第10話

【綾園異種格闘市街戦】

 綾園市の中心区域である上山区一帯をすべて貸切り、全国から参加を表明したアマチュア・プロ問わずの格闘家や武術家が、日頃の鍛錬の成果を実戦形式で競うという目的で当初は立案された。

 これは昨今の目覚しい格闘技ブームに影響を受けた綾園市が、町興しも兼ねてスポンサーを募集して開催されたと言われているが、それは現代に入ってからの解釈である。

 綾園市の歴史によると古くは戦国末期から太平の世中期までの間、辻にて剣術家や武術家同士の果し合いが頻繁に行われていたらしく、これが【綾園異種格闘市街戦】の原型だと巷では言われている。

 しかし昭和二十年にGHQの命令により日本政府が通達した「柔道・剣道などの武術稽古を全面禁止する」という禁武政策により、一度はその果し合いも闇に葬られてしまった。

 だが現代に入り、ある巨大企業がスポンサーになったことで再びその戦いが陽の目を見ることになった。

 今回で三回目になる【綾園異種格闘市街戦】は当初こそルール問題や世間からのバッシングが絶えなかったが、それでも参加を希望する人間は後を絶たない。




 四月二十六日、午前八時五十二分。

 上山区市民センターの駐車場には、平日でも考えられないほどの人間たちで埋め尽くされていた。その数、実に三百人以上。しかも集まっている人間たちはどう見ても一般人ではなかった。全身から放出しているオーラが違う。眼光もギラリと輝き、すぐ隣にいる人間を完全に敵視している。まさに一触即発の雰囲気が漂っていた。

 そんな人間の皮を被った猛獣たちの中、駐車場の隅っこで小鹿のように震えている少女がいた。正美である。白のワンピースにベージュのカーディガンを着こなし、小さなバックを両手で握り締めるように持っていた。

 正美はしきりに腕時計を見て時間を確認している。もう待ち合わせの時間を過ぎているというのに待ち人が一向にこない。

いきなり前日に花織から電話がかかり、いきなりこのイベントに参加することを聞かされた正美はいても立ってもいられず自分も開催場所に行くと言ってしまった。もちろん参加するつもりは毛頭ないが、幼馴染みが参加するのならば応援くらいはしたい。そう思っていたのだが、開催場所に到着するなり正美は激しく後悔した。

駐車場にはどこの仁侠映画から出てきたのかわからない強面の人間たちで埋め尽くされ、中には普通の顔つきの人間もいるが雰囲気が並ではない。こんな人間たちと戦うなど正気の沙汰ではない。間違っても女の出番などないだろう。

「これは絶対に止めなくっちゃ」

 正美は決意した。待ち合わせをした幼馴染が到着したら、全身全霊を持って参加を食い止めようと。そう拳を硬く握った瞬間――

「お・待・た・せ!」

 決意を固めた正美の後ろから「わっ!」と驚かすように声をかけた人間がいた。正美は「ひゃう!」と可愛いらしい声を上げて振り向く。

正美の後ろにはいつの間にか花織がいた。長髪をうなじの辺りで左右に分け、黒縁の厚い眼鏡をかけている。しかも着ていた服装は上下とも黒で統一されたトレーニングウェアであり、履いていたスニーカーも黒であった。見た目には受験に失敗した浪人生のような出で立ちである。

「花織ちゃん、その格好……」

「これ? コンタクトを眼鏡に変えて動きやすい格好にしたのよ」

 花織は素っ気無く答えたが、正美の心境は複雑だった。

伊達に正美は花織と十年以上付き合いがあるわけではない。その格好だけで正美は気づいてしまった。花織がこのイベントにいかに本気になっているかを。

それこそ最初は止めようかとも思っていたが、ここまで気合を入れている幼馴染を止める術は正美には浮かばなかった。

 正美が少し肩を落として落ち込んでいると、花織は花織で駐車場に集まっている人間たちを睥睨し始めた。

「ふ~ん。結構な数の人間が参加しているのね」

 花織はこの異様な空気が漂う場所にいながら微塵も恐怖を感じてはいなかった。言ってみればこの駐車場全体が猛獣を閉じ込めている檻のような圧迫感がある。しかし花織はその雰囲気や圧迫感を心なしか楽しんでいるような顔つきであった。それが正美は隣にいながらひしひしと感じられた。

やがて時刻は九時になった。すると、駐車場に集まっていた人間たちに動きがあった。ざわざわと急に騒がしくなり、皆一斉に駐車場の出入り口に視線を向ける。

ざわめきの元凶は駐車場に入ってきた一台のセミトレーラーであった。だが普通のトレーラーではなかった。何故なら、トレーラーの側面部分には百インチ以上はある特大型液晶ディスプレイが取り付けられていたからだ。

コンテナを輸送するための荷台を揺らしながら、トレーラーは駐車場の奥に停車した。

「いったい何が始まるの?」

 物々しいトレーラーの出現に正美は見るからに狼狽した。花織の背中に隠れるように移動する。花織は「やれやれ」といった顔で苦笑した。

「別に正美が戦うわけじゃないんだから怖がる必要はないでしょ」

 花織は正美の頭をそっと撫でた後、両腕を組みながらじっとトレーラーを見つめた。トレーラーの周囲には今回のイベント参加者がわらわらと集まっていく。

「花織ちゃんは行かなくていいの? 何か始まるみたいだよ」

 正美が花織の背中から顔だけをちょこんと出すと、五十メートル前方に停車しているトレーラー自体にも動きがあった。

 トレーラーの荷台が唐突に開かれ、水色の作業着を着た数十人の人間たちが荷台の中から何やら様々な器具を運び出してくる。

だがそんな人間たちとは別に、荷台の中からは生々しい肢体を剥き出しにさせたビキニ姿の女性が、マイクを片手にむさ苦しい集団の前に飛び出してきた。

それもとびきりの美女であった。年齢は二十代前半と思われ、派手な金色に染めた長髪を優雅に風になびかせている。そしてしばらく経つと、女性は周囲の人間たちを嬉しそうに一望しながらマイクに口を近づけた。

『ようこそお集まりくださいました。只今より第三回【綾園異種格闘市街戦】の本選出場権を賭けた予備乱戦のルールを説明します。現在の時刻は九時四分。これより五十六分後の十時ジャストより予備乱戦を開始いたしますが、その前に選手の皆様にお配りしたい支給品がございますので係りの者の指示に従ってお受け取りください』

 女性の溌剌とした声が作業着を着た人間が設置したスピーカーから響くと、出場選手たちが女性の隣にいる係りの人間の元へ集まりだした。そこで選手たちは一人ずつ何かを受け取り始めた。

 その光景を遠くで見ていた正美は、摑んでいた花織の肩を揺すった。

「ね、ねえ花織ちゃんは行かなくていいの? 選手の人たちは何か色々と貰ってるよ」

 花織は鷹揚に頷くと、ポケットに手を突っ込みゴソゴソと弄った。

「多分、これのことでしょ」

 そう言って花織が取り出したのは、番号が入った黄色の腕章とスマホであった。番号は【一番】、スマホは市販されているモデルとは少し形状が異なっていた。

「花織ちゃん、これどうしたの?」

「送られてきたのよ、しかも今日の朝方にね。まったく、あの馬鹿……何でわざわざ当日になって送ってくんのよ。お陰で説明書を最後まで読む暇がなかったじゃない」

 ぶつぶつと小言を口にしている花織を見て、正美は何のことかわからずただ小首を傾げていた。

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