逃走と沈黙の森
森の奥深く。日が差し込まぬ密林の中、辛うじて開けた空間に人の気配が戻ってきた。
サリオンとミラは地面に寝かされたアマンダの側にしゃがみ込んでいた。
ミラが濡らした布をアマンダの額に当てる。
セトは少し離れた場所で木の根をかき分け、食用になりそうな植物や実を探している。
「ねぇ? この人、起きないけど…スイドの効果? このまま戻れないの?」
ミラが不安げにアマンダの頬をそっと撫でた。
「スイドの効果なんてとっくに切れてるわよ」
サリオンはため息交じりに答えた。
「問題は――魔法? それとも別の力かしら…」
火も灯らぬ薄闇の中、彼女の表情には苛立ちとも困惑ともつかない影が浮かんでいた。
「ていうかさ…あいつら、何なの? グランの一撃を止めるとか…」
「本当、普通なら真っ二つだよ」
ミラが乾いた笑いを漏らす。
「それに…気配がない。追ってきてない」
サリオンが周囲に視線を走らせた。
「森の鳥も騒いでないし、今のところは大丈夫でしょ」
やや離れた木の根元で、セトが鳥の羽根をむしりながら答える。
その足元には、狩ってきたばかりの数羽の小鳥が並べられていた。
「…あんたって、本当にわからないわ」
ミラはあきれたように笑いながらも、セトの器用な手つきをじっと見ていた。
やがて、グランとグラフが戻ってきた。
「薪と水、確保完了だ」
グランが腕から薪を下ろし、どかっと座り込む。
「このあたり、魔物の気配もなかった。ひとまずは休めそうだな」
グラフが水袋を置きながら腰を下ろす。
グランが乾いた枝を束ね、慎重に火を起こし始める。火打石の火花が舞い、やがて細く煙が立ち上った。
小さな焚火が夜の闇に灯る。
だが、アマンダは目を開けないまま、夜が深まっていく――。
焚火の周囲で一行は昼の襲撃について話し合っていた。
「しかし、あいつらなんだったんだろ…グランの一撃を止めるし、グラフを吹っ飛ばすし…」
セトが口を開く。
「俺は手加減してないぞ?」
グランが眉をひそめる。
「えっ、あんたに手加減って言葉あったの?」
ミラがわざと驚いたように目を見開いた。
「一応な…」
「一応って…あっても無視だろ?」
セトが笑うと、グランが肩をすくめる。
「担がずに捨ててくればよかったな…」
「…あ、いや、助かりました」
セトは逃げている途中に躓きグランに担がれたことに、急いで頭を下げる。
「まぁ冗談はさておいてだ…あの鎧の紋章、どこかで見たことがある…」
グラフが記憶を探るように目を細める。
「まぁどこの誰だっていいわよ、スイド使わざるを得ない程の状態だったのよ?」
サリオンが肩をすくめる。
「それでも、効くかどうかわかんなかったし…まぁ無事逃げられて良かったわよ…」
「そういえば、ペンダントがどうの言ってたよね?」
セトがアマンダに視線を向ける。彼女はまだ横たわったまま、意識が戻らない。
「よっぽど高価なもんだったんじゃない? もしくは大事にしてたか…」
ミラがぽつりと言う。
「だとしても、異常だわよ…」
サリオンが低く呟く。
「まぁいい! とにかく警戒しておこう。でも、この女に関わらない方がいいかもな」
グランが腕を組んで言う。
「いやいや、いくら何でもそれは無いんじゃない?」
セトが眉をひそめる。
「そうだ、危険に晒されている人を見捨てることなどできん!」
グラフが力強く言い切る。
「はいはい、あんたらの講釈はいいから…でも、私としても見捨ててはおけないわ…気になるしね」
サリオンが肩をすくめる。
「私はどっちでもいいよ。面白おかしければさ」
ミラが笑い、サリオンが小さくため息をついた。
その夜、一行は交代で見張りを続け、夜が明けていく。
やがて、木々の隙間から陽の光が漏れ、柔らかく地面を照らし始めた。
「ん…? ここは…?」
アマンダがうっすらと目を開ける。
「お? 気が付いた!」
ミラが声を上げる。
「大丈夫? 体、何ともない?」
サリオンが駆け寄って顔を覗き込む。
「えぇ、大丈夫。でも、まだ体がだるいかも…」
「まだ、ゆっくりしてれば? あの三馬鹿、調達に行ってるしね」
ミラが笑いながら言った。
「そうね。嫌な気配も、あの空間の歪みも…今のところは追ってきてないみたいだし。ゆっくり待ちましょ」
サリオンが穏やかに答えた。
一方そのころ、森の奥では――
「本当に魔物がいないな」
グランが木の根元を蹴って呟いた。
「いいことだよ。ここ、ギルドに報告すればいいんじゃない?」
セトが小鳥を一羽担ぎながら応じる。
「でもお前…ここが森のどのへんかわかるのか?」
グランが鋭く問いかける。
「わかりません…」
「それじゃ意味がねぇだろ…」
そこへ、グラフが水の入った革袋をいくつか抱えて現れる。
「そこの川を伝っていけばよかろう?」
「おま…川を伝って? 死にたいの? 魔物うじゃうじゃだぞ?」
セトはあからさまに拒絶する。
「蹴散らすさ」
グランは楽しげに笑う。
「はぁ…こいつらって…」
セトが肩を落とし、空を仰いだ。
その後、一行は合流し、簡素な朝食を取り始める。
「あなた、本当にあいつら知らないの?」
サリオンがアマンダに問いかける。
「知ってるわけないさね。ったく、昨日から外ればっかりだ…これ以外はね」
そう言って、アマンダは腰の革袋からペンダントを取り出した。
「そんなにいいものだとは思えないけどなぁ?」
ミラがペンダントを覗き込む。
「本当にね。特に高い宝石使ってるわけでもなさそうだし…」
サリオンも横から覗き込む。
「まぁどっちでもいい。俺たちに関係ない」
グランがあくび混じりに言い放つ。
「ほんと、あんたって戦うことと食べること以外にないの?」
サリオンはこの巨躯の男の単純さに呆れよりも、諦めの色を示す。
「ない」
「はぁ…ほんと単純でいいよ、お前は…」
セトが苦笑いした。
そのとき、グラフがじっとペンダントを見つめていた。
「思い出した! あれはバイス王国の近衛兵の紋章だ!」
「はぁ? もうとっくに滅んでる王国の近衛兵? 見間違いじゃないの?」
サリオンが半ば呆れて返す。
「いや、あれは絶対そうだ! もしかしてそのペンダント…よく見せてくれ…」
アマンダが素直に裏を見せる。
「ほら見ろ! ここにも紋章が!」
グラフがペンダントの裏をみんなに見せる。
「? 私にはわかんない。ただの模様じゃないの?」
ミラが首をかしげる。
セトはペンダントをじっと見つめた。
「…紋章、かもしれないけど…それが何なのか、わからないな」
彼の声は、誰かに答えを求めるというより、自分自身への問いのようだった。
「ふん、関係ないだろ!」
グランが腕を組んで吐き捨てる。
「戦闘狂は黙ってて…私も多少知識はあるけど、バイス王国のものじゃないわよ?」
「だから、国じゃない、近衛兵の紋章だって言ってるだろうが!」
グラフの声が少し熱を帯びた。
スイドの実:太古の調合薬、麻痺の効果のある煙を発する薬。
使用者、及び他者の体の一部、髪の毛や爪などを入れて調合・生成するとその効果を免れる。
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