第20話

「信じられねえな。何で上の人間はそんなことを……」

 慎太郎もまさにそこを詳しく聞きたかった。警察という組織は身内の事件には恐ろしいほど勤勉に捜査をする。連帯感が他の組織とは根本から異なるのだ。それは凶悪な犯罪者相手に命を賭けているのは自分だけではないと、警察官になったときから徹底的に教え込まれるからかもしれない。

 だからこそ解せない。上層部の人間が早々に事件を打ち切ったということは、外部から相当な圧力がかかった証拠であった。 

 拳を硬く握り締めている慎太郎を見て、鼠は手前の机に置いてあったリモコンを手に取った。キシシと笑いながら電源をつける。

 パッ、と薄暗い部屋に明かりが点いたと思うと、パソコンのファンが回る音しかしていなかった部屋に歓声が響いた。

 慎太郎と桑島は同時に後方に振り向く。部屋の隅には、傾いている一台のテレビが置かれていた。鼠はそのテレビの電源をつけたのだ。

 テレビには地元のローカル番組である綾園TVのレポーターが、リアルタイムで行われている【綾園異種格闘市街戦】の実況中継をしていた。そして場所はどうやら大通りの一角にある歩道橋の上で、ギャラリーに囲まれながら二人の人間が苛烈な戦いを繰り広げている光景が映っていた。

「鼠、てめえ何が言いたい?」

 桑島は険しい表情で鼠を睨んだ。一方、慎太郎はテレビに映っている二人の人間の戦いに目が釘付けになっている。

「まだ分かりませんか? 二年前、拳一郎の旦那が死んだ直後に開催された第一回【綾園異種格闘市街戦】。二回目は惜しくも大会側の不備もあって中止になりましたが、こうして今回で無事に三回目を迎えています。おかしいと思いませんか? 中止になった二回目のときは何の事件も起きなかったのに、大会が決行されるとまるでセットのように起こる不可解な殺人。これは果たして偶然なんですかね?」

 さすがにここまで聞かされたら、ベテラン刑事にもわからないはずがない。

「まさかこのくだらねえイベントが何か関係してるって言いたいのか?」

「さあ、そこまでは分かりかねますが、ただ一言言わせてもらえれば警察の上層部に圧力をかけられる人間がこの大会のスポンサーだってことぐらいですかね」

 その言葉を聞いて桑島と慎太郎の目の色が変わった。

「桑島さん。確かこのイベントのスポンサーって……」

「ああ、大道寺コーポレーション会長、大道寺清心。政財界を中心に各関連省庁にも顔が利く巨権の人物だ。だとしたら納得がいく。大道寺清心が動けば警察上層部も動く」

 慎太郎は固く握った右拳を左掌に激しく打ちつけた。

「桑島さん。大道寺コーポレーションに行って本人に詳しい事情を聞きだしましょう!」

「令状もアポも無しにか? そんなもん体よく断られるに決まってんだろ。下手すると逆に圧力をかけられて今の捜査から外されかねんぞ」

 二人の刑事があれこれ相談していると、今まで以上に鼠はキシシと高らかに笑った。

「お二人とも何か勘違いしていませんか? 今回の一連の事件は大道寺清心とは関係があるが犯行を促した張本人ではない。どちらかと言えば大道寺清心は狙われる立場ですよ」

 鼠の独白を二人は黙って聞いた。

「大道寺コーポレーションは大道寺清心が一代で起こした巨大企業です。その立ち上げ期には色々と黒い噂も囁かれていましたが、私が調べた限りではそういう裏事情は一切発見できませんでした。つまり今の時代にしては珍しく、己の力量と人徳で会社を大きくした人間だということです」

 すかさず慎太郎が異論を挟む。

「だがお前は言ったじゃないか。警察上層部に圧力をかけた人間は大道寺清心だと」

「ええ。ですが、圧力をかける場合は何もやましいことを隠す場合だけとは限らない。その逆もあるんじゃないかと言ってるんです」

 難しい表情をしていた慎太郎の後ろにいた桑島は、顎先を擦りながらぼそりと呟いた。

「つまり大道寺清心がわざわざ警察上層部に圧力をかけたのは、何か考えがあってのことだって言いてえのか?」

 キシシと鼠は笑いで返事をした。

「桑島さん。長年、拳一郎の旦那と仕事をしてきた貴方ならわかるんじゃないんですか? 世界に名だたる巨大企業がスポンサーになっている一大格闘イベント、その開催時期に合わせるように現れる二人の殺し屋。そしてその殺し屋の手にかかった拳一郎の旦那……」

 鼠が言わなくても、すでに桑島は脳をフル回転させて思案していた。そして桑島の脳裏に一抹の不安が過ぎった。 

「まさか、この殺し屋が狙っている真の標的は――」

 桑島の言葉を隣で聞いていた慎太郎がおそるおそる繋げた。

「大道寺コーポレーション会長、大道寺清心の暗殺……ですか?」

 慎太郎と桑島は再び顔を見合わせると、その視線をテレビに向き直した。歩道橋の上で行われた戦いはすでに決着がつき、場面は歩道橋ではなくどこかの施設の駐車場に変わっていた。柔道着を着こなした無骨な男と、眩しいほど輝いていた金髪の女性が互いに向き合っていた。

「お二人は知っていますか? このイベントの上位入賞者にはスポンサーである大道寺清心が直々に面会するって話を」

 チッと桑島は舌打ちした。鼠の言いたいことが痛いほどわかったらしい。それは慎太郎も同じだった。口をきつく一文字に閉めて唇を噛み締めている。

「事情は大方わかった。ありがとよ、鼠」 

 もうここには用はないとばかりに、桑島は鼠に軽く手を振って部屋から出て行った。

 そして慎太郎も桑島の後を追って部屋から出ようとしたとき、後方からキシシと鼠の笑い声が聞こえた。

「まだ何か言いたいことでもあるのか?」

 顔だけをちらりと振り向かせた慎太郎に、鼠は口元に手を当ててニヤリと笑った。

「これはオマケの情報です、麻生慎太郎刑事。拳一郎の旦那には娘がいましたよね。確か名前は弓月花織」

 慎太郎は怪訝そうに鼠を見た。何故、ここで花織の名前が出てくるのだろう。

「凄いですよね、さすが拳一郎の旦那の娘さんだ。現在、脅威の九連勝中ですよ。これは間違いなく上位クラスの戦績です」

 その瞬間、慎太郎の細い目が大きく見開かれた。

「花織ちゃんがこのイベントに参加しているだと!」

 慎太郎の怒声を無視しながら、鼠は巧みにキーボードを操作した。すると、慎太郎の隣にあった小型のモニターに映像が表示された。

 それはどこかの公園の様子だった。住宅地の中に造られた公園内には様々な遊具が設置され、子供が元気よく走り回っていた。だが声が聞こえない。映像のみである。

 慎太郎はモニターを摑んで食い入るように見つめた。映像には花織だけではなく、妹である正美の姿も映っていた。二人は何やら向かい合って会話をしている。

「これは大道寺が随時中継している映像をジャックしたものです。さすがに音声は拾えませんでしたが、結構鮮明に映ってるでしょう?」

 だが慎太郎は鼠の言葉など聞いていなかった。ズボンのポケットからスマホを取り出した慎太郎は、正美の携帯番号を入力しながら部屋から出て行った。

 そんな慎太郎の背中を見つめながら、鼠はキシシといつまでも笑っていた。

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