序章 物語の始まり

第1話 最悪の転生

 背中に触れる固い感触。 

 まるで石の上で寝ているような、服越しでも骨まで冷やす感覚に思わず身をすくめる。


(――痛たたっ。なんだ? ベッドから落ちた?)


 ゆっくりとまぶたを開けると目に映ったのは灰色をした石造りの天井だった。

 その天井は高く、石のはりには埃がびっしりと積もり、乾いた空気は埃と古びた石の匂いを漂わせる。

 薄暗く、陽光が届きにくい窓には割れたステンドグラスが僅かな色彩を放っていた。

 

 ここは廃墟――それも人々から忘れ去られた教会、といった所だろう。

 

 訳が分からないままゆっくり上体を起こすと、俺の視線は足元で光る模様へと吸い寄せられた。


 俺を中心に直径五メートルほどの円が淡く光っている。

 円の中には無数の光の筋が幾重にもはしり、所々に刻まれた記号や文字らしきモノが複雑に絡み合って脈動している。


(これ……魔法陣? 漫画とかアニメでよく見るやつだよな?)


 どうやら俺は、謎の魔法陣の中央で寝ていたらしい。

 



▽ ▽ ▽




(待て待て! 落ち着け……。まずは俺の名前……なま、え?)


 自分の名前を思い出せない……。

 他の自分に関する記憶全てが、濃いモヤに覆われたように輪郭すら掴めなかった。


「と、とにかく一回、深呼吸だ……」


 そう呟いて立ち上がろうとした時だ。


 ”ジャリン”――。

 硬質な金属音が薄暗い空間に木霊した。

 恐る恐る、音の方へと視線を落とす。足首や手首、さらに胴にまで雪のように白い鎖が絡みついている。

 その根元は魔法陣から生えており、淡く明滅していた。


「何だ……これ。まさか、監禁され……?」


 嫌な想像を振り払うようにかぶりを振った時だった。

 サラッと頬を滑り落ちたのは腰にまで届く絹糸の如く、滑らかな長い黒髪。

 目に映った手は白く細く、指もスラリと長い。

 

 まるで――女の手。


「…………はぁ?」


 ふと見た壁にヒビ割れた鏡が横たわっている。

 恐る恐るその鏡を覗き込み、そこに映っていたのは――。


 艶のある黒髪と、鮮烈な緋色の瞳を持つ美少女の姿。

 黒のシンプルなゴシックドレスから覗く白肌、整った鼻筋、艶やかな唇――


「な、なんで女!? これが、俺!?」


 胸を押さえれば手の下には柔らかな膨らみもある。

 声は少女のように澄んだソプラノボイスだ。だが妙に聞き馴染んでいる。


「いやいやいや、おかしいだろ、これ! どうなって……?」


 知らない場所、知らない身体で目が覚める。まさか――と、とある可能性に行き当たる。

 

「ウェブ小説で流行ってる”転生モノ”? じゃあ俺って、異世界転生した?」


 荒唐無稽こうとうむけいな考えだと自分でも思うが、それしか思いつかなかった。


「――にしても、これ封印されてる”悪役ポジ”じゃん……俺」


 はぁ~、と盛大にため息を付いた時だった。

 唐突に胸の奥で何かがざわめき立つ。

 同時に脳裏では”何か”弾け、頭を鋭い痛みがはしった。


「――――痛ッ!?」


 突然の痛みで閉じたまぶたの裏で見えたのは――血と炎、悲鳴の飛び交う戦場の光景。

 そして耳の奥でかすかに響く、クスクスと笑う女の声。


 ――これは、このカラダに残る記憶。

 「かつて『アシュタロト』と呼ばれた”悪魔”の記憶だ」と、耳の奥に響く声がそうささやいた。



「俺……”封印された悪魔”に転生したのか」


 絡みつく鎖と魔法陣。これは外へ出ることを許さない封印だ。

 柔肌へ無慈悲に鎖が食い込み、離さない。

 この状況こそ、俺が悪魔である証だろう。


「はぁ、詰んだわ……。チュートリアルする前に、牢獄スタートかよ……」



 そんな自虐をこぼしてから、すでに数日が経とうとしていた――――。



▽ ▽ ▽



 転生した環境と身体にも、この数日の間で馴れが出てくる。

 とは言え、こうも厳重に閉じ込められていて落ち着いていられるはずも無く、初日は酷く暴れたものだ。

 

 だがそれも無駄と分かると、不思議なもので――今は悟ったかのように落ち着いた精神状態を維持している。


 すると、鈴を転がしたような涼やかな声が薄暗い空間に響いた。


「アシュ? あの……今日も来たよ?」


 朽ちた扉の隙間から一筋の陽光が差し込み、その光を纏ったかのような金色の髪をなびかせて、一人の少女が歩み寄って来る。


 アメジスト色の瞳が、魔法陣からの光を映してきらめいていた。

 彼女の姿には人を惹き付けるような神聖な雰囲気すら漂っている。


 その少女を見た時、不意に口が動いた。


 「ラフィ、ニア……?」


 知るハズの無かった名前。

 だが、この身体に残る記憶がそう告げていた――。



 それは、一年前――。

 この廃教会のある森で、野盗二人に襲われていた少女を”アシュタロト”は助けた。

 封じられたまま無理やりに力を使った代償で、封印はより強まったようだ。


 だがその記憶は、俺が転生に気付く前に見た”夢の光景”と同じだ。


 ――ともあれ、以来ラフィニアは”アシュタロト”を「アシュ」と呼んで慕い、何度もここを訪ねてくるようになった。

 

 歩み寄った彼女は自信タップリに胸を張る。その瞳には強い決意が見えた。


「やっと封印を解く手がかりを見つけたの!」

「おぉ! 凄いな……って、待て待て! 解いちゃダメだからな? 封印って外に出たらヤバいやつを閉じ込めるためのモノなんだぞ?」


 俺の言葉に、ラフィニアは首をかしげる。


「だって、アシュは私を助けてくれた””でしょ?」

「いや、“良い悪魔”ってなんだよ……。なんか矛盾してる気が……」

「そ~お? 別に変なトコないと思うけど?」


 この娘は本当に純粋だ。

 ”天然”っぽい性格も魅力だが、いつか誰かに騙されないかと心配になる。

 

 そんな俺の心配もどこ吹く風とばかりに、ラフィニアはキョトンとしている。

 さらに歩み寄った彼女は魔法陣の近くに腰を下ろして、俺の顔を覗き込んだ。


「今日のアシュ……いつもと雰囲気が違うね?」


 可愛らしく小首を傾げてニッコリと頬を綻ばせる。


「前にアシュが言ってた『いめちぇん』ってヤツなのかな?」

「え? えっと……イメチェン? っていうかさ、前の俺ってどんな感じ?」

「う~んとね、自分の事は”我”って呼んでたし、もっと堅苦しかったよ?」

「堅苦し……。やっぱ今の俺、変か?」

「ううん。自分を”俺”って呼ぶのは変わってるけど……今の方が可愛い♪」

「…………いや、可愛いってなんだよ」

「もうちょっと女の子らしくしても良いんだよ?」


 ラフィニアは笑いを隠すように手で口元を押さえて、「ふふふ♪」と笑顔を振りまいている。

 彼女の言う「可愛い」に、不思議と心が温かくなる自分がいた。


 この感情が記憶の残滓ざんしなのか? 

 それとも自分の素直な気持ちなのか? 

 結局それは分からなかったが、不思議と彼女との会話は心が満たされる。


 孤独な幽閉生活を支えてくれるラフィニア。

 彼女の存在が胸の奥にささやかな願いを灯し、小さな願い事が口を衝いた


「この世界でも、”人”として普通に暮らせないかな……」


 これは叶うはずのない願い。

 なぜなら俺が悪魔であることは動かせない事実だからだ……。

 でも、ラフィニアとのやり取りが”人”としての俺を刺激する。

 

(何でかな? ラフィニアと話してると、凄く大切な時間に感じるんだよな)



 だが、この出会いが俺とラフィニアを激動の運命へと引きずり込むことになる。

 

 そのことを、今の俺たちはまだ知らなかった――――。


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