第4話 魔獣と理想の有酸素運動
賢者の塔の最上階は、今日も今日とて奇妙な光景が広がっていた。
「――フンッ! ハッ!」
ジン・アームストロングが、祝賀会で授与された『世界樹の杖』を軽々と振り回し、謎の体操に励んでいる。その顔は、最高のトレーニング器具を見つけた喜びで輝いていた。
「うむ、素晴らしい! この杖を使い始めてから、肩甲骨の可動域が昨日よりコンマ2ミリは広がった気がするぞ!」
「そうですか、よかったですね(棒読み)」
ソファで分厚い魔導書を読んでいたリリアは、顔も上げずに気のない返事をする。もはや、この脳筋賢者の奇行にいちいち驚くだけエネルギーの無駄だと、彼女は学習していた。
「しかしジン様、よくもまあ伝説の秘宝をただの健康器具にできますよね。絶対に罰が当たりますよ、いつか」
「罰? 何を言うか、リリア。これほど見事な逸品を創り出した職人に、感謝状を贈りたいくらいだ。このしなり、この軽さ、まさに匠の技……」
ジンが杖の素晴らしさについて熱弁を振るい始めた、その時だった。
塔の入り口が乱暴に開け放たれ、一人の男が文字通り転がり込んできた。
「はぁ、はぁ……! た、助けてください、大賢者様!」
息も絶え絶えなその男は、近くの村の村人だった。その顔は恐怖に引きつり、服は泥だらけだ。
「落ち着け、何があった」
ジンが体操をやめ、真剣な顔で向き直る。その素早い切り替えに、リリアは(こういうところだけは格好いいのよね……)と少しだけ思う。
「グ、グリフォンです! 凶暴なグリフォンが、村の畑をめちゃくちゃに……! このままでは、冬を越せません!」
村人の悲痛な叫びに、リリアは顔色を変えた。
グリフォン――鷲の上半身とライオンの下半身を持つ、誇り高く凶暴な伝説の魔獣。空を高速で飛び回り、その鋭い爪と嘴は鉄の鎧すら切り裂くという。並の騎士団では歯が立たない厄介な相手だ。
「グリフォンですって!? ジン様、早く討伐に向かいましょう!」
リリアが杖(魔法の触媒として)を手に立ち上がる。だが、ジンは動かなかった。
「グリフォンか……」
彼は腕を組み、何かを深く考え込んでいる。その目に、いつものような「好敵手(トレーニング相手)を見つけた」という輝きはない。もっと別の、何かを探求するような光が宿っていた。
リリアの胸に、嫌な予感がよぎる。
(ま、まさか……また何かとんでもないことを考えてるんじゃ……)
やがて、ジンはポンと手を打った。
「よし、分かった。その依頼、引き受けよう」
「本当ですか! ありがとうございます!」
村人が安堵に顔を輝かせる。だが、ジンの言葉はそれで終わりではなかった。
「――もしかしたら、最高の『相棒』が見つかるかもしれんからな」
「……相棒?」
リリアは首を傾げた。
「どういうことですか? 討伐対象でしょう?」
「まあ、行けばわかる」
ジンはニヤリと笑うと、愛用のストレッチ棒(世界樹の杖)を肩に担ぎ、颯爽と歩き出した。
その背中を見ながら、リリアは本日何度目か分からない、深いため息をつくしかなかった。
◇
村の近くの広大な畑は、見るも無惨な有様だった。
収穫間近だった作物が踏み荒らされ、巨大な爪痕が生々しく大地を削っている。
そして、その上空を、一羽の巨大なグリフォンが悠々と旋回していた。
「キエェェェェェッ!」
天に響く威嚇の鳴き声に、遠巻きに見ていた村人たちがびくりと肩を震わせる。
その絶望的な光景の中に、ジンとリリアは静かに足を踏み入れた。
「来ましたね……ジン様、魔法の準備を! 私が動きを止めます!」
リリアが詠唱を開始しようとした、その時。
「待て、リリア」
ジンが、静かにそれを制した。
「魔法は使うな。彼は、敵ではない」
「はぁ!? 何を言ってるんですか! あれだけ畑を荒らしておいて敵じゃないって、本気ですか!?」
「ああ。彼は、ただ腹が減っているだけだ。そして、少しばかり退屈している」
リリアには、ジンの言っている意味が全く理解できなかった。
そんな彼女を尻目に、ジンは武器も構えず、悠然とグリフォンの下へと歩みを進める。
そして、おもむろに天を仰ぎ、大声で叫んだ。
「おーい! そこの鳥! ちょっと話があるから下りてこい!」
その場にいた全員が、耳を疑った。
リリアは口をあんぐりと開け、村人たちは「あの大賢者様は、ご乱心されたのか……?」と顔を見合わせる。
ジンの挑発(?)に乗ったのか、グリフォンは鋭い鳴き声をあげると、翼を広げ、弾丸のような速さで急降下してきた。
その鋭い爪が、ジンの頭上めがけて迫る。
「危ない!」
リリアが叫ぶ。
だが、ジンは迫りくる死の爪を、まるで散歩中に飛んできた小石をよけるかのように、ひらりと半身をずらしてかわした。
風圧でジンのローブが激しく揺れる。
彼はしかし、全く動じることなく、再び空に向かって叫んだ。
「威勢がいいじゃないか! 気に入ったぞ! 単刀直入に言おう! 俺の『有酸素運動』に付き合ってくれ!」
「……ゆうさんそうんどう?」
リリアの口から、間の抜けた声が漏れた。
村人たちも、頭の上に巨大な「?」を浮かべている。
ジンの常識外れな提案に、さすがのグリフォンも一瞬動きを止めた。その隙を、ジンは見逃さない。
彼は大地を蹴り、驚異的な跳躍力でグリフォンの巨体へと肉薄した。
「キシャァァァ!」
グリフォンが慌てて嘴で攻撃するが、ジンはそれを屈んでかわし、ライオンのようたくましい胴体に手をかける。
「おお……! この筋肉の張り! 見事な体幹だ!」
ジンは魔獣の体を、まるで名馬を鑑定する目利きのようにペタペタと触り始めた。
「いいか、よく聞け。君のその翼、その飛翔能力は、実に効率的なカロリー消費が期待できる。俺を乗せて、この辺りの上空を一周してくれないか? もちろん、ただとは言わん」
ジンは懐から小さな革袋を取り出し、中に入っていた粉末を少しだけ指につけて、グリフォンの鼻先に差し出した。
「お礼に、最高のプロテイン(ジンの特製ブレンド豆の粉)をやろう」
最初は激しく威嚇していたグリフォンだったが、ジンのあまりの気迫と、彼の全身から発せられる謎の黄金色のオーラ(神聖筋力)に完全に気圧されていた。
そして、差し出されたプロテインの香ばしい匂いに、クンクンと鼻を鳴らし始める。野生の闘争本能が、未知の栄養素への渇望に上書きされていく。
やがて、誇り高き魔獣は、まるで忠実な犬が主の前にひれ伏すかのように、その場にごろりと腹を見せた。
「よし、いい子だ」
ジンは満足げに頷くと、グリフォンの背中に軽々とまたがった。
「では、行くとしようか! 目指せ、心拍数130キープだ!」
「キィ!(了解!)」
グリフォン――ジンによって即座に『プロテイン号』と命名された――は、力強く翼を羽ばたかせ、主と相棒を乗せて大空へと舞い上がった。
呆然と、その光景を見送る村人たち。
やがて、誰かが呟いた。
「す、すごい……あんなに凶暴だったグリフォンを、一瞬で手懐けるとは……」
「あれこそ、大賢者様の『調教魔法』……!」
結果的に、畑を荒らす元凶はいなくなった。村は救われたのだ。
村人たちは、大空を旋回するジンに向かって、ひれ伏し、感謝の祈りを捧げ始めた。
ただ一人、リリアだけが、全てを理解した上で、空を見上げて立ち尽くしていた。
「もう……ツッコミの語彙が……完全に尽きた……」
遠くから、ジンの楽しげな声が風に乗って聞こえてくる。
「いいぞー! いい有酸素だー! プロテイン号、もっとスピードを上げろー!」
その声を聞きながら、リリアはくらりと眩暈を起こし、その場に崩れ落ちそうになるのだった。
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