第二章:竜騎士メリル

【第一節:役立たずの私】


私の名前はメリル。勇者カイト様のパーティに所属する、竜騎士です。…と言っても、竜を操れるだけで、私自身は、何一つ取り柄のない、ただのドジで泣き虫な女の子。パーティの皆さんのお荷物だってことくらい、ちゃんと、分かっています。

今日もそうでした。狭い洞窟での魔物討伐で、私の大切な相棒、飛竜のゲイルは、その大きな体のせいで、ただ待機していることしかできませんでした。私にできることなんて、仲間が傷つかないように、おろおろと祈ることだけ。戦いが終わった後、カイト様は、私の頭を雑に撫でて、こう言いました。

「ま、今回はしょうがねえな。次は、お前のそのデカい竜が役に立つ戦場に連れてってやるよ」

カイト様は、きっと、励ましてくださったんだと思います。でも、その言葉は、励ましのはずなのに、私の心に小さな棘みたいにチクリと刺さって、抜けないままでした。「役に立つ」。そう、私がこのパーティにいる価値は、ゲイルが「役に立つ」かどうか、ただそれだけ。私自身は、いてもいなくても、同じなのです。

パーティの拠点となっている、こののどかな「ヒナゲシの村」。皆が旅の疲れを癒している宿屋の談話室でも、私は一人、隅っこで膝を抱えていました。 聖女のアリアナ様は、その慈愛に満ちた微笑みで、皆の心を癒しています。ジークリンデ様は、カイト様の隣で、次の進軍ルートについて、的確な助言をしています。イザベラ様やフラム様は、互いの戦果を、賑やかに自慢し合っていました。ヴィクトリア様やシルヴァ様、フェル様も、それぞれのやり方で、パーティに貢献しています。

きらきらと輝く、七つの太陽。その中心に、カイト様という、もっと大きな太陽がいて…。私は、その輪に加わることすらできない、ちっぽけな、石ころみたいな存在でした。

「私なんて…どうしていなくなっちゃわないんだろう…」

ぽつりと呟いた言葉は、誰にも届かず、賑やかな喧騒の中に、虚しく溶けていきました。


【第二節:村はずれの出会い】


いてもたってもいられなくなって、私は宿屋をそっと抜け出しました。足が向かうのは、いつも同じ場所。村はずれの広い牧草地。ゲイルが、体を休めている場所です。

「ゲイル…ごめんね。私が、もっとしっかりしていれば…」

大きな体に顔をうずめると、ゲイルは「くぅん」と甘えるように喉を鳴らして、その優しい瞳で、私をじっと見つめてくれました。この子だけです。何の価値もない私を、ただ、主として慕ってくれるのは。その優しさが、今は、余計に胸に突き刺さります。

その時でした。

「わあ…! おっきくて、綺麗な子…!」

鈴を転がすような、澄んだ声。驚いて顔を上げると、そこに、一人の女の子が立っていました。歳は、私と同じくらいでしょうか。そばかすの散った、素朴で、どこにでもいそうな村娘さん。亜麻色の髪を二つに結んで、手には、大きな洗濯カゴを抱えています。

普通の人なら、ゲイルの巨体を見て、驚いて逃げ出してしまうのに。彼女は、目をきらきらと輝かせて、ゲイルのことを見つめていました。

「す、すみません…! この子、見た目は怖いですけど、大人しいので…!」

慌てて謝る私に、彼女は、にこりと花が綻ぶように笑いました。

「ううん、怖くなんかないよ。だって、ほら。あなたのこと、大好きだって顔に書いてあるもの」

そう言って、彼女は、私とゲイルを、交互に見つめました。その曇りのない、真っ直ぐな瞳に、私は、なぜか心臓がドキリと音を立てるのを感じました。


【第三節:あなたは、あなただよ】


「あの、あなた、お名前は?」

彼女は、洗濯カゴを地面に置くと、私に一歩、近づいてきました。リリア、と彼女は名乗りました。この村に住んでいる、ごく普通の女の子だと。

「わ、私は、メリル…です。勇者様のパーティの…えっと、竜騎士、で…」

しどろもどろに自己紹介をすると、リリアちゃんは、こてんと首を傾げました。

「竜騎士さん、なんだ。すごいね。…でも、なんだか、少し、悲しそうな顔をしてる」

「え…」

驚きました。パーティの誰も、カイト様でさえ、私の心の奥になんて、興味を持ってくれたことはありませんでしたから。「役立たず」「気弱」「泣き虫」。それが、皆の中の、私でした。でも、リリアちゃんは、違いました。 彼女は、ゲイルの巨体でも、私の「竜騎士」という肩書きでもなく、ただ、私の「顔」を、じっと見てくれていたのです。

「何か、あったの? よかったら、話してくれないかな。私、口は堅いから」

そう言って、優しく微笑む彼女に、私は、なぜか、抗うことができませんでした。堰を切ったように、私の口からは、嗚咽混じりの言葉が、次々と溢れ出しました。自分が役立たずなこと。ゲイルの力に頼るしか能がないこと。パーティのお荷物になっていること。私なんて、いない方がいいんだってこと…。

みっともなく泣きじゃくる私を、リリアちゃんは、ただ黙って、静かに聞いてくれていました。そして、私が話し終えるのを待って、ゆっくりと、こう言ったのです。

「そっか…。メリルちゃん、ずっと一人で戦ってたんだね。…すごいなぁ」

「え…?」

「だって、その子のこと、すごく大事にしてるのが伝わってくるもの。こんなに大きくて、強そうな子が、あなたにだけ、あんなに優しい顔をするんだよ。それは、あなたが、この子に、いっぱいの愛情を注いであげてるからでしょ? それって、誰にでもできることじゃないよ」

リリアちゃんは、ゲイルが「役に立つ」かなんて見ていなかった。ただ、ゲイルと一緒にいる、臆病な「私」を、真っ直ぐに見てくれていたのです。

「竜騎士さんだからすごい、じゃないよ。ゲイルが強いからすごい、でもない。あなたが、ゲイルを誰よりも大切に想ってる、その心が綺麗だから、すごいんだよ。メリルちゃんが、素敵だから、すごいの」

その言葉は、魔法のようでした。カイト様がくれた、「役に立つ」という、呪いのような価値観。それを、リリアちゃんの、たった一言が、春の陽光のように、優しく、優しく、溶かしていく…。


【第四節:心に灯った、小さな光】


「あ…、あ…」

言葉になりませんでした。涙が、後から後から、溢れて止まりません。でも、それは、今まで流してきた、悲しくて、悔しい涙とは、全く違う、温かい涙でした。

リリアちゃんは、おろおろとしながらも、そっと、私の背中を撫でてくれました。その手は、小さくて、少しだけカサカサしていたけれど、どんな高価な回復魔法よりも、私の心を、癒してくれました。

「ご、ごめんなさい…、私、いきなり、変なこと…」

「ううん。話してくれて、ありがとう。嬉しかった」

リリアちゃんは、心の底から、そう言ってくれました。

しばらくして、私はようやく泣き止むことができました。リリアちゃんは、カゴを指差して、「あ、洗濯物、干さなくちゃ!」と、慌てて立ち上がりました。

「あの、リリアちゃん…!」

思わず、呼び止めていました。

「また、会えますか…? また、お話、できますか…?」

私の言葉に、リリアちゃんは、太陽みたいに、にこーっと笑って、頷きました。

「もちろん! 私、大体この村にいるから。いつでも、会いに来て。待ってるからね、メリルちゃん!」

そう言って、彼女は、洗濯物を取りに、駆けていきました。その後ろ姿を、私は、ただ、ぼうっと見送ることしかできませんでした。

宿屋への足取りは、来た時とは比べ物にならないくらい、軽い。カイト様は、私を導く絶対的な『太陽』で、『主君』だと思っていた。でも、リリアちゃんは違う。私の隣で、私のために笑ってくれる…。

―――私の、たった一人の『王子様』みたいだ。

何の力もない、ただの村娘の、そばかすの笑顔。それが、何よりも尊く、輝いて見えた。この気持ちが、これから、私を、そして、勇者パーティの運命を、大きく変えていくことになるなんて、この時の私は、まだ、知る由もありませんでした…

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