第32話 文化祭の舞台裏

文化祭まで、あと5日。


空き教室は、もはやお化け屋敷の形を成していた。


床には落ち葉が敷き詰められ、天井からは蜘蛛の巣を模した糸が垂れ下がる。


壁には、俺が描いた不気味な絵が飾られていた。


実は、俺は絵を描くのが得意だ。


だが、それは誰にも言ってこなかった。


中学時代、絵を描くことを馬鹿にされ、描くのをやめてしまったからだ。


しかし、春原が「和真って、絵を描くの得意そう!」と言ってくれたことで、再び描き始めるようになった。


「ねえ、和真。ちょっといい?」


春原がそう言って、壁に飾られた絵を指差した。


それは、俺が描いた骸骨の絵だ。


「この絵、すごく怖いけど......なんか、寂しそうだね」


春原の言葉に、俺は驚いて彼女を見た。


「どうしてそう思うんだ?」


「うーん......うまく言えないけど、目がすごく悲しそうに見えるの。和真って、本当は優しい人なんだね」


俺の心を言い当てられたような気がして、胸が熱くなる。


彼女は、俺が隠してきた部分を、簡単に見抜いてしまう。


「そうか......」


俺はただ、そう答えることしかできなかった。


そして、作業を終え、2人で教室を出た。


(和真......か)


下の名前で呼ばれることに、まだ慣れない。


だが、嫌じゃない……むしろ、少しだけ嬉しい。


「お化け屋敷なんて、大変だね。でも、和真の絵、すごく上手だね」


帰り道、春原は俺の隣を歩きながら、そう言って微笑んだ。


夕焼けに染まった横顔は、まるで天使のようだった。


「いや、そんなこと......」


柄にもなく照れてしまって、俺は俯いた。


「どうして、絵を描くのをやめちゃったの?」


彼女の優しい声が、俺の心の奥底に問いかける。


俺は、中学時代のことを話した。


美術の授業で、俺の絵を見たクラスメイトに「佐伯って、変な絵描くんだな」と馬鹿にされたこと。


それ以来、絵を描くことが怖くなってしまったこと。


俺が話し終えると、春原は静かに、でも力強く言った。


「その人たちは、和真の絵の良さが分からなかっただけだよ。和真の絵は、すごく力強い。それに、優しさも感じられる」


「本当に......そう思う?」


「うん。だって、あの骸骨の絵。怖いだけじゃない。なんか、守ってあげたくなるような、そんな気持ちになったもん」


春原の言葉は、俺の凍りついていた心を、ゆっくりと溶かしていくようだった。


「ありがとう。春原」


俺は、心からの感謝を伝えた。


「どういたしまして。あ、そうだ。和真。私、来年の文化祭で、和真の絵を題材にした劇をやりたいな」


「劇......?」


「そう!和真の描く絵には、物語がある気がするの。だから、それをみんなに見せてあげたいなって……それに小説も書いてるから……」


彼女の瞳は、未来への希望に満ちていた。


俺は、その輝きに、少しだけ勇気をもらった気がした。


「分かった。でも、劇にするなら、もっといろんな絵を描いたり、ネタを探さないと……」


「うん!一緒に頑張ろうね!」


そう言って、春原はにっこりと笑った。


その笑顔は、まるで、俺に魔法をかけてくれたみたいだった。


家に帰ってからも、俺は春原の言葉を思い出していた。


(俺の絵に、物語......か)


初めて、自分の絵が、誰かの心に響いた気がした。


今まで、誰にも見せることのなかった俺の絵。


それを、春原は「守ってあげたくなる」と言ってくれた。


その言葉が、俺の心に温かい光を灯してくれた。


翌日から、俺はこれまで以上に熱心に絵を描き始めた。


描けば描くほど、新しいアイデアが湧いてくる。


骸骨だけでなく、不気味な森、歪んだ月、悲しそうな顔をした怪物......。


俺は、絵を通して、今まで誰にも見せることのできなかった、俺の心の奥底にある感情を表現していった。


そして、文化祭前日。


俺は、お化け屋敷の最後の仕上げをしていた。


春原は、俺が描いた絵を壁に飾っていた。


「和真くん、この絵、すごいね。まるで、絵が喋っているみたい」


春原が、俺が最後に描いた、涙を流す怪物の絵を指差した。


「これは......」


俺は、言葉に詰まった。


この絵は、俺自身を表している。


周りの人から「怖い」と思われ、本当の自分を隠してきた。


でも、春原に出会って、少しだけ、本当の自分を出せるようになった。


そんな、俺の心の変化が、この絵には込められている。


「和真......本当に、ありがとう」


春原は、そう言って、俺の背中にそっと手を置いた。


その温かさに、俺はまた、胸が熱くなった。


「俺の方こそ、ありがとう。春原さん」


俺の言葉に、春原は、優しく微笑んだ。


この文化祭で、俺は、少しだけ強くなれるかもしれない。


そして、この恐怖を乗り越えた先に、春原と、もう一つの物語が始まる気がした。


「明日、頑張ろうね」


「うん、頑張ろう」


俺たちは、そう言って、再び歩き出した。


帰り道、春原は、ふと立ち止まって、空を見上げた。


「見て、和真。月がすごく綺麗だよ」


そこには、今まで見たことのないような、澄んだ月が輝いていた。


俺は、春原の横顔を見つめながら、心の中でつぶやいた。


(この気持ちも、いつか絵に描けたらいいな)


春原は、俺に、新しい世界を見せてくれた。


それは、まるで、暗い夜道に、一筋の光が差し込んだようだった。

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