんだ……。


姫君を守る騎士さながらに、ちゃんと周囲に目を配っているのがわかる。そしてその視線を追い、わたしはもう一つの変化に気付いた。


――みんな、徹君の方を見てる。


まあ、厳密にいうと“徹君と美少女(わたし)”を見てるんだが、わたしは視線が薄まったことにほっと息を吐いていた。この超絶イケメン騎士が傍にいると、少なくとも女性の視線はだいぶそっちに流れる。


「来ました、あの車です」


ドアは自動でスライドするのに、徹君はなめらかに手を取ってタクシーに乗せてくれた。異世界の馬車も、ドアは横スライドなのだろうかと思うくらいだ。


わたしは乗り慣れない快適なタクシーと豪華なお供を連れて、紺ちゃん宅へ初訪問した。




「と、いうわけでさ、なんか従兄いとこがどうしても一緒に来たいって言い張っちゃって」


「……」


おまえ従兄なんかおらんだろ……という紺ちゃんの醒めた視線に、わたしは必死でサインを送る。お願い、ここは深く突っ込まないで乗って。


「お母さんに押し付けられちゃってさ……断れないんだよ」

「その金髪化と、なんか関係あるんだ?」

「……否定はしない」


口止めはされてない。だから言ってもいいんだと思う。でも、わたしだってほとんど事情はわかってないし、教えられた内容が事実だとは限らない。でも、とりあえず紺ちゃんは長い溜息を吐いて承諾してくれた。


「いいよ。かのちんだってそうせざるを得ないんでしょ?」

「助かるっ」


ありがたい。よくぞわかってくれましただよ。さすが紺ちゃんだ。わたしは返事の代わりに拝み倒した。


「と……徹君も、御礼いいなさいよ。女子高生の家に男子が上がり込むなんて、ほんとはマナー違反なんだからねっ」


紺ちゃんのご両親が留守なのは幸いだ。命令すると大きな番犬は折り目正しく腰を折り、恭しく頭を下げて礼を言う。


「ありがとうございます。奥村紺乃様」


「っこ、紺ちゃんでいいよ」


紺ちゃん、語尾がもうにやけてるよ。

――やっぱり、イケメン効果ってすごいよな。


胡散臭うさんくささ全開でも、とりあえず“まあいいか、イケメンだし”となる。別名「ただしイケメンに限る」の法則だ。

とにもかくにも、徹君は同席を許され、わたしたちは“スコーンづくり”に取り掛かることにした。



紺ちゃんの家は注文住宅で、並んでいる両隣の家より少し大きい。祖父母の土地をもらい受けてフルリノベしたのだとかで、無機質なコンクリ打ちの外壁に、スノコっぽい木の目隠し(これは昔風に言うと木虫籠きむすことか紅殻格子べんがらごうしというらしい)がコラボしているモダン建築だ。キッチンもうちよりずっとスタイリッシュで、なんと天板は人造大理石だった。

広くて白いつるつるの大理石床に毛足の長いラグとソファ。壁には何十インチなんだかわからない大きなテレビがかかっている。


「なんか、想像してたんと違う。紺ちゃんち、めちゃお金持ちっぽい」


というか、まんまお金持ちのおうちなのではないか。でも、紺ちゃんはエプロンの紐を結びながら息を吐く。


「都内の一戸建てを相続して、建て直すこともできずに固定資産税対策でリノベよ。キッチンとリビングは、おとんとおかんの悲願で贅沢しただけ」

そのせいで、共働きの親は住宅ローンを背負い、せっかくの家も平日は寝に帰るだけとなっているそうだ。


「そんなもんか……」

「まあ、それでも土地代が要らないだけラッキーだったんじゃない? ここは一応都内だし」


今日も、両親はそろってお出かけというわけではないらしい。仕事の疲れを癒すため、お父さんはサウナに、お母さんは推し活に行っている。


「ま、自由にさせてもらえるから、私は文句ないな。かのちん、材料はかって」

「あ、うん」


小麦粉の袋を渡され、紺ちゃんはマーブル模様のテーブルトップにスケールを置く。徹君をちらりと見ると、なんとなく手持ちぶさたな感じだった。しかし、残念だがこれは我々お茶部の念願だったスコーン製作なのだ。いくらイケメンだからって、ぽっと出の君に出番はないのだよ。


「あ、紺ちゃん、これ……チョコ」

「あー、もってきてくれたんだ。じゃあたっぷり入れよう!」

「うん、うん!」


わたしたちは盛り上がった。ここ48時間の波乱万丈な人生をリセットするかのように、部活の続きをキッチンで繰り広げる。


「ねえ、さっくりって、どうやって混ぜるの?」

「動画見なよ。混ぜすぎると粘りが出ちゃうから膨らまないんだってよ」

「そうなんだ?」


徹君は居心地悪そうだ。でもわたしは放っておいた。

紺ちゃんという味方が傍にいるからかもしれない。二対一みたいになって、わたしはおそらく意図的に徹君を無視した気がする。


でも、徹君は本物の番犬みたいに、じっとしている。わたしはなぜかさらに意地悪な気持ちになって、紺ちゃんとあれこれ話す。紺ちゃんも、“事情を聞いていいんだ”と受け取ったのだと思う。スコーンの生地を作りながら、話題はやっぱり身の上に起きた大異変のことになる。


「結局、その別人状態はなんでそうなったわけ?」

「うーん。わかんないんだよね。でもさ、ドン引きせず聞いてくれる?」

わたしはユミルたちから聞いた話をした。徹君は眉間に皺を寄せてたけど、口は開かない。


――てことは、緘口令かんこうれいは敷いてないってことだよね。


わたしの“殻”とやらを剥がした攻撃が誰からのものなのか、もちろんユミルたちだってわからないから説明できないんだろうけれど、ほぼ説明されてないに等しい当人はもっと大変なのだ。


「急に攻撃が、とか言われても困るんだよね。しかもさ、わたし、十八歳になったら元の国に帰らなきゃならないらしいんだ」


「マジ?」

「そういうつもりで、親は育ててくれてたらしいよ」


さすがに、その祖国とやらに許嫁いいなずけがいるとか、子を……なんていう生々しい話は、男子の前でしたくないので黙っている。わたしたちは天板にスコーンのタネを絞り出しながらぺちゃくちゃとしゃべった。


「紺ちゃんと離れ離れになるなんてやだよ」

「私も、かのちんと会えなくなるのはやだわ」


そうだよね、とふたりでしゅんとしてしまう。

ようやく出会った、気の合う友だちなのだ。突然ブロンドに青い眼になっても全然態度を変えずに付き合ってくれるぐらい度量の広い子なのだ。こんな友人、もう二度と見つからない気がする。


わたしは生地を載せた天板から顔を上げた。


「……わたし、異世界案件なんて遠慮したい」

「かのちん……」

「ここに居られるなら、地味モブのままでいい」


徹君が黙って眼をいている。わざわざ応援できた増員なんだから、そりゃムカつくだろう。でも、わたしにだって選ぶ権利はある。


「こんな美少女キャラ、わたしには合わないよ。キャラ違いだよ。わたしはヒラヒラのドレスより、クタクタの緑ジャージのほうが楽でいいんだもん」


ティアードスカートに合わせてミュールっぽいサンダルを履いてきた。でも本当はつま先が痛かった。わたしはぺったんこのクロックスをだらしなく履くほうが身に付いている。ミュールごときでを上げるなら、ドレスなんか絶対着れないと思う。



「たった二日でよくわかったよ、わたしはモブ属性なんだ。プリンセス役はムリ」


人並みに、小さい頃はドレスを着たお姫様に憧れた。でも、実現しそうな今ならわかる。

美しい装いには、それなりの負荷がかかるのだ。

ジャージが楽なのは、美しさがないからだ。ドレスの下に隠れたコルセットのきつさと、つま先にかかる過酷な痛みによって、あの美しさが醸し出される。


「でもさ……」


紺ちゃんはちらりと徹君を見る。明らかに激怒っぽい顔をしているあの男はいいのかと目で示した。


――いいんだよ。


いかに圧が強かろうが、徹君は護衛だ。身分はお姫様のわたしのほうが上なんだから、彼は逆らえない。

わたしは、恭しく傅いてくれた徹君の態度に、調子に乗っていたのかもしれない。天板をオーブンに入れながら言った。


「たぶん、この騒動を終わらせるのはわたし次第だと思うんだよね」


祖国とやらはもう叔父の統治で収まっていると聞いている。いくら力が弱いとはいえ、とりあえず統治できているのだから、王家の純粋な血筋が……とかいうのも程度問題なんじゃないだろうか。


――親戚筋の女性が王子のお嫁さんになればいいじゃない。


多少能力が弱くても、そういう血を引いた子が何人が生まれたら、何とかなるんじゃないだろうか。すくなくとも、従兄がいるならその母もいるわけで、自分以外女性が一人もいないというわけではない。


「わたしがちゃんと“戻りません”て言えば、あちらはあちらでうまくやっていくと思うのよ」


最後は徹君に聞かせるつもりで話した。わたしは見知らぬ国のために結婚して、子を産んで、人生を犠牲にするなんてまっぴらだ。ドレスを着たお城の生活とやらが、ファンタジーの世界ほど気楽なものではないことは想像にかたくない。


――絶対、こっちの生活の方が楽だもん。


王女として注目を浴びたら、駅までの道のりとはくらべものにならないほどの衆人環視しゅうじんかんしになる。それこそネットで追いかけ回される芸能人とか外国の王族みたいな息苦しい暮らしになるのだ。そんなの無理だ。


この可愛い姿だけは若干惜しいと思うけれど、それだってこの世界だと若干オーバースペック気味だ。可愛すぎて、すでにわたしは落ち着かない。

所詮モブの哀しさか、こうして台所で紺ちゃんとしみじみおやつを作っているほうが落ち着くし、身の丈にあってる。


「わたしはモブでいたいんだもん」


怒るなら、怒ればいいと思った。報告しにユミルたちのところに帰ってくれるなら、むしろせいせいする。


でも徹君は黙っているだけで、結局何も言わなかった。



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