第3話 伝説の杖と最高のストレッチ
賢者の塔に、リリアの悲鳴がこだました。
「しゅ、祝賀会ですってぇぇぇ!?」
ゴーレム討伐から数日後。王宮から届いた一通の書状を手に、リリアはわなわなと震えていた。
その内容は、「国を救った大賢者ジンの偉業を称え、王宮主催で盛大な祝賀会を催したい」という、どこからどう見ても名誉な、しかしリリアにとっては悪夢の招待状だった。
「どうするんですかジン様! 断りましょう、今すぐ仮病を使いましょう! 『筋肉が言うことを聞かない』とかで!」
「む、私の筋肉は常に私の意志と共にある。そんな嘘はつけんな」
ジンは椅子に座ったまま、両腕を頭の後ろで組み、背もたれに体重を預けることで広背筋を刺激しながら、不思議そうに首を傾げた。
「しかし祝賀会とは、一体何の祝賀会だ?」
「決まってるじゃないですか、ゴーレム討伐のです! まさかもうお忘れですか!?」
「ああ、あのトレーニングか。あれは確かに祝うに値する素晴らしい出会いであったな」
うむうむ、と一人で頷くジンを見て、リリアの頭痛が再発する。
この男に常識的なスピーチなど天地がひっくり返っても不可能だ。壇上で「あのゴーレムは実に良いバーベルでした。皆様も日々のトレーニングを欠かさぬように」とか言い出すに決まっている。国民が困惑する。国の威信が地に落ちる。
「いいですか、ジン様。祝賀会では絶対に余計なことを喋らないでください! 国王陛下からお言葉をいただいたら、『光栄の至りに存じます』とだけ言って深々とお辞儀! 記念品をいただいたら、『ありがたく頂戴いたします』とだけ言って深々とお辞儀! いいですね!? それ以外は口を開いちゃダメです!」
「む。だが、民に筋肉の素晴らしさを説く、またとない機会ではないか?」
「絶対にダメですっ!!」
リリアの懇願は、果たしてこの脳筋賢者に届くのだろうか。一抹どころか、九割九分九厘の不安を抱えながら、運命の祝賀会当日を迎えた。
◇
王宮で最も豪華な大広間、『太陽の間』。
きらびやかなシャンデリアが輝き、壁には歴代の王たちの肖像画が並ぶ。その荘厳な空間に、王国の重鎮たちがズラリと列席していた。
国王陛下を筆頭に、着飾った貴族たち、歴戦の騎士団長、そして――なぜか顔色が悪く、目の下にうっすらクマがある王宮筆頭魔導士ゼクスの姿も。
(昨日の走り込みが効いているようだな……良いことだ)
ジンがそんなことを考えているとは露知らず、リリアは隣で「胃が……胃が痛い……」と青い顔で呟いている。
やがて、ファンファーレが鳴り響き、国王が玉座から立ち上がった。
「大賢者ジン・アームストロングよ。此度の働き、誠に見事であった。そなたの比類なき力は、我が国の、いや、この世界の宝である!」
国王の朗々とした声が響き渡る。
ジンはリリアに言われた通り、厳かに頷いた。
(よし、第一関門クリア……!)
リリアが拳を握りしめる。
「つきましては、そなたの偉大なる功績を称え、我が国に古くから伝わる伝説の秘宝を授けよう。持ってまいれ!」
国王の言葉に、会場がどよめいた。
やがて、二人の侍従がビロードの布に載せられた一本の杖を、恭しく運んでくる。
白く輝く、美しい曲線を描いた杖。それは、世界に生命力を与えると言われる聖なる樹、『世界樹』の枝から作られたという伝説の魔法の杖だった。
どんな魔法も無限に増幅させるという、全魔導士が夢見る究極のアーティファクトである。
「おお……あれが伝説の『世界樹の杖』……!」
「それを、大賢者殿に……!」
貴族たちが羨望の眼差しを向ける。
ゼクスもまた、「あの杖さえあれば……私もいつか、師匠のような高みへ……!」と、目を潤ませていた。
杖は、ジンの目の前に差し出された。
リリアは心の中で叫ぶ。
(お願い!『ありがたく頂戴いたします』! それだけ言って! それだけでいいから!)
「――ありがたく頂戴いたします」
ジンは完璧なタイミングでそう言うと、深々とお辞儀をし、杖を受け取った。
「「「(おおおお……!)」」」
会場が、感動と興奮の渦に包まれる。
リリアはついにやった、と安堵の息を漏らした。
そう、この瞬間までは、完璧だったのだ。この瞬間までは。
杖を受け取ったジンは、おもむろにそれを顔の前に掲げ、まじまじと眺め始めた。
(む……?)
そして、軽く片手でブンブンと振り始める。
ヒュンッ、ヒュンッ、と空気を切る音が、静まり返った会場に響いた。
会場のざわめきが、困惑へと変わっていく。
(な、何をしておられるのだ……?)
(杖の魔力を確かめておられるのか……?)
リリアの背中に、滝のような冷や汗が流れた。ゼクスだけが、「む……? あれは一体どういう……?」と真剣な顔で師の動きを見つめている。
「ふむ、なるほど。これは……軽いな」
ジンは呟くと、満足げに頷いた。
そして、誰もが予想だにしなかった行動に出る。
彼は、伝説の杖をくるりと背中に回すと、その両端をがっしりと掴んだのだ。
会場が、完全に静まり返った。
国王も、貴族も、騎士たちも、何が起きているのか理解できず、ただ固まっている。
次の瞬間、ジンの口から、歓喜に満ちた言葉が放たれた。
「――ストレッチに最適だ!」
ググググググッ……!
ジンが腕に力を込めると、白く輝く伝説の杖が、ありえない角度でしなり始めた。
「おおっ、効く! 実に効くぞこれは!」
ミシミシと軋む杖をものともせず、ジンは気持ちよさそうに肩甲骨周りの筋肉をぐりぐりとほぐし始める。
「この絶妙なしなりが、僧帽筋から菱形筋にかけてダイレクトにアプローチしてくる! まさにゴールデン・ストレッチ・ギア!」
「「「(………………)」」」
もはや、声も出ない。
国王は玉座で口をパクパクさせ、貴族たちは白目を剥き、騎士団長は腰の剣を抜きそうになって慌てて手を引っ込めた。
その地獄のような沈黙の中、感動に打ち震える者が一人。
「な、なるほど……ッ!」
ゼクスが、カッと目を見開いた。
「そういうことか! 杖に宿る世界樹の膨大な魔力を、詠唱や術式を介さず、直接肉体へ流し込んでいるのだ! 杖を『道具』として使うのではない、杖と『一体化』することで、その力を己がものとする! 発想が……! 発想が我々凡人とは違いすぎるッ!」
一人だけ納得し、感動の涙を流すゼクス。
その隣で、リリアは静かに両手で顔を覆うと、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。
「もう……やだ……。もうやだこの筋肉ダルマ……。誰か私をここから連れ去って……」
祝賀会は、伝説の秘宝がただの健康器具と化した瞬間、なんとも言えない微妙な空気のまま、歴史にその幕を下ろした。
帰り道、ジンは「素晴らしい記念品をいただいた」と、伝説のストレッチ棒を上機嫌に肩に担いでいた。
その背中を、魂が半分抜け出たリリアが、ふらふらとついていく。
「もう……どこか遠い、筋肉のない世界へ行きたい……」
彼女の虚ろな呟きは、誰の耳に届くこともなく、王都の夕闇に消えていった。
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