第2話part1
「こういうのは、後々厄介になるからな」
少年の額に銃口が向けられる。
(畜生、畜生畜生……力が、力さえあれば……)
少年の眼から流れた涙が頬を伝い、左手首に嵌まった銀色の腕輪に零れ落ちる。
その時であった。
「な、なんだこれは!?」
大人達のリーダーと思しき男が、動揺の声を上げる。
瞬間、巨大な闇と形容すべき霧が現れ、空を、地面を、大人達を、少女を、少年を、飲み込んでいった。
少年の視界は霧に覆われ、眼前の銃口さえ見えなくなっていた。
どのくらい時間が経過したであろうか。
霧が少しずつ晴れていく。
同時に、少年の視界も開けてくる。
彼は直ぐ、異変に気が付いた。
(目の前にあった銃が、奴等が、大人達がいない!)
それだけではない。
(なんだ……ここは!?)
思わず立ち上がり、辺りを見回す少年。
草木一本ない荒れた大地。
ポツポツと点在する岩山。
フィルターがかかったかのように赤い視界。
赤黒く明るい空。
その空の中、白く光を放つ月、のような巨大な球体。
彼が今いた筈の原っぱの光景ではなかった。
(……そうだ!)
少年は重大な事を思い出した。
恋人の姿も無くなっている事に。
必死で叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
愛する人の名を叫ぶ。
しかし、木霊以外に返って来るものはない。
(どうしようどうしようどうしようどうしよう!!……え?)
不意に、辺りが暗くなる。
同時に、背後から低い唸り声が聞こえてくる。
恐る恐る振り返る少年。
そこにはーー
「キシャアアアアゴ!」
2本の足で立つ、巨大な爬虫類の怪物の姿があった。
怪物は、ギョロギョロと動く目玉で少年を補足すると、牙の生えた口を開け、太い手の爪を向け、彼に襲い掛かった。
「う、うああああああああああ!!!!」
午前7時30分 某マンションの一室。
「……!」
侠弐は目を見開き、飛び上がるように布団から上半身を起こした。
心臓はバクバクと音を立て、額には汗が滲んでいる。
「い、今のは……」
「侠弐、大丈夫?」
彼が横を向くと、右手に刀を持ち心配そうに眺めるリサの姿が。
「リサ……否、大丈夫何でもない。ってそれよりリサ、寝間着は?」
昨晩――と言っても日を跨いでいるのだが――家路に着いた侠弐は、激しい疲労感に襲われていた。
予想外の堕天同士の戦い。
そこに割って入り、落命寸前。
長年待ちわびた、愛する人との再会。
これが僅か数十分の間に起これば、肉体の疲労は相当なものであろう。
直ぐにでも寝たかった彼は、マットとブランケットを床に敷き、リサには自身が普段使用しているベッドで寝ることを提案した。
が、リサはマットの方が良いと言い、先に寝ていてくれと彼に伝えた。
直ぐにでも寝たかった侠弐は、寝ぼけまなこに承諾、風呂の使い方を教え、寝間着基い新品のジャージを渡して眠りについていた。
そのはずであったが。
「着ないで寝たのか?ジャージは嫌だったか?」
リサは、首を横に振る。
「じゃあ、どうして……」
「寝てない」
「へ?」
「否、正確には寝た。こうやって」
リサは壁際へ行き、背中を壁に預ける。
両腕は垂れ下がりつつも、右手にはしっかりと刀が握られている。
「その体勢で、1晩中眠っていたのか?」
「ううん、1息2息だけ。後は起きてた」
「それ、寝てるうちに入らないのでは?」
「……蠱獄では、これだけでも命取りになり得る。これ以上意識を失っていたら、確実に殺られる。私も、侠弍も」
「リサ……」
彼女はまだ蠱獄の中を生きている。
故に、自身に出来る事は一つ。
彼女を守り、安心してもらう事。
その為には、自身の付けた力と得た強さを見せるのが1番。
侠弍はそう考えていた。
(そういえば昨日、先生にも言われたな……そうと決まれば)
彼は卓上時計を見て時刻を確認し、ベッドから出る。
「侠弍?」
「リサ、見てもらいたいものがあるんだけど、良い?」
着替えを終えた侠弐は、ハンガーに掛かったコートに手を伸ばす。
そして、コートのポケットから札を取り出す。
「替移〈タイイ〉」
瞬間、札が輝き、2人を包み込む。
光は部屋全体に広がっていく。
数秒後、札は輝きを徐々に失っていき、同時に2人の視界が開けてくる。
そこは既に、マンションの一室では無くなっていた。
四方八方が銀色に包まれた、広大な空間。
照明の類は見当たらないにも関わらず、適度な明るさが保たれている。
「いつ来ても慣れないなぁ、この感覚は」
そう言って、後頭部を軽く掻く侠弐。
「……」
何かを探るかのように辺りをキョロキョロと見回すリサ。
「驚いたか?」
「少し」
「少しかぁ」
「こういうのを使う敵は、何体かいたから。えっと、テレ……テレ……」
「テレポーテーション?」
「そうそれ。ありがと侠弐」
「いいえ?」
「それで、ここで何するの?」
「俺の日課さ」
「それって、昨日言ってた鍛錬?」
「そう、リサに見てもらいたくてね」
侠弐は、ポケットから札を全て取り出し、
「えーと、これと、これと、これと」
その中から10数枚程選択し、空中に放り投げる。
「解!」
瞬間、札札は光を発し、形を変えていく。
地面に着く頃には、長方形の紙の姿はどこにもなく、代わりに10数体の怪物――獣僕が出現、侠弐達を取り囲んでいた。
爬虫類を模したような物――ガメレア。
蟹の如き甲羅と鋏を持つ物――ガギルス。
蝉に近い姿をした物――ゼスラード。
多種多様な見た目ながら思考は同じようで、全員侠弐に狙いを定めていた。
「……ブレ、?」
リサは臨戦態勢に入り、刀を生成しようとするも、侠弐に制止される。
「リサは、そのまま見ていてくれ。こいつらの狙いは全員俺だから」
「でも……」
「大丈夫。俺は、負けない」
「キシャアアアアゴ!!」
ガメレアが奇声を上げ、侠弐の方へ向かってきた。
彼は、直ぐに向かって右へ走り出し、相手の注意を引く。
それにつられて、他の獣僕達も彼を追いかける。
侠弐は、陸上選手顔負けの速さで走り、あっという間に壁際へ。
しかし、ガメレアも直ぐに追いつき、その身を引き裂かんと鋭利な爪で襲い掛かる。
「侠弐!」
衝突音。が、そこに侠弐の姿はない。
「キシャ?」
不思議に思い、辺りを見回すガメレア。
次の瞬間、
「キシャアアアアゴ!!?」
ガメレアは、断末魔の悲鳴を上げ、その場に倒れ伏した。
恐らく、何が起こったのか分からないままに、逝ったであろう。
他の獣僕達も分かっていない。
分かったのは、その様子を遠目から見ていたリサだけであった。
侠弐は、爪が衝突する寸前で回避していた。
そのまま後ろへ回り込むと、ガメレアの背中に飛び乗った。
そして、懐から千枚通しを円錐状に太長くしたような武器を取り出し、急所たる延髄に突き立てたのだ。
一切の気配、動きを相手に知られることなく。
恐るべき隠密スキルと精密な動作性であった。
「まずは、1体」
侠弐は振り返り、残りの獣僕達を見据える。
「ブブブブブ!ブブブブブ!」
「キシャン!キシャン!」
今ので戦意を喪失するほど、獣僕は弱くない。
寧ろ強い敵がいる事に高揚し、更に襲って来る性質である。
「ブブブブッ!!」
次に侠弐に向かってきたのは、ゼスラード。
蝉に似た4枚の羽根を展開し、猛スピードで突進してくる。
衝突は免れない、かに見えた。
(落ち着け!速いが直線的で動きが読みやすい……今だ!)
侠弐は得物の向きを変えると同時に身を翻し、またも衝突寸前で回避、そしてガラ空きになった茶色い胴体を、突く、突く、突く、突く。
「ブブッ!!ブッ……」
ゼスラードはそのまま壁に激突、動きを止めた。
「2体目!あとは……!」
「キシャン!キシャン!」
振り向いた先には、巨大な鋏が迫っていた。
咄嗟に構え、駆け出していく侠弐。
それをリサは、黙って観戦していた。
数分後。
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えの状態で、大の字になって地面に寝転ぶ侠弐。
彼を取り囲むように転がる、獣僕達の死骸。
「……」
そして、その光景を無言且つ無表情で見つめるリサ。
「はぁ……はぁ……」
侠弐は、まだ息を整え切れていなかった。
それもそのはず。
普段の鍛錬では4から5体、多くても7体程に留めていた獣僕を10体以上も相手にしたのだから。
その理由は単純明快。
リサに良いとこ見せようと張り切った。
それだけである。
(これで、リサも分かってくれたかな。俺がいるから、もう戦う必要はないって)
「はぁ……はぁ……はぁ」
漸く息が整い、立ち上がる侠弐。
「ど、どうだったかな。俺も結構強くなっただろ?」
「……残ってる?」
「へ?」
「その、怪物を封印した札って、まだ残ってる?」
「札?まだあるけど……」
「貸して、くれる?」
侠弐はポケットから残りの札を取り出し、リサに渡す。
彼女は、それを扇子のように広げ、じっと見る。
そして、1枚の札を選び、抜き取る。
「これ、使ってもいい?」
「どれ?……あー、それは止めといた方が……」
苦い顔で制止する侠弐。
リサが選んだのは、ゴルドーズが封印されている札。
冷鬼ゴルドーズ。
獣僕にしては珍しく異名を持つこの怪物は、堕天たるイドラとガラゴを除けば、侠弐が遭遇した中で最も強く恐ろしい相手であった。
睦の包囲結界を力ずくで引きちぎり、錐ノ籠をも破りかけた力の怪物。
幸い、その後駆け付けたガラゴと渚によって、即座に討滅、封印された。
そのゴルドーズをリサは使う、即ち解放して戦うというのだ。
「平気、やらせて」
「うーん、じゃあヤバいと感じたらこの札を貼って再封印する事、良い?」
リサは頷き、肯定の意を示す。
そのまま、札を宙に放る。
「解」
瞬間、凍てつくような冷風が発生する。
その風上に、巨大な人影が一体。
雪男と形容しても、何らおかしくない姿。
体のあちこちが毛で覆われた、青白い体色の人型巨大生物。
「ゴルドーズ……」
「ウルルルル……」
ゴルドーズは、歯を剥き出しにしながら唸り、血走った目で侠弍達を睨み下ろす。
侠弍は息を呑み、見上げる。
「……」
リサも見上げてはいるが、その顔に一切の動揺や恐れはなく、ただ相手を見据えている。
数秒経ったか、数瞬経ったか。
「ウルルルルアァ!!」
ゴルドーズが雄叫びを上げ、拳を振り上げる。
そしてそのまま、リサに向かって振り下ろす。
が、彼女は微動だにしない。
「リサ!避け」
侠弍が言い切る前に、拳は彼女に激突 していなかった。
が、彼女の姿は見えない。
「!」
上空を見上げる侠弍。
そこには、片足を曲げ片足を伸ばし、宙を舞うリサの姿があった。
彼女は拳が当たる寸前、恐るべき跳躍力で空中高く飛翔したのだ。
「刃(ブレード)」
重力に従い落下しながら刀を生成、空を蹴ってゴルドーズの頭上へ向かう。
「ルァ!?ルァ!?」
潰した筈の敵がいない事に、混乱するゴルドーズ。
その敵の場所が分かったのは、自身の頭部に刀の切っ先がめり込んだ後であった。
そのまま重力を利用し、巨体を縦1文字に切り裂きながら地面に降下するリサ。
「ルアアアアアアアアアア!!」
その叫びがゴルドーズの最期となり、直後仰向けに倒れ伏した。
「す、凄い……!」
侠弍は驚愕していた。
(あのゴルドーズを、たった一太刀で !)
が、考えてみれば至極当然であった。
彼女は昨日、この獣僕など比べ物にならない強さを持った堕天の1柱を、単独で葬っているのだから。
恐るべき、否、恐ろしいまでの強さを彼女は持っている。
とても自分など足元にも及ばない。
侠弍は、そう考え始めていた。
(はっ!いかんいかん!)
彼は、後ろ向きな考えを振り払うかの様に、顔を左右に振る。
(例えそうだとしても、その強さを振るわなくても良いように、俺は今まで鍛えて力をつけてきたんじゃないか!)
「侠弍?どうしたの?」
「否、何でもない」
プルルルルルル プルルルルルル。
不意に、侠弍のポケットーー札の入っている方の反対側――が振動し、電子音が鳴り響く。
ポケットに手を突っ込み発信元を取り出すと、彼の折り畳み携帯電話であった。
彼はリサに断りを入れ、電話に出る。
「もしもし」
「おはよう叢雨君」
「先生!おはようございます」
「日課の鍛錬は、観てもらえたかい?」
「そ、それがですね」
一部始終を侠弍は渚に話す。
「へぇ、あの冷鬼を一太刀でねぇ」
「少しだけ、自身の強さに自信がなくなりました」
「それは洒落かい? まぁ、昨日の彼女の強さをみれば寧ろ当然の結果と見るべきだろうね」
「それは、そうなんですが……」
先程振り払った筈の後ろ向きな思いが、彼の頭にぶり返して来る。
「……」
「……それじゃ、気晴らしにショッピングでも行ってきたらどうだい?リサ君と一緒に」
「ショッピング、ですか?」
「ほら彼女の服、昨日の戦闘で破損した状態だったろ?その替えを探しがてら、さ」
侠弍は、リサの方をチラリと見る。
彼女の着ているドレスは、赤黒い汚れと比較的新しい焦げ跡が付き、左袖は肘から下が完全に失くなって、包帯の巻かれた腕が剥き出しになっている。
「大丈夫、万が一の際は連絡してくれ、直ぐに行くからさ。デート、楽しんで来なよ」
「ん?デート?ショッピングって言ってませんでしたっけ?」
「恋人と2人で行くんだ。ショッピングも立派な買い物デートさ。それとも、嫌かい?」
「否、そんな事はないですよ!凄く嬉しいですよ?リサとデート出来るっていうのは!」
「デート?」
背後から聞こえた声に、侠弍は思わず振り向く。
そこには、期待と嬉しさに心踊らせていると言わんばかりの顔をした、リサの姿が。
「あ、えっと、行きたい?」
リサは激しく首を上下に振る。
「そ、そうか」
「どうやら、決まりの様だね」
内蔵スピーカーから、渚が言う。
「それじゃ、楽しんでおいで」
獣僕達を再封印して自室に戻った侠弍は、運動着からシャツとズボンに着替え、コートに袖を通す。
「リサはどうする?まだ着てないシャツあるけど、着るか?」
「否、これで良い」
「そうか」
(まぁ、片側だけノースリーブのコートとかあるしな。目立ちはするが、可笑しいとまでは行かないだろう)
彼は鞄の中に財布と携帯、万が一の際の各種札を入れ、
「それじゃ、行こうか」
「うん」
リサと一緒に、家を出た。
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