第7章:祭りの前夜

 祭りの前日、夜鳴村は不気味なほどの静けさと、その奥に潜む異様な熱気に包まれていた。家々の軒先には祭りのための注連縄が張られ、村人たちは黙々と準備を進めている。しかし、彼らの目は誰もが虚ろで、焦点が合っていない。まるで、何かに憑かれた人形のようだった。

 楓はトメのあばら家で、息を潜めていた。もう一度、祖母の日記を手に取る。かつて祖母が感じていたであろう、逃げ場のない恐怖と絶望が、今や自分自身のものとして、痛いほどに胸に迫ってくる。逃げ出したい。今すぐにでも、この狂った村から。しかし、同時に、強い使命感が芽生えていた。祖母ができなかったこと、蓮の妹が叶わなかったこと。この忌まわしい呪いの連鎖を、自分の代で終わらせなければならない。

 その間、蓮は動いていた。村に残る数少ない、まともな判断力を持っていそうな老人たちの元を訪ね、助けを求めた。しかし、返ってくる答えは同じだった。

「掟には逆らえん……」「影見様の祟りが怖いんじゃ……」

 長年かけて村に染み付いた恐怖と因習は、人々の心を完全に支配していた。蓮は、村の根深い闇に打ちのめされ、楓だけでも逃がそうと、村人たちの目を盗んで、土砂崩れで塞がれたというトンネル以外の脱出路を探し始めた。だが、獣道は全て行き止まり。村は、まさに陸の孤島だった。

 その夜、楓は再び金縛りにあった。

 しかし、今回は違った。前回のような、有無を言わさぬ暴力的な恐怖ではない。耳元で、少女の声が、はっきりと聞こえたのだ。

『……いっしょにあそぼう……』

『……どうして、わたしだけ……さみしいよ……』

 それは、怒りというよりも、深い、深い悲しみに満ちた声だった。楓が恐怖に耐えながら目を開けると、部屋の隅に、二人の少女の黒い影が立っているのが見えた。影は、ゆっくりと楓に近づいてくる。冷たい手が、楓の頬に触れようとした。

 恐怖のあまり気を失いかけたその時、戸口から見ていたトメの声が、凛として響いた。

「怖がるな、お嬢さん! よく聞くんだ、あの子たちの声を! 怒りじゃない、悲しみの声だ! 忘れられた、ただの子供の声なんじゃ!」

 トメの言葉に、楓ははっと我に返る。そうだ、この子たちは、ただの化け物じゃない。村のために犠牲になった、悲しい姉妹なのだ。楓は意識の糸を必死で繋ぎとめ、震える唇で、影に向かって問いかけた。

「あなたたちの、名前は……何ていうの?」

 その瞬間、楓の頬に触れようとしていた影の動きが、ぴたり、と止まった。

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