第19話

「ここですか桑島さん」

「ああ、ここがヤツの住処だ」

 桑島と慎太郎の二人は、繁華街から少し離れた場所にそびえている五階建ての廃墟ビルの中にいた。鉄筋コンクリート製のビルの外観は地震に見舞われたように無数の亀裂が走っており、窓ガラスは粉々に砕け散っていた。周囲には民家や商店もないため、人の気配は皆無である。正直言って、こんな場所に人間が住んでいるとはとても思えない。

 しかしそのビルの三階部分に二人は上がると、桑島は通路の一番奥の部屋の前で立ち止まった。三○九号室。名前は書かれていない。

 慎太郎は念のため懐からS&WM3913オートマチック銃を抜いた。長年、警察官が使用していた銃は国産のニューナンブM60リボルバーが主流であったが、犯罪が多様化したここ数年では警視庁の特殊犯罪捜査係(SIT)を始め、機動捜査隊や組織犯罪対策課に属する人間たちにはオートマチック銃が配備されている。

「桑島さん、先陣は俺が行きます」

 と慎太郎はドアの横の壁にさっと背中を預けると、ドアノブを回して一気に突入した。朽ち欠けたフローリングの廊下を駆け、目の前の扉を勢いよく蹴って開放する。

「何だ……ここは?」

 拳銃を構えながら、慎太郎は開口一番そう言った。

 部屋の中は外とは違い、精密機械に埋め尽くされていた。デスクトップ型パソコンはもちろん、OA機器や無線機など中には素人には分からない特殊な基盤が床に散らばり、文字通り足の踏み場もなかった。無数のケーブルが血管のように機械同士を繋ぎ合わせ、絶えず電気と情報を行き交わせている。

「やれやれ、強制捜査じゃねえんだからもちっとスマートに行こうぜ」

 慎太郎とは違い、桑島は咳き込みながらゆっくりと部屋に入ってきた。慎太郎が走りながら部屋に入ったため、廊下に溜まっていた埃が一気に舞い上がったのだ。 

 ようやく埃が霧散すると、桑島は部屋の奥に向かって声をかけた。

「よう、相変わらずドブさらいか? 鼠」

 部屋の三分の二が精密機械に支配されている異様な空間の奥で、桑島の言葉に反応した黒い塊があった。

「キシシシシ、お久しぶりですね。桑島さん」

 くぐもった声で返事をした人間は、綺麗に出揃った二本の前歯が特徴的な灰色のパーカーを着た青年であった。体型は小柄でキシシシと不気味に笑うところを見ると、桑島が言うように〝鼠〟とは言い得て妙かもしれない。

 慎太郎は拳銃を下ろすと、耳打ちするような小声で桑島に尋ねた。

「桑島さん、じゃあこいつが?」

「通称〝鼠〟で通っている情報屋だ。ご覧の通り独自の機材を使って絶えずこの街の情報を収集している。それをあいつは〝ドブさらい〟って呼んでたもんだ」

「あいつ?」

 慎太郎が聞き返すと、桑島は「ああ」と頭を掻いた。

「こいつは拳が贔屓にしていた情報屋でな。拳は何かあるたびにこいつの元へ訪れて情報を貰っていた。何せこいつに依頼すれば警察が発見するのに丸一日かかる情報が下手すれば数分で手に入る。その分、報酬も高めだがな」

 初耳だった。刑事――特に暴力団担当の捜査四課の刑事は、組織の内部事情を入手するため顔見知りの暴力団員と渡りをつけて話を穏便に済ましたりすることは知っている。だがそれはあくまでも警察権力の枠外に出ない範囲の話だ。

「じゃあ、ここに来たのも今回の事件の情報を聞くために?」

「それ以外に何がある」

 桑島は床に散乱している基盤を足で退かしながら鼠に近づいていく。

「あまり手荒なことはしないでくださいよ。特に後ろの刑事さん。いい加減に銃は仕舞ってくれませんかね?」

 鼠の言葉を聞いて桑島は、慎太郎に振り向き「おい」と顎をしゃくった。拳銃を仕舞えと言うことなのだろう。慎太郎は大人しく拳銃を懐に仕舞った。

「さて、俺たちも暇じゃねえ。何か情報があるんなら高く買い取るぜ」

 部屋の一角にあった椅子に座った桑島は、くたびれたコートの内ポケットから煙草の紙箱を取り出した。それは高柴課長が桑島に手渡した煙草の紙箱であった。そして桑島はその煙草を箱ごと鼠に放り投げる。

「キシシ、毎度どうも」

 煙草の箱を片手で受け取った鼠は、箱の中に入っていたモノを嬉しそうに取り出した。桑島が手渡した煙草の箱からは、十数枚の一万円札が顔を覗かせた。

 慎太郎は目を見張った。いくら情報提供料とはいえ、一刑事が情報屋に渡す金額にしては高額すぎないか。

「それだけの価値がある情報をこいつは常に持ってるってことだ」

 慎太郎の心中を察した桑島は、首をコキコキと鳴らしながらそう言った。その間、鼠は左手で金額を確かめつつ、手前にあったパソコンを右手で巧みに操作し始めた。

「料金は確かに頂きました」

 金額を確かめた鼠はニッコリと笑みを浮かべると、最後にキーを力強く押した。

 慎太郎は視線を下に向けた。何か足元からガガガガガ、という音が聞こえたからだ。

 プリンターであった。慎太郎の足元には一台のプリンターが置かれ、頼りない作動音を鳴らしながら数枚の書類を印刷している。

「こいつか」

 印刷された書類に手を伸ばしたのは桑島であった。よっこらせと腰を押さえながら、印刷された順に書類を摑んだ。

「おい、鼠。今回の星はこいつらなのか?」

 桑島が鼠に話しかける中、慎太郎も印刷された書類を摑んで内容を確認した。

 CODE・NAME〈フレイ〉。

 CODE・NAME〈フレイヤ〉。

 北欧神話における海の神ニヨルドが産んだ双子の兄妹であり、兄である〈フレイ〉は眉目秀麗な豊穣の神。そして妹の〈フレイヤ〉も豊穣の神であったが、愛を司る女神であったともいう。これが二人の殺し屋が使用している名前であり、その他には二人が起こしたとされる犯罪の履歴や犠牲者の詳細などが克明に印字されていた。

「いったいこいつらは何なんだ? 自分の力に酔いしれている狂人か?」

 常に平静を装っていた桑島も、犯人が起こす意図が分からず苛立ってきた。そんな桑島を見て、鼠はまたもキシシと笑った。

「この街を仕切っている組織の連中はそう思っているみたいですけど、私個人の意見は少し違いますね」

「まだネタがあるっての言うのか?」

 桑島の言葉に、鼠はただキシシと笑うのみであった。

「チッ、ガメツイ野郎だぜ」

 舌打ちした桑島は自分の財布を取り出そうとしたとき、横から慎太郎がぬっと身を乗り出し、鼠に数枚の一万円札を放り投げた。

「これでいいんだろ? まだネタがあるのならさっさと言え」 

 自腹を切った慎太郎の勇ましい態度に鼠は一瞬キョトンとすると、すぐに目元を緩ませて笑った。

「毎度どうも、麻生慎太郎刑事。今後ともご贔屓にお願いしますよ」

 商売人口調で手元に放り投げられた万札を拾うと、鼠は両手を頭の後ろで組んだ。

「まず二年前に起こった拳一郎の旦那の事件ですが、どうやら警察上層部に圧力がかかったせいですぐに特捜本部が打ち切られたそうですよ」

「それは本当か!」

 拳一郎の名前を出された途端、慎太郎は基盤を踏み潰しながら鼠に詰め寄った。本当は胸倉を摑みたかったが、鼠の前方には壁のように多種多様な機材が置かれていたのでそこまでは近づけなかった。

 一方、鼠は体勢を崩さずニヤニヤと笑っている。

「間違いないと思いますよ。何せ出所は機密性が高い警視庁のデーターベースからですからね。そこから流れた情報の一部にあったんですよ」

 激昂する慎太郎とは反対に、桑島は後ろで溜息を漏らしていた。

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