第7話 初恋の少女


わざとらしい足音を立ててカノンが階段を駆けあがって行く。

テオドール・シュリヴァ――今は勝手に“徹”という名にされてしまったが――はそれを何とも言えない気持ちで見送った。


「申し訳ございません、殿下」


「いや、いい。カノン様も、急なことだったからまだ状況を呑み込めていないのだろう」


「…………その通りでございます」


昨夜まで、この狭い木造の小屋で育ち、仮そめの父母の下で偽りの姿をしたまま暮らしていたのだ。急に何もかもを理解しろと言うほうが無理だ。けれど、眉間に皺を寄せて見上げられた表情を思い出し、少しがっかりした気持ちは隠せない。


――あれが、カノン王女…………。


王妃……王女の母の肖像画に似ている。

淡いブロンドと空のように澄んだ碧い瞳。愛らしい姿は想像通りだったのに、衣裳はちぐはぐだった。しかも、ちょっとそれを尋ねたらケンカ腰で返されてしまった。


「あの、殿下……」

「ああ、なんでもない」


沈黙に、王女の護衛を務めた武官二人が気を揉んでいる。徹は彼らに指示を出した。


「だが、落ち着くまではこのまま増員の護衛官で通しておこう」

「は……」


これ以上、姫に心理的な負担をかけないほうがいい……一応、そういう名目を挙げたが、本心は自分のダメージを減らしたかったからだ。


――まさか、これほど嫌われるとは……。


勿論、王女にとっては初対面の相手だ。だが自分は幼い頃から彼女を守り、彼女の伴侶となって国を再興するのだと言われて育った。


“カノン様は、それはそれは可憐で愛らしい姫君だったのだよ”


先王の王妃――カノン王女の母君の弟が私の父だった。父は非業の死を遂げた前王妃を悼むと同時に、過酷な運命を背負わされたカノン王女のことをいつもそう称えていた。


いつの日にか王位を簒奪さんだつした偽王を倒し、王女を異世界から取り戻す。それが我が一族の悲願であり、無事に王女を迎えた時は、私とめあわせることで、名実ともに彼女に統治権を返上できると考えていたのだ。


“お前が生涯お護りする姫君だよ”


そういって王妃の肖像画から模して製作された絵を見せられた。キャンバスの向こうから微笑みかけてくれる可憐な少女は、自分にとっても初恋だった。だから、自分でもいつの間にかそういう未来を思い描いていたのだ。


いつか、異国に流されたとらわれの姫君を迎えに行く。


――そうしたら、喜んでくれるかと思っていたのに…………。


成長した姿は、ほぼ想像通りだった。

けれど緑色のくたびれた囚人服を着て、眉間に皺を寄せて睨まれる対面だとは思いもよらなかったのだ。


自分のほうが失礼な態度だったのかもしれない。確かに積年の想いもあって、本人を前に、やや緊張していたのは認める。


――とはいえ、あそこまで頑なな態度を取られるいわれはないのだが……。


自分の想像していた“感動の初対面”とはまるで違った。


もちろん勝手に夢を見ていただけだから、相手に罪はない。けれど心に嘘はつけない。だから、とっさに説明しかけたトルキアに目で“止めろ”と制してしまった。


こんな形で、未来の夫なのだと告げたくはない。


――でも、もしかしたら許嫁だと名乗ったほうがよい方向に行くだろうか。


どこの馬の骨ともわからない警護人員だと思っているから、姫も警戒しているのかもしれない。


「いや……そういう感じでもなかったな」


慌てた素振りで色々と言い訳をしていたのに、急に怒り出していた。

徹はその理由がわからず、腕組みをしたまま考え込む。


「殿下……」


思いを巡らせていたら、トルキアたちが心配そうな顔をしていた。徹はとりあえず平静を取り繕った。


「いや、なんでもないのだ」


姫の気持ちも気になるが、まず自分がしなければならないのは、彼女の姿を隠していた殻が割れるほどの攻撃がどこから来たかを見つけることだ。


――そのために、異世界へ志願してきたのだからな。


王女が安心して暮らせる世界を守らなければならない。自分の感情は二の次だ。


徹はひと通り家の構造やこの世界の仕組みを教えてもらったあと、足音を忍ばせて華乃の隣室に向かった。



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