張り詰めた糸と緩む空気

ミラが小さく足首を回してみせる。その周囲の土は、先ほどの戦闘で踏み荒らされ、細かな破片と血の痕が散らばっていた。


「ほんっと、危なかった……」


さっき背後から迫った二体を牽制したとき、棍棒の一撃がかすり、足元をすくわれたのだ。

枯葉が擦れる音と一緒に、まだ戦いの気配が森の奥から漂ってくる。


「ミラ、大丈夫?」


サリオンが駆け寄り、覗き込む。視線は冷静を装っているが、眉間にはわずかな緊張が残っていた。


「平気よ。外傷はなし。……でも気をつけなさいよ、あんた」


グランが肩越しにニヤリと笑う。その笑い声が、重苦しい静寂を少しだけ揺らした。


「足元すくわれるなんざ、お前らしくねぇな」


「うるさいなぁ……」


ミラは土を払って立ち上がった。乱れた髪を指で払うと、かすかに風が頬を撫で、森の湿った匂いが肺に広がった。


ミラの足に異常がないと分かると、全員が再び周囲へ意識を向けた。

深い木立は口を閉ざしたままで、虫の声すら途絶えている。張り詰めた空気の中で、わずかな枝の軋みが神経を逆撫でする。


セトが矢を番え直し、静かに弓を引きしぼる。彼の耳は風の音に研ぎ澄まされ、目はわずかな影をも追っていた。

その横顔には、若さよりも狩人としての経験がにじみ出ている。


グランも大剣を肩に担ぎ、耳を澄ませた。湿った大気の中で、彼の息遣いがやけに力強く響く。

木々の間を流れる霧の筋が、まるで彼らを試すように漂っていた。


アマンダは呼吸を整えながら、血のついた小刀を布で拭った。拭い取られた血が土に染み込み、鉄の匂いをさらに濃くする。

その様子を見たグラフが、わずかに口元を緩め、低く言葉を落とす。


「……今後も無茶はするなよ」


「ふん、あんたに言われる筋合いはないね」


短い応酬に、かすかな震えが混じる。だがアマンダは小刀を鞘に収め、視線を木立へと戻した。

その背に、グラフは短く祈るように目を閉じる。血の匂いに満ちた大地が、少しでも静まるようにと。


木立の奥を警戒していたグランが、やがて肩をすくめて戻ってきた。

「……よし、当面は動きはなさそうだ」


そう言うなり、大剣を軽く担ぎ直し、空を仰ぐ。曇りがちな陽光が梢の隙間から射し込み、まだ薄暗い森を鈍く照らしていた。


「……腹、減った」


その一言に、周囲を警戒していたセトの肩がわずかに落ちる。張り詰めた糸が少し緩み、湿った風が頬を撫でていった。


「おいおい、この状況でそれかよ」


「腹が減っちゃ戦えねぇだろ?」


「……まぁ、否定はしないけどさ」


後方でミラをかばっていたサリオンが、半眼のまま吐き出す。


「緊張感ってものが、あなたにはないの?」


「あるさ。腹が減った時ほど、集中力が増すんだ」


飄々と答えるグランに、サリオンは呆れながらも剣を下ろさない。

そのやり取りを耳にしたセトは、わずかに口角を上げたが、依然として矢を放つ姿勢を崩さなかった。


ミラはそのやり取りを見て、小さく笑った。

その笑いが、いくらか周囲の緊張を和らげたが、深い森の静寂はまだ完全には消えない。誰もがその沈黙を意識せずにはいられなかった。


「やっぱり、いつものグランだ」


戦場の空気が、ほんのわずかに緩んだ。

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