第8章:鎮魂の儀式

 楓の問いかけに、二人の少女の影は応えなかった。しかし、彼女たちを包んでいた刺々しい敵意が、ふっと和らいだのを楓は感じ取った。影は静かに後ずさると、すうっと部屋の闇に溶けて消えていった。

「……行っちまったか」

 トメは静かに呟くと、楓に向き直った。

「影見様は、村を呪う怨霊であると同時に、誰からも名前を忘れられ、弔われることもなかった哀れな子供なんじゃ。ただ力で祓おうとしても、憎しみが増すだけ。あの子たちの魂を慰め、名を呼び、心から弔うこと。それこそが、この呪いを解く唯一の道じゃよ」

 そしてトメは、楓と、脱出路探しから戻った蓮に、「鎮魂の儀式」の方法を伝えた。それは、村人たちが明日の夜に行う「依り代の儀式」に割り込み、その場を乗っ取って、影見様を鎮めるための危険な賭けだった。

 儀式に必要なものは三つ。

 一つは、双子の姉妹が生前、特に愛したと伝えられる「月光草(げっこうそう)」。月の光を浴びて青白く光るという、幻の花。

 二つ目は、依り代となる者の「清らかな血」。それは、双子の怨念を引きつけ、呼び寄せるための贄。

 そして三つ目は、心からの「弔いの言葉」。

「わしは年を取りすぎた。儀式を執り行うのは、お嬢さん、あんたしかいない」トメは言った。「そして、月光草を探し出し、あんたを守るのは……蓮、お前の役目じゃ」

 夜が明ける前、蓮は村人たちの目を盗んで、トメから聞いた自生地へと向かった。それは村の奥深く、崖に近い危険な場所だという。楓は、トメから教わった古い弔いの言葉を、必死で暗唱した。それは、忘れ去られた双子の姉妹の名前――「ミオ」と「マオ」を呼び、彼女たちの孤独と悲しみに寄り添う、鎮魂の歌だった。

 蓮が月光草を見つけ、崖を降りようとしたその時だった。村の見回りに見つかってしまった。

「裏切り者がいたぞ!」「捕まえろ!」

 怒号が森に響き渡る。蓮は必死で逃げた。険しい斜面を駆け下り、追っ手を振り切ろうとしたが、足元が崩れ、崖から滑り落ちてしまう。咄嗟に木の根を掴んだものの、体は宙吊りになった。眼下は、切り立った岩場だ。絶体絶命の状況で、彼は懐の月光草を必死に守りながら、渾身の力で崖をよじ登り、間一髪で追っ手を振り切った。

 夜、満身創痍でトメの家に戻ってきた蓮の姿を見て、楓は言葉を失った。彼の腕や足は、擦り傷や打撲で血が滲んでいる。

「ごめんなさい……私のせいで……」

 罪悪感に苛まれる楓に、蓮は力なく首を振った。

「違う。これは、俺のためでもある。妹に何もしてやれなかった俺が、やらなきゃいけないことなんだ。あんたと一緒に、俺が終わらせる」

 彼の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。

 その時、ドン、ドン、と地鳴りのような太鼓の音が、村中に響き渡り始めた。祭りの始まりを告げる合図だった。

 楓、蓮、トメの三人は、互いの顔を見合わせ、静かに頷く。覚悟は、決まった。三人は、最後の戦いのために、トメの家を後にした。

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