第8話 雄弁な沈黙

週明けの月曜日。

朝から空気が重かった。湿気でもなく、天気のせいでもない――もっと別の、見えない圧が校舎全体に漂っているように感じた。


教室に入ると、紗耶は窓際で文庫本を閉じたところだった。


「おはよう、悠真。今日のお願いはね――」

「何?」

「“何も聞かないで”」

「……また急だな」

「今日一日、私のことを、何も聞かない。質問しない。お願い」


その瞳には、冗談の色が一欠片もなかった。

俺はしばし考え、うなずいた。


「わかった」

 

でも、その了承がどれだけ息苦しい約束になるかは、このあとすぐ思い知ることになる。


 ***


昼休み。

購買から戻る途中、千景が廊下で待っていた。

腕を組み、俺の前に立つ。


「少しだけ時間、いい?」

「……」

「黙るの? それとも、答えられない?」

 

図星を刺すような目。


千景は、俺の返事を待たず歩き出す。

向かった先は、図書室の奥まった窓際の席だった。


「水城さんのこと、調べたの。前の学校の友達に聞いて」

 

心臓がひとつ跳ねる。


「事故があったんだって。去年の夏、クラスメイトが一人亡くなって……水城さんだけが無傷で」

 

千景の声は抑えていたが、その言葉はナイフのように鋭かった。


「それからすぐ転校。でも、あの子は何も話さない。……悠真、あんた、何か知ってる?」


紗耶の「何も聞かないで」が、喉に鎖をかける。

俺は視線を逸らし、ゆっくり首を振った。


「そう……」

 

千景はわずかに唇を噛み、立ち上がる。


「でもね、あの子は“何かを残そうとしてる”顔をしてる。……見逃すと、後悔するよ」


その言葉だけ残して去っていった。


 ***


放課後。

図書室の窓際、紗耶はまた文庫本を開いていた。


「千景と何か話した?」

「――質問は禁止だろ」

「そっか。えらい」

 

ほんの少し笑って、本を閉じる。


「じゃあ、こっちから一方的に話すね」


紗耶はゆっくりと指先で机をなぞる。


「私、図書室のこの席、好きなんだ。ここから見える景色が、前の学校と似てるから」

「……」

「グラウンドの向こうに大きな木があって、夏は葉が濃くなって。放課後になると西日で金色になる」


彼女の声は、回想と現実の境目を行き来しているみたいだった。


「でも、そこまで。今日はこれ以上言わない。だって“何も聞かないで”の日だから」

 

そう言って立ち上がると、鞄から小さな封筒を取り出し、机の上に置いた。


「これ、持ってて。中身は見ないで。最後の日まで」

 

指先がほんの少し震えていた。


受け取った封筒は、写真一枚が入っているくらいの薄さだった。


 ***


駅までの道。

夕暮れの風が生温く、信号待ちの間、封筒の重みがやけに意識にのしかかる。

「最後の日」という言葉が、また一つ、俺の中で膨らんでいく。

横に並ぶ紗耶は、沈黙を崩さず歩いていた。


別れ際、ふと彼女が言った。


「明日のお願い、決めたよ」

「何」

「“私を探さないで”」

 

意味を問いかける前に、彼女は笑って手を振り、改札を抜けていった。

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